第28話 大人の付き合い
「やっぱり、長いローンを組んで、新築でマンションを買うのって、結構大変なんでしょうか?」
「ああ。考え方は人それぞれだけどさ。少なくとも僕は失敗したとおもうね。人生なんて先はどうなるかわからないし、一度ローンを組んだらもうずっと縛られてしまう。新築の物件は値下がりが激しいから売ったら損するし、マンションは管理費も馬鹿にならない。もうがんじがらめさ」
田中さんからは、人生の悲哀が伝わってくる。
新人は思わず同情してしまうのだった。
「で、でも御家族はいらっしゃるんですよね。俺なんか両親が死んでずっと一人だから、すごくうらやましいです」
新人がそういうと、田中さんは打って変わっていい笑顔を浮かべた。
「まあ、家族仲はいい方だと思うよ。僕がリストラされたときも、妻も子供も責めなかったし。妻もパートでがんばってくれているし、子供たちもアルバイトして少しだけとお金を入れてくれる。まあ。住む場所があって、家族が健康ならそれで幸せさ」
幸せそうな田中さんを見ていると、今度は新人のほうがうらやましくなってきた。
(いいなぁ……確かに一人暮らしは気楽で楽しいけど、たまに寂しくなるんだよね。俺にはあんまり友達もいないし)
高校卒業した後は引きこもっていたので、昔の友達とは縁が切れている。
新人は孤独を感じて、思わず暗くなってしまうのだった。
「ところで、大矢君はこれはできる?」
田中さんは何かをかきまぜるような仕草をする。
「え?なんですか?」
「麻雀さ。この職場には僕と真壁さんしかやる人がいないから、なかなか相手が見つからないんだ。よかったら今度してみないか?」
田中さんはそういって、ニヤっと笑う。
今まで麻雀なんてしたことがなかったので、新人はちょっと怖くなってしまった。
「い、いや。俺はギャンブルはしないんで……」
田中さんの誘いを断ろうとする。
「そうか。なら今度飲みに行こうよ」
「すいません。俺は酒も飲まないんですよ」
酒の誘いも断る。そんな新人をみて、田中さんはやれやれと肩をすくめた。
「大矢君は真面目だねぇ。酒もギャンブルもしないということは、これかい?」
田中さんは小指を立ててくる。新人は思わず真っ赤になってしまった。
「い、いや。その……俺は実はニートだったんで、女の人と付き合ったこともないんですよ」
思わず自分の過去の黒歴史を白状してしまう新人だった。
そんな新人に、田中さんは思わず同情してしまう。
(かわいそうに……この子には先輩といった存在がいなかったんだな。これは私が社会のことや付き合いを教えてあげないと)
田中さんは優しく新人の肩に手を置いて諭す。
「社会にはいろいろ楽しいことがあるよ。大人なんだから楽しまなければ。そうだな。とりあえず麻雀から始めてみないか?」
「でも、ギャンブルなんて」
以前パチンコや競馬で痛い目にあったので、怖がる新人に、田中さんは安心させるように話す。
「大丈夫さ。友達同士でやる麻雀なんかに、そんな高いレートでかけたりしないよ。そうだな。真壁さんも誘って、友達レートでしよう。これなら大負けしても、大したことにはならないよ」
「でも……」
「友達同士でする麻雀は楽しいぞ」
そう誘ってくる田中さんに、新人の心も動く。
「わかりました。今度教えてください」
「そうこなきゃ」
田中さんは楽しそうに笑った。
それから数ヶ月
休日になるたび、雀荘でマージャンを打っている新人の姿があった。
「ロン! 一発! 」
「あちゃー」
失敗したという顔をする新人と、満面の笑みを浮かべる田中さん。
「大矢君。なんでそんなの捨てるかな~。超危険牌じゃん」
対面に座っているがっしりとした男性、真壁さんが苦笑する。
「だ、だって俺もあがりそうだったし……」
新人は悔しそうに牌を倒して開示する。
「どれどれ……。仮に上がったとしても、たいした点数じゃないじゃん。こういう場合は降りないといけないよ。何でもかんでも突っかかってくればいいってもんじゃないよ。相手は親なんだから」
「……」
悔しそうに下を向く新人。
「はい。一万二千点♪」
しぶしぶ田中さんに点棒を払う。
「どうするかな~これで合計マイナス100点だけど、何ならここでやめて、泣いて帰るかい?」
田中さんのからかうような声に、新人は顔を真っ赤にする。
「なんの、まだまだ! 」
「よーし。そうこなきゃ」
こうして新人は麻雀にはまっていくのだった。
数時間ほど続けて、コテンパンに負けた新人は、ついにギブアップする。
「負けた……もう麻雀なんかしない」
「はい。ごちそうさま」
ふてくされた顔をする新人に、ホクホク顔の田中さんと真壁さん。
「よし。それじゃ飲みにいこう。おごってあげるから」
「それ僕から巻き上げた金じゃないですか」
「まあまあ」
中年二人は怒る新人をなだめ、近くの居酒屋に連れて行った。
「はい。それじゃ乾杯! 」
「……乾杯! 」
田中さんと真壁さんはビール、新人はウーロン茶の入ったコップを触れ合わせる。
二週間に一度はこうやって三人で集まって、麻雀をしたり酒を飲んだりするようになっていた。
新人もなんだかんだいいながら、彼らとの付き合いを楽しんでいる。
「しかし、今の仕事は楽なのはいいけど、もう少し稼げないかねぇ……」
酒に酔った田中さんが愚痴をこぼす。
「まったくですよ。いろいろ引かれて手取り20万じゃあねえ。夜間の仕事なんだしもうちょっと時給を上げてくれてもいいのにね」
真壁さんが返す。彼は元自衛隊員で、除隊後は一般の会社に再就職していたが、そこで人間関係になじめず退職してこのコールセンターに入ってきたのだった。
「俺は給料には不満はないですけどね。仕事も楽だし、いやな人もいないし」
「まあ、それはいえるかもね」
田中さんたちは苦笑する。
夜間のコールセンタへーに応募してくる人は、男女ともそれぞれリストラされたりトラブルがあって元の会社でつらい思いをした人が多かった。
なのであまり他人に積極的には関わろうとしない。居心地のいい距離感があった。
皆それぞれのグループ同士でまとまり、人間関係も悪くない。
新人も社会に出て初めて友人ができて、孤独から解放されていた。
楽しく飲んで愚痴を言い合い、夜の10時にお開きとなる。
居酒屋から出た三人は、駅までの道を歩いていた。
「なんか、駅まであるくの面倒だなぁ」
真壁さんがつぶやく。
「私たちは酒を飲むから、車に乗れないしね。そうだ。大矢君は酒を飲まないんだし、次から車で駅まで送っていってよ」
当然のように言う田中さんだったが、新人は首を振って断った。
「無理ですよ。だって俺、車もってないですし」
「え? 家を何軒も持っているのに?」
田中さんたちは意外そうな顔で新人を見る。
「ええ。車の運転免許を持ってないので」
さらっと返す新人だったが、残り二人は驚いた。
「え? 免許持ってないの?」
「なんで?」
まるで珍獣を見かけたような反応をするので、新人はすねる。
「だから言ったじゃないですか。俺は高校出てからずっとニートだったんですよ」
「それにしたって、時間はあっただろう?」
「免許とる金がなかったですよ。親も出してくれなかったし」
新人は昔を思い出して悲しそうな顔になる。
高校を卒業してニートしていた頃、親に免許取りたいと頼んだら、相手にしてくれなかったのである。
「何で働きもしてない奴に免許なんているんだ?」
父親はそういって馬鹿にしたよに笑う。
「新人君は車を運転したら危ないから、そういうのは働きだしてからでね」
過保護な母親は事故を起こすことを心配して、車の運転に反対だった。
「でも……車の免許なんてみんな持っているし、せっかく時間あるんだから、この機会に取りたい」
「で、仮に免許取った後はどうするんだ?言っておくが、私の車は貸さないぞ」
父親からは断固として拒否される。
「……」
「どうしてもというんなら、バイトして自分で免許とる金ぐらい稼ぎなさい」
「……そうね。いい目標になるんじゃない?これを目標にアルバイトでもして……」
「もういいよ! 」
自分に協力してくれない父親と、自分を働かそうとする母親に怒り、新人は自分の部屋に帰ってしまうのだった。
結局、新人は小遣いをためて、原付の免許を取ることしかできなかった。
(今思うと、あの時は一つのチャンスだったのかもな。あそこで頑張って働いていれば……)
親に甘えていたことを思い、新人はほろ苦く笑う。
両親の死後、家にあった車は兄が処分したのか、いつの間にかなくなっていた。
そんな訳で、新人はずっと原付に乗っていたのである。
そんな彼を、田中さんと真壁さんはあきれたように見つめた。
「大矢君、今時の男だったら運転免許ぐらいは持ってないと、将来困るぞ」
「そうだよ。君はもう立派な大人なんだから、免許を取ったほうがいいよ」
二人にそういわれて、新人は困ってしまった。
「でも……俺の両親は車に轢かれて死んだんだし、もし事故でも起こしたら……」
そう躊躇する新人だったが、二人は説得を続ける。
「そうか。確かにご両親は残念だったが、将来のことを考えたら車に乗れるようになっていたほうがいいよ。大矢君だってまだ若いんだし、いつまでもアルバイトというわけにもいかないだろう?いつかは正社員になりたい気持ちもあるんだろう?」
「それは確かにそうですけど」
「なら、車を運転できなかったら大きなマイナスになるぞ。今の時代、免許なんてあって当然だからな。なかったら正社員で働くといっても限られてくるぞ」
社会人経験豊富な田中さんの言葉に、新人の心も動く。
「やっぱり、免許は取っておいたほうがいいんでしょうか?」
「それは当然だよ。それに、もし君に彼女ができて、ドライブに行きたいとか言われたときにどうする?免許が泣けれはレンタカーも借りれないぞ。今はアルバイトで時間あるんだから、今のうちに取っておいたほうがいい」
真壁さんもそういって、免許取得を勧めた。
「わかりました。それじゃ自動車学校に通いますよ」
新人はこうして免許を取ることを決意するのだった。
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