第33話 張り紙
ビルを買って入居者を募集している新人だったが、いくら待っても不動産屋から連絡はなく、新人はイライラしていた。
「入居者が決まらない……」
あれからまったく入居希望者が現れないのである。
あせった新人はほかの不動産屋にもたのんだり、近くの大学の学生部にも依頼してみたが、それでもなかなか見つからなかった。
「時期が悪いのかな……」
誰もいない寒々しい部屋の空気を入れ替えながら、新人はつぶやく。
たしかに募集を始めたのは六月で、今は12月である。
入居募集者が多くなるシーズンは外していた。
「それにしても、一人ぐらいいてもいいのに……」
思うようにいかなくて、新人は暗くなる。
三階の会社からの家賃は毎回振り込まれているので損にはなっていないが、ビルの購入とリファーム、エアコンの取り付けなどで500万は投資しているのである。
なるべくなら早く回収したかった。
「仕方ない。できることからはじめよう」
新人は自分で作った「入居者募集中」という張り紙を、ビルの入り口に貼り付ける。
そこには間取りや家賃、そして自分の連絡先が表示されていた。
「今時こんなので見つかるとは思えないけど、少しでも見てもらえば……」
新人は作業を終えて、ビルの正面に立ってつぶやきく。
いつの間にか雪が降り始めている。薄暗い曇天にひっそりと立っているビルはまるで廃墟のように見えた。
それから三ヵ月後。
春の陽気が世界を覆うころ、新人の携帯電話が鳴った。
「あの……ビルの張り紙みたんですけど、まだ募集してますか?」
携帯から聞こえてくるのは、かなり年配の男性の声だった。
「は、はい。まだ空いていますよ」
「よかった。中をみたいんですが……」
「すぐに行きます! 」
新人は喜び勇んで、車を走らす。
ビルの前にいたのは、70ぐらいの男性だった。
「実はこの近くの借家に住んでいたんですが、立ち退き勧告にあいましてね」
老人は中村と名乗り、ビルの二軒となりの家を指差す。
そこには古びた一戸建てが建っていた。
「立ち退きですか?」
「ええ……大家さんが死んで、息子に代替わりしたんですわ。そうしたら家を壊してアパートに建て替えるって言われてね。世知辛い世の中ですわ」
中村さんは悲しそうにうつむく。思わず新人は同情してしまった。
「それは大変ですね……」
「ええ。それでこの近くを探したんですけど、なかなか条件に合うのがなくてね。困っていた所だったんですけど、よく考えたらこのビルに張り紙があったことを思い出して、藁にもすがる思いで電話させてもらったんですよ」
「わかりました。それじゃ案内させていただきます」
新人はそういって、中村さんを中に案内した。
「ほう……なかなか広いですね。それにお風呂もちゃんとついている。トイレもあるし、年寄りの一人暮らしには充分ですよ」
二階と四階を見た中村さんは満足そうに言う。どうやら、よほどひどい部屋じゃなかったら最初からここにすると決めているようだった。
「それなら、入居されますか?」
「ええ、ぜひお願いしたいところですが、実は少し相談がありまして……」
中村さんは言いにくそうに切り出す。
「実は、私は天涯孤独の身でありまして、保証人が立てられないのですよ」
「保証人なしですか……」
新人は考え込む。いざというときに保障してくれる人がいないのは、少し困る。
「それと、できれば家賃を35000円に下げてもらえませんかね。実のところ年金暮らしで、あまり余裕がないもので……」
さらに厳しいことを言われて新人も困ってしまう。
「家賃ですか……うーん」
考え込む新人だったが、いいことを思いついた。
「わかりました。ですが、その場合、二階じゃなくて四階にしていただけませんでしょうか。それと、今から不動産屋に行って、家賃保障会社をつけてもらいましょう。その条件ならいいですよ」
エレベーターがないので、階段を上らないといけない。だから家賃を下げるかわりに、四階に住んでもらうことを提案したのだった。
「ええ、かまいませんよ」
中村さんもこの条件に同意する。
こうして、四階の住人が決まり、家賃収入も毎月20万5000円に増えるのだった。
電力会社のコールセンター
新人は丁寧に指導し、穂香も失敗を繰り返しながら学んでいく。
そして、二人はどんどんと仲良くなっていった。
週に何回かは、ファミレスで食事したりしている。
新人も自分を慕ってくれるかわいい後輩である彼女にどんどん魅かれていった。
「大矢さんって、彼女いないんですか?」
そんなある日、穂香が聞いてくる。
いつかはこんな事を聞かれると思っていた新人は、慎重に話を進めた。
「いや……いないんだよ。というか、女友達も新庄さん以外はいないな」
さりげなく、穂香を友達だと思っていることを匂わせる。
穂香は別にそれに異議を言うこともなく、さらっと流していた。
「へえ……そうなんですか……」
それを聞いて穂香はうれしそうな顔をする。
「それで、新庄さんは? 彼氏はいないの?」
なるべく自然に聞き出そうとしていたが、動揺してちょっと声が震えていた。
「いるわけないですよ……。高校は女子高だったし。前のアルバイトでも、男の人ってちょっと苦手だったから」
「そ、そうか。そうなんだ」
ポーカーフェイスを保とうとしていたが、我慢できずに口元がゆるんでしまう。
「私も素敵な彼氏がほしいんだけどな……頼れる先輩とか」
穂香がなぜか意味ありげなことをいってきた。
(こ、これは……誘っている? もしかして期待していいとか?)
あわててコーヒーを飲みながら表情を隠すが、新人の心臓はドキドキしていた。
(こ、これはチャンスなのか? ここでいっちゃうか? なら、彼氏に立候補しようかって。で、でも……)
穂香は何かを期待したような目で見つめてくるが、悲しいかな新人は女性と付き合ったこともない。こういう場合、どうしたらいいかわからなかった。
必死に考えて、結局は違う話題を持ち出してしまった。
「そ、そうだ。以前聞いたけど、お母さんもコールセンターに勤めていたんだっけ」
以前から気になっていたことを聞く。
穂香は一瞬不満そうな顔を浮かべたが、話に乗ってくれた。
「ええ。前は近くの保険のコールセンターで、ずっと働いていたんですよ」
「保険か……。僕も前は保険のコールセンターだったんだけど、そこで働いていた新庄というおばさんに仕事を教えてもらったんだよね。もしかして、その人がお母さんじゃないかな? 」
以前面倒を見てくれた新庄さんとは彼女が退職してから一年以上も会ってない。新人は懐かしそうに話した。
しかし、穂香はそれを聞いて首を振る。
「えっと……。たぶん違うと思いますよ」
「なんで? 」
「私もそうじゃないかと思って聞いてみたんですが、コールセンターで仲良かった男の子って、すごいお金持ちだったみたいですから」
「お金持ちか……それなら確かに別人だな。でも、お金持ちの家の子が、コールセンターでアルバイトするかな?」
ふと新人は疑問に思う。
すると、穂香はあまりその男の子のことをよく思ってないのか、いやそうな顔で話し始めた。
「さあ? お金持ちの親元で何不自由なく生活しているんだろうから、アルバイトでもしろって親に言われたんじゃないでしょうか? でも私はあんまり好きになれません。お母さんはしっかりした子だってほめてましたけどね 」
不快そうにジュースを飲む。新人はなんとなく不安な気持ちになってしまった。
「あの……会ったこともないそいつを、なんでそこまで嫌っているの?」
新人に聞かれて、穂香は嫌そうに顔をしかめる。
「大矢さんは『競売』って知っていますか?」
穂香の口から競売という単語が出て、新人はドキッとする。
「あ、ああ。少しは知っているけど」
「本当にひどいシステムですよね。借金のカタに家取り上げて、住んでいる人をむりやり追い出すなんて。その男の子は、親の金でそんなことをしているんですよ! そして手に入れた家を人に貸して、家賃で暮らしているんだって! そんなことを自慢そうに母に語っていたんですよ!話を聞いたとき、なんてひどい人かと思いました! 」
憤懣やるかたないといった穂香の様子に、新人の額から汗が吹き出る。
(やばいな……どうやらお母さんってあの保険のコールセンターにいた新庄さんに間違いないようだけど、すっかり悪印象をもたれているよ。でも、競売に対して一般の人がもつイメージって、こんなものなのかな?)
契約にのっとって粛々と裁判所が実行する正当な手続きてあり、落札者は借金をした本人とも貸した金融機関ともまったく関係のない第三者なのだが、そんなことを一般人が知るはずもなかった。
穂香の中のイメージでは、借金を抱えた人をいじめるヤクザのようなものなのだろう。
どうやって誤解を解こうかと悩む新人に、穂香はさらに聞いてくる。
「大矢さんはどう思います? いくら借金を返せなくなったからって、家を取り上げるなんて最低ですよね」
「ええと……」
いろいろ考えてみたが、ごまかす方法が思いつかない。
やむをえず、正直に話すことにした。
「新庄さん。ごめん。そのお母さんが言っている男の子って、僕のことなんだ」
なぜか謝りながら、新人は競売をしているのは自分だとカミングアウトする。
「えっ?」
いきなりの告白に、穂香は目を瞬かせた。
「ほ、本当ですか?」
「うん。間違いないよ。確かに以前保険のコールセンターでお母さんに世話になったときに、いろいろ競売について自慢しちゃったし」
新人は気まずそうに頭をかく。
「で、でも、大矢さんみたいに優しい人が、どうしてそんなひどいことをするんですか?」
思わず白い目を向けてくる穂香に、新人はあわてて弁解を始める。
「いろいろ誤解があるみたいだから、説明させてもらうよ」
新人は穂香の目をみて、ゆっくりと話し始めるのだった。
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