第29話 車の免許
「なんか、駅まであるくの面倒だなぁ」
真壁さんがつぶやく。
「私たちは酒を飲むから、車に乗れないしね。そうだ。大矢君は酒を飲まないんだし、次から車で駅まで送っていってよ」
当然のように言う田中さんだったが、新人は首を振って断った。
「無理ですよ。だって俺、車もってないですし」
「え? 家を何軒も持っているのに?」
田中さんたちは意外そうな顔で新人を見る。
「ええ。車の運転免許を持ってないので」
さらっと返す新人だったが、残り二人は驚いた。
「え? 免許持ってないの?」
「なんで?」
まるで珍獣を見かけたような反応をするので、新人はすねる。
「だから言ったじゃないですか。俺は高校出てからずっとニートだったんですよ」
「それにしたって、時間はあっただろう?」
「免許とる金がなかったですよ。親も出してくれなかったし」
新人は昔を思い出して悲しそうな顔になる。
高校を卒業してニートしていた頃、親に免許取りたいと頼んだら、相手にしてくれなかったのである。
「何で働きもしてない奴に免許なんているんだ?」
父親はそういって馬鹿にしたよに笑う。
「新人君は車を運転したら危ないから、そういうのは働きだしてからでね」
過保護な母親は事故を起こすことを心配して、車の運転に反対だった。
「でも……車の免許なんてみんな持っているし、せっかく時間あるんだから、この機会に取りたい」
「で、仮に免許取った後はどうするんだ?言っておくが、私の車は貸さないぞ」
父親からは断固として拒否される。
「……」
「どうしてもというんなら、バイトして自分で免許とる金ぐらい稼ぎなさい」
「……そうね。いい目標になるんじゃない?これを目標にアルバイトでもして……」
「もういいよ! 」
自分に協力してくれない父親と、自分を働かそうとする母親に怒り、新人は自分の部屋に帰ってしまうのだった。
結局、新人は小遣いをためて、原付の免許を取ることしかできなかった。
(今思うと、あの時は一つのチャンスだったのかもな。あそこで頑張って働いていれば……)
親に甘えていたことを思い、新人はほろ苦く笑う。
両親の死後、家にあった車は兄が処分したのか、いつの間にかなくなっていた。
そんな訳で、新人はずっと原付に乗っていたのである。
そんな彼を、田中さんと真壁さんはあきれたように見つめた。
「大矢君、今時の男だったら運転免許ぐらいは持ってないと、将来困るぞ」
「そうだよ。君はもう立派な大人なんだから、免許を取ったほうがいいよ」
二人にそういわれて、新人は困ってしまった。
「でも……俺の両親は車に轢かれて死んだんだし、もし事故でも起こしたら……」
そう躊躇する新人だったが、二人は説得を続ける。
「そうか。確かにご両親は残念だったが、将来のことを考えたら車に乗れるようになっていたほうがいいよ。大矢君だってまだ若いんだし、いつまでもアルバイトというわけにもいかないだろう?いつかは正社員になりたい気持ちもあるんだろう?」
「それは確かにそうですけど」
「なら、車を運転できなかったら大きなマイナスになるぞ。今の時代、免許なんてあって当然だからな。なかったら正社員で働くといっても限られてくるぞ」
社会人経験豊富な田中さんの言葉に、新人の心も動く。
「やっぱり、免許は取っておいたほうがいいんでしょうか?」
「それは当然だよ。それに、もし君に彼女ができて、ドライブに行きたいとか言われたときにどうする?免許が泣けれはレンタカーも借りれないぞ。今はアルバイトで時間あるんだから、今のうちに取っておいたほうがいい」
真壁さんもそういって、免許取得を勧めた。
「わかりました。それじゃ自動車学校に通いますよ」
新人はこうして免許を取ることを決意するのだった。
それから数ヶ月も時間はかかったが、何とか免許が取れた。
「うーん。やっぱりドライブは気持ちいいなぁ……」
中古の軽自動車も買って、休日はドライブを楽しいでいる。
いつの間にか、新人はすこしずつ人生が充実していっているのを実感していた。
「後は彼女が出来ればいいんだけどなぁ」
さわやかな風を体に受けながら、新人は一人さびしくつぶやく。
毎月の収入は37万を超え、生活に余裕が出来た。
貯金も家を売ったお金と毎月の貯蓄で、一千万円の大台を確保している。
友人も出来て、仕事にも不満はなく毎日が充実している。
なのに彼は相変わらずモテないままだった。
「一応、生活も改善して、ずいぶん痩せたつもりなんだけどなぁ」
二年前に両親が死んだときは小太りニートだったが、今では少しは痩せて普通になっている。
以前に保険のコールセンターで同僚の女性から気持ち悪いといわれ続けていた自分からは、大分マシになったと思っていた。
「やっぱり、職場が悪いのかな? 出会いがないせいか?」
新人は思わずそう思ってしまう。
今の電力会社のコールセンターは、以前の保険だった頃とは違って男性も多かった。
それも訳ありのおっさんばかりである。
女性もいるが、彼女たちは皆オバサンばかりであった。
「ま、仕方ないか。さすがに深夜のコールセンターで働こうなんて若い女の子は少ないかも」
考えてみたら敬遠されるのは当然だった。
もともとコールセンターという職場は女性が多い。なので、昼の時間帯の求人はいくらでもある。
若い女性が夜に働くのなら、稼げる仕事はたくさんある。
そんなわけで、新人が働いている電力会社のコールセンターだけなかなか出会いがなかった。
「ま、いいや。どうせ今まモテなかったんだから、いまさらジタバタしても仕方ないか。そのうちにいい出会いもあるだろう」
新人はそう自分に言い聞かせると、目的地に向かって車を走らせるのだった。
「ここが、競売で売れ残ったビルか……」
新人はそのビルを見上げてうなり声をあげる。
車を手にいれて行動範囲が広がった新人は、県内すべての市や町までいい物件がないか探すようになった。
そして、今住んでいる政令指定都市から来るまで二時間ほど離れた所に、古いビルが競売で売れ残っているのを発見したのである。
今日はその物件の見学に来ていたのであった。
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