第27話 転職

コールセンター

いつものように電話を受けていると、女性上司から呼ばれる。

「新人君、ちょっといいかな?」

なぜか笑顔を浮かべている。いつもは難しい顔をして眉間にしわを寄せているので、新人は不気味に思った。

「いいですけど……電話はいいんですか?」

新人は電話についている赤ランプを指差す。これは5分以上待っている人がいることを示していた。要するに電話がたくさんかかってきている修羅場状態だった。

「まあ、いいでしょ。最近みんな頑張っているし、新人君一人抜けるくらいは」

そういって応接室に招く。

いつもと違った雰囲気で、新人は不安になった。

「あの、お話ってなんでしょうか? お客様から私を名指しで苦情がきたとか、女性から気持ち悪いと苦情がきたとか、あと……」

新人は今まで経験したトラブルを挙げて身構える。とくに後者は雨の日に濡れた靴下が気持ち悪くて思わずオフィスで脱いでしまい、足の臭いを周囲に振りまくといった大失態をやらかしていた。

そのときは一ヶ月も冷たい目で見られていたので、ずいぶん肩身の狭い思いをしたのである。

しかし、上司は苦笑して首を振った。

「いや、別にそんなことはないよ。君もあれから身だしなみに気をつけるようになったし。特に苦情とかはあがってないよ。それどころか、先月は君が受電処理数がトップだったよ。頑張っていると感心しているくらい」

「はあ……ありがとございます」

新人はそういって恐縮する。

最初のころは苛めなんじゃないかと思うくらい厳しく指導されたのだが、新人が戦力になるに連れて女性上司の態度も和らいできた。女性の中にほんのわずかにいる男性の中でも一番古いベテランとして、少々のトラブルはかばってくれるようになってきている。

「それで……お話とは?」

「大矢君、最近この近くに引越ししたんだよね」

女性上司は新人から提出された住所変更届を確認しながら言う。

「ええ。そこだと通勤が便利なんで」

新人は満足そうに言う。現在の場所に移ってから、生活が便利で楽しくなった。

こうして都会の真ん中に過ごすと、元の実家がいかに不便だったかを実感してしまう。

地方都市の郊外の団地と中心部ではやはり生活の質が違った。


「実は、そのことで相談があるのよ」

上司は淡々と説明を始めた・

「うちの会社は、コールセンター専門の請負をしていることは知っているよね。今大矢君がやっている保険の案内だけじゃなくて、携帯とか通販とかの案内もしている。それで、新たに電力会社の夜間受付の仕事も受注したので、コールセンターを立ち上げることになったのよ」

あまり知られてないが、電力会社は24時間電話の受付を行う部署がある。電気は市民の生活に直結しており、緊急の場合に停電が起こると命にかかわることもあるからである。

「それで、夜間に働いてくれる人を募集しているんだけど、全員が素人ってわけにも行かないので、何人か今コールセンターで働いている人を引き抜くことになったの。でも夜間だから女性には不向きで、なかなか行ってもいいという人がいなくてね」

女性上司はそういってため息をつく。

「なるほど……。男でしかも家が近い俺が適任ってわけですか。ちなみに条件は?」

「ここよりいいわよ。私も家庭を持ってなかったら、行きたいぐらい」

そういって、詳しい条件を話す。

勤務時間は20:00~翌朝9:00だけど、途中で休憩が三時間あり、仮眠室もある。

時給が基本1200円に加え、深夜手当て25%が22;:00~翌5:00の間につく。

仕事の内容は停電の受付や引越し手続きの電気使用・廃止、そして料金支払いについての案内で、保険の案内とくらべると苦情も少ないらしい。 

最大で月に170時間働けるので、給料は約24万円ほどになる計算だった、

しかも休日が月に13日も取れる、週休3日制である。

「どうかな? 拘束時間は長いけど、その分時給が高いし、途中家に帰って休んだりもできるよ。夜間だから電話も少ないし、うちみたいに早く電話とれってせかされることもないよ」

女性上司は必死にいいところをアピールしてくる。

確かに好条件なので、新人も考える気になった。

(給料24万円は魅力的だな。どうせ働く時間は10時間で今と大差ないし。給料24万円+家賃13万円ということは、合計37万円か。一気に高収入だ)

新人はこれはチャンスだと思い、決心をする。

「わかりました。このお話をお受けします」

それを聞いて女性上司もほっとする。

「うん。がんばってね。君だったらすぐにASV、SVと出世していくよ。将来はうちの会社で正社員になれるんじゃない?そういう人もいるみたいよ」

「ははは。頑張ります」

新人はそういって頭を下げるのだった。

そして一ヵ月後、研修を受けた新人は、新しい職場に移動になる。

「お電話ありがとうございます。こちらは○○電力会社、お客様センターでございます」

研修のマニュアル通りに電話に応対し、住所変更や停電の受付をこなす。

たまに料金支払いの相談などがあるが、複雑な話になると別室に控えている電力会社の社員に電話を回す。

夜間なのであまり電話もかかってこず、保険のコールセンターに比べたら楽だった。

夜の八時から深夜まで電話を応対し、その後順番に三時間の休憩に入る。

ほかのアルバイトたちは休憩室で横になったり、ご飯を食べに行くが、新人は違った。

「大矢君はいつもどこに行くの?」

同僚の田中さんという、40代の男性に声をかけられる。新人はいつも夜中に出て行くので、不思議に思われていた。

「ああ、実は俺の家は近くなんで、いつも帰っているんですよ」

「へえ……この近くに住んでいるんだ。便利だからいいねぇ」

大企業をリストラされ、さんざん就職活動をして、ようやくこの仕事にありつけたというその男性は新人をうらやむ。

彼は二時間かけて市内の中心部にあるこの職場まで通っていた。

「ええ。この近くの一戸建てを持っているんで」

新人は屈託なく笑う。今の生活に心底満足していた。

「でも、この辺の一戸建てって、何千万もするんじゃない? ああ、ご両親と同居されているのか」

田中さんは納得したような顔になる。

「いえ、俺は一人暮らしですよ」

「えっ?でも、さっき家を持っているって言ったよね?」

「実はですね……」

新人は競売で手に入れたことを話す。たった400万円で市内の中心部に家を手に入れた話を聞いて、田中さんは驚いた。

「へえ……世の中にはそんなやり方があるんだ。うらやましい。僕も最初からそうすればよかったよ……。そうすればこんなに苦労することはなかったのに」

田中さんは深いため息をつく。

「そういえば、田中さんって結構遠くから通っていますよね」

「ああ。かなり前に新築で買ったマンションでね。あのころはまさか自分がリストラされることなんて思いもしなかったからなぁ……」

田中さんは遠い目をする。

「自宅を売って、近くに引っ越してくれば?」

「僕はそうしたいんだけど、なかなか難しいね。あと20年もローンは残っているし、いまさら売ってもマンションだから相当値段が下がっていて、ローンを返せないんだよ。結局、そこにすむしかないのさ」

田中さんは寂しく笑うのだった。

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