第30話 ビルのオーナー
新幹線の止まる駅から徒歩3分
延べ床面積 295㎡ 鉄筋鉄骨造り6階建て
土地面背 70平米
買受可能価格 280万円
三階に入居者あり 家賃4万円
落札者がおらず、そのまま特別売却になった物件だった。
つまり、新人がその気になったら、280万円でビルが手に入るのである。
この物件を見たとき、゜いてもたってもいられなくなって現地に飛んできたのであった。
「細い……」
一目見るなり、新人はそう感想を漏らす。
もちろん築35年を超えたビルなので、外壁がもろくなっていたりくすんでいたりもしていたが、まず一番目に付くのはそのビルの細さであった。
両脇のビルにぴったりとくっつく様に建てられたそのビルは、まるでエンピツのようである。
広めのワンルームに階段がついた程度の広さだった。
一階は元はスナック喫茶だったようだが、とっくに閉店になって壊れた看板がかかっている。
「エレベーターが壊れている」
完全に動かなくなったエレベーターは、むなしく一階で扉が開いたままでとまっていた。
「でも、このビルは無人じゃないんだよな」
だからといって廃墟というわけではなく、ちゃんと入居者がいたのであった。
「とりあえず、話を聞いてみよう」
新人は階段を上がって、三階の入居者の部屋のインターホンを鳴らす。
「はい」
「あの、お電話した大矢といいますが、少しお話をうかがわせていただきたいんですが……」
おっかなびっくり話しかけると、ドアが開いた。
「ああ、これは遠いところをようこそいらっしゃいました。どうぞ中へ入ってください」
出てきたのは、ちょっと太った中年の紳士だった。
中に招き入れられた新人は、女性からお茶を出される。
どうやらここは会社が借りているようだった。
出てきた中年男性は社長らしく、ワンルームの中に区切られた応接スペースに座って名詞を出す。
「はじめまして。株式会社ネットホークスの社長、葛西です」
年下の新人に対して丁寧に挨拶してきた。
「あの、はじめまして。大矢といいます。実は、この物件を購入することを考えているんですけど」
「そうですか。できれば私たちは引き続き借り続けたいんですがね」
そういって社長は新人の意思を伺う。
「それは、このまま借りていてもらいたいと思います。そのほうがこっちも助かりますので。それで、この物件について聞きたいんですけど、正直なところどんな場所ですか?」
新人はあせって少し曖昧に聞く。
問われた社長は少し考えて、話し始めた。
「そうですね……。私はここを借りて15年になりますが、今までなにかトラブルにあったということはありませんね。場所的には駅の近くで、周りは商業地で便利ですよ。引越ししたいと思ったことはありませんね」
それを聞いて、新人は安心する。以前現地調査を怠って失敗してしまったので、今回は手を出す前に入居者に話を聞こうと思ったのだった。
しかし、ふと疑問に思う。
「あの、社長さんはこのビルが競売にかかっている事を知っているんですよね」
「ええ、知っていますよ。半年ほど前に裁判所の職員が写真を取りに来ましたからね。入居者として話を聞かれました」
「なら、どうして入札しようとしなかったんですか?自分が借りているビルが競売にかかるのに……」
新人が思うことは正しい。社長が落札すれば、もう家賃を払わなくてすむようになるはずである。
それを聞いて、社長は説明を始めた。
「私もそうおもって税理士さんと相談したんですが、反対されました。理由は今はよくても、取り壊したりリフォームしたりするときにお金がかかるといわれたので。私たちの会社に必要なのは、三階部分の広さのスペースだけなので、それ以外の階を手に入れても使い道がないのですよ」
そういって社長は穏やかに笑う。
「そうなんですか?ちなみにお仕事は?」
「IT関連の事業をしております。社員も数人の小さい会社ですね」
それを聞いて新人も納得する。
(なるほど。環境には問題ないみたいだ。たしかに取り壊しをしたらお金がかかりそうだけど、見た限りじゃしっかりと建っているみたいだし、中をリフォームしたら充分に人に貸せるだろう)
総合的に考えて、新人はこの物件を手に入れる決断をする。
「わかりました。お話を聞かせてくれてありがとうございました。今から裁判所に行って、落札しようと思います。これからよろしくお願いしますね」
新人は立ち上がって、頭をさげる。
「いえ、私もこのまま落札者が決まらなかったらどうなるのか不安だったので。新しくオーナーになる人がいてほっとしましたよ。よろしくお願いします」
社長も立ち上がって礼をする。
新人はビルを出ると、そのまま裁判所に向かって落札の手続きをするのだった。
落札後、所有権移転の手続きが終わったことを確認して、近くの不動産屋に元の所有者との引渡し交渉を依頼する。
特にトラブルもなく交渉は進み、この物件の各部屋の鍵を渡してもらえた。
「よし。それじゃ中を確認しよう」
三階を除く部屋はそれぞれが独立しており、五階と六階だけがひとつの世帯になっていた。
まず一階からはいってみる。
「うっ……」
かなり傷つき軋んでいるドアを開けると、誇りっぽい臭いが漂ってきた。
「ひどいな…」
予想を超える荒れっぷりである。中はゴミだらけ、埃まみれだった。
業務用冷蔵庫などもそのまま放置されており、電気の切れた中には10年前のジュースが放置されている。
「ここは元は飲み屋兼喫茶店だったみたいだな」
中に放置されていた看板には、「喫茶ポワロ」とかかれていた。プラスチックが割れているのがなんとも物悲しい。
「ここは掃除とゴミ捨てだけだな。内装は借り手がみつかったら、勝手にしてもらおう」
そうつぶやくと、二階に向かう。
ワンルームで賃貸に回していたらしく、古い和式トイレと申し訳程度の風呂がついていた。
「ここは風呂釜だけ変えて、壁紙とかはそのままにしよう」
とにかく古いビルなので、借り手もその事については納得しているはずである。
なので最低限のリフォームだけして、家賃を下げることで入居者を募集することにした。
「トイレは和式だけど、水洗だから問題ない。かぶせるだけで洋式に変えることができるポータブルトイレをつけよう」
今時、トイレは洋式でないとなかなか入居者が見つからない。かといって和式トイレを洋式にすると15万円ほどかかってしまう。
ホームセンターで売っている簡易洋式トイレをつければ、三千円で済むのだった。
「あと、やっぱりエアコンはつけないといけないよな」
古いエアコンは一応ついているみたいだが、スイッチを入れても作動しなかった。
どうしても必要なものとして、新品を取り付けることを決める。
「こんなもんか……ほかの部屋も見てみよう」
新人は大体のリフォームの目星をつけながら、階段を上がっていった。
四階は二階とほぼ同じ間取りで、中にも何も残っていなかった。
五階と六階はセットになっていて、同じ電気ブレーカーでつながっていた。
相変わらず中はゴミだらけで、五階にはDKと和室、そして6階に八畳間の2DKである。
六階に上がった新人は、思わず喜びの声を上げた。
「広いベランダがある! 」
六階の八畳間に直接つながっているベランダは、八畳ほどの広さで、開放感があった。
「風が気持ちいいなぁ」
ベランダにでて、新鮮な空気を吸う。
このビルが建っている所は駅近くの海のそばであり、潮風が気持ちよかった。
ベランダからは近くの駅が見える。少し離れたところにある道路には多くの車が行きかっていた。
「近くになんでもあるんだな」
ベランダからはショッピングモールや大規模電気店、24時間やっている駅前食堂やスーパーなど何でもそろっている。たしかにここは便利がいいところだった。
「ここなら借りてくれる人もいるだろう」
新人は新たな希望を感じるのだった。
無事に280万で六階建てのビルを手にいれた新人は、近くの不動産屋からリフォームの見積もりを提示されていた。
「二階と四階と五階のお風呂のリフォームと、キッチンの交換。それに中のごみ捨てと、ハウスクリーニングで約200万か……」
最低限にリフォームを抑えても、結構かかることがわかった。
「ええ、これくらいはしないと、いくら駅が近くて便利だといっても、入居者は見つからないでしょうね。今は特に部屋が余っていますので……」
「しょうがないですね。お願いします」
不動産屋にリフォームと部屋の募集を依頼する。
問題なくリフォームが終わって新しい入居者の募集を始めた。
・一階の店舗 家賃3万円
・二階と四階のワンルーム 家賃4万円円
・五階と六階のメゾネット 家賃4万5千円
それぞれの部屋を家賃設定して、皮算用を始める。
(えっと……今家賃が二軒で13万円 それと三階の家賃4万円の合計17万円か。さらに入居者が全部決まると追加で15万5千円で、合計家賃収入がなんと32万5千円だ。それに給料24万を足すと……毎月収入が56万5千円か! やった!)
思わず顔がにやける新人だったが、現実は甘くなかった。
これから長い長い忍耐の時を過ごすことになるのだった。
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