第31話 新人教育
電力会社のコールセンター
「お電話ありがとうございます。 こちらは○○電力会社、お客様センターでございます」
はきはきとお客様からの電話に答える新人の姿があった。
最近、仕事にも慣れてきて、受電件数もセンターの中では一番多くなっている。
徐々に上司からも信頼されてきて、もはやベテラン扱いされていた。
「大矢君、ちょっといいかな?」
お客様からの電話も一段落して、電話の前で待機していると上司から呼ばれた。
何事かとおもいながら上司と応接室に入ると、意外な話を聞かされた。
「俺が教育係ですか?」
「実は、今度何人か新しい人が入ってくるんだけど、その指導を頼みたいんだ」
上司は熱心に頼み込んでくる。
「でも……俺なんかでいいんですか?」
自分が人に仕事教えると聞いて、新人は不安になる。これまでの人生で、誰かを指導したことなど一度もないからである。
「ああ、もちろん全員じゃなくて、とりあえずマンツーマンからはじめてもらうから」
「でも……」
「これが上手くいったら、ASV(アシスタントバイザー)への昇格も考えているよ」
上司は出世をちらつかせてくる。
新人もこれはチャンスかと思い、教育係を引き受けることにした。
「わかりました」
「ありがとう。来週からその人たちが来るから、よろしくね」
上司は新人が引き受けてくれて、ほっとした顔で笑った。
そして次の週、朝礼で新しく入ってきた人が紹介される。
男女が半数ずつぐらいだったが、女性はほとんどおばさんである。
しかし、中に一人だけ20代前半の女の子がいた。
「新庄穂香(シンジョウホノカ)です。よろしくお願いします」
長い髪をした女性が頭を下げる。どこか暗い影をまとっていたが、充分にきれいな女性だった。
(いいなぁ……どうせだったら若い子を教えたいけど、どうせおっさんかおばさんなんだろうなぁ)
そう思っていると、上司が彼女を連れてきた。
「それじゃ、新庄さんは大矢さんの隣の席で。彼から仕事を教わってください」
「は、はい」
緊張した様子で、新人の隣の席に座る。
「あ、あの、初めてなんでよくわからないんで、これからお願いします」
穂香はそういって、新人に頭を下げた。
「い、いや。こちらこそよろしくお願いします」
新人も慌てて頭を下げる。
「それじゃ大矢さん、後はよろしくお願いしますね」
そういって上司はさっさと行ってしまう。
後は、ぎこちない様子の二人が残された。
「えっと……私は何をすればいいんでしょうか?」
穂香が不安そうに上目遣いで聞いてくる。
その可愛さに動揺しつつも、新人は先輩として威厳を保っていった。
「そうですね……今日の所は、僕が電話を取っているのを横で聞いていていてください。マニュアルを広げて、受けた電話がどのケースに該当するかを確認して、どう対応するかをメモしていってきください」
自分が受けた指導を思い出しながら、穂香にそう教える。
「は、はい」
穂香は慌ててマニュアルを取り出しながら、こっちをじっと見つめた。
その時、タイミングよく電話がかかってくる。
「お電話ありがとうございます。こちらは、○○電力、お客様相談センターでございます……」
穂香にいいところを見せようと、いつも以上に力をいれて応対する新人であった。
それから特にトラブルもなく時間が過ぎ、休憩時間になる。
「これから交代で三時間の休憩に入るんだけど……弁当とか持ってきた?」
「え? い、いえ。あの、夜中のお仕事なので、そういったものは特には……」
何も用意してこなかったようで、穂香はうろたえている。
「夜中にずっと電話でしゃべっていたらお腹すくからね。軽い物でも何か用意してきたらいいよ」
新人が先輩ぶってそうアドバイスすると、穂香は大きくうなずいた。
「そうですね……隣で聞いていただけの私も、結構お腹すいちゃいました」
そういって照れたように笑う。
その可愛らしい仕草に魅せられて、新人は思わずらしくない事をしてしまった。
「そうか……なら、一緒に食べに行く?近くに24時間営業のファミレスがあるから、おごるよ」
「え? いいんですか?」
奢るといわれて、穂香はちょっと遠慮する。
「うん。入社のお祝いとこれからよろしくお願いしますということで。君の教育には俺の出世がかかっているから、辞められたら困るんだ。だからその投資ということで」
新人がおどけた口調でいうと、穂香は吹き出した。
「出世がかかっているんですか? それならがんばりますね。それじゃ、お願いします」
こうして二人はファミレスに向かった。
ファミレスに入って、新人はカツカレー、穂香はパスタを注文する。
「大矢さんって、今のお仕事長いんですか?」
パスタを食べながら、穂香が聞いてくる。
「今の電力会社のコールセンターに来てからは一年くらいかなぁ」
「え? そうなんですか?すごく落ち着いて話されているから、長くやっているのかと思いました」
穂香が尊敬の目を向けてくる。
気分よくなった新人は、調子に乗って自分のことを話しはじめた。
「実は、僕は前にもコールセンターをしていたんだ。そこから移動して今の職場に移ったんだよ。だからコールセンターの経験としては三年くらいだね」
「そうだったんですか……」
穂香は納得した顔で、ジュースを飲んだ。
今度は新人は穂香のことを聞く。
「新庄さんは、どうしてうちに来たの? 前にコールセンターの仕事をしていたとか?」
「いいえ、コールセンターの仕事は始めてなんです」
「そうなんだ。どうしてうちに入ってきたの? こういってはなんだけど、うちは深夜のコールセンターだから、訳ありの人が多いよ。未経験の若い女の子が入ってくるのは珍しいけど……」
今の職場は中高年が多く、若い女の子は穂香ともう一人で、その子は経験者である。
なぜ最初から深夜のコールセンターの仕事を選んだのか疑問に思っていた。
「あの……実は、母に勧められたんです。前はコンビニの夜のシフトに入っていたんですけど、夜は誰が客で来るかわからないから危険だって。だから安全なオフィスで仕事できるコールセンターをしたほうがいいって言われました」
「でも、コールセンターの仕事は昼の時間帯のものがいっぱいあるじゃない。わざわざ深夜の時間帯で働かなくても……お母さんはそこを心配していたんだと思うよ。そっちのほうが若い女の子が多いから、友達もできやすいし」
コールセンターの仕事は昼間のほうが募集が多く、種類も豊富なので、普通ならそこからはじめるケースが多い。
しかし、穂香はそれを聞くと、つらそうな表情をした。
「実は、私は高校時代にいろいろあって、女の人がたくさんいる職場が苦手なんです。深夜の仕事なら、あんまり同世代の人がいないかなと思って……」
それを聞いて、高校時代にいじめにあった経験をもつ新人も納得する。
きっと彼女もいろいろと辛い目にあってきたのだろう。
「そっか。まあここならおじさんおばさんが多いし、いい人が多いから大丈夫だと思うよ。俺も力になるから、これから頑張ろう」
「はい。よろしくお願いしますね。先輩」
穂香はにっこりと笑って、頭を下げるのだった。
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