第9話 落札

それから三週間後

一人家で新聞を読みながら、奇声をあげている新人がいた。

「ば、ばかな……そんな……」

競売の結果が載ってある記事には、「物件番号123 不買」と掲載されていた。

要するに、誰一人入札者がいなかったせいで、売れ残ったのである。

「またかよ……意外と売れ残るケースが多いのかな。それとも、この辺りって人気がないのか?」

前回参加した物件も一度は売れ残って、再競売にかかっていた事を思い出す。

「いや、前のはすぐに売れたんだ。別にこの辺りが変な地域なわけじゃないし……」

なんだかんだいって30年近く住んでいるのである。この町の事は小さい頃から良く知っていた。

「まあ、たまたまかもしれないし。それにしても惜しかった。買受可能価格で入札しておけば……」

新聞を握り締めて、悔しさのあまり奥歯をかみ締める。

面倒くさがらずに最初から入札さえしておけば、今頃自分のものになっていたのである。

「いや。まだチャンスはある。えっと、『特別売却』の日程は……」

売れ残った場合、「特別売却」にまわされ、後日再び競売にかけられるのである。

もしそのときに誰も競争相手がいなければ、160万で手に入れることができる。

「来週の木曜日か……。無理をしてでもバイトを休んで、裁判所に行こう」

新人は今度こそ、何が何でも手に入れることを決心し、本気になって準備するのだった。


競売物件とは、普通の不動産売買ではなく、特殊な売買になる。

当然ながらそのメリットとデメリットを熟知しておかないと、大やけどする事もあるのだ。

メリットとしては以下のものがある。

①相場より安い価格で手に入れられる

②市場では物件が出にくい地域でも出ることがある。

しかし、当然ながらデメリットもあるのだ

①物件の引渡しは個人でしなければならない

②物件になにか問題があっても、保護されない

③住宅ローンが使えない

これらのデメリットを克服すべく、新人は必死に勉強をする。

そして迎える一週間後の運命の日、新人は約40万の保証金と必要書類を持って、裁判所に出掛けるのだった。


とある地方裁判所の前に、完全に準備を整えた新人が立っていた。

来るのは二回目になるので、以前よりは余裕を持つ事ができた。

「今回こそ、絶対に手に入れてやる。他に応募者がなかったらもちろん最低価格の買受可能価格で、もし他にいたら200万以上の金額を書いて入札しよう」

以前の失敗から、少し多めの予算を心に決めている。

また、もし10時に始まる『特別売却』に遅れた場合は入札に参加すらできない場合があるので、

新人は念のために早めに家を出て、9時に裁判所に到着していた。

「えっと……たしかこっちだったな」

前回競売が行われた部屋に行くが、なぜかそこは別な部署になっていた。

「えっ?もしかして、移動した?」

どうやら今月から競売を取り扱う部署が移動したらしい。突然のことでとまどう新人を、裁判所の職員が不審そうな目で見つめてくる。

「あの……何か御用ですか?」

怖そうなおばさんから話しかけられ、新人は慌ててしまった。

「あの……えっと。競売に参加したいんですけど、特別売却はどこで開かれるのですか? 」

勇気を出して聞くと、彼女は意外にも気さくに教えてくれた。

「ああ、その部署は新しく建てられた別館に移動しましたよ」

そういって詳しく場所を教えてくれる。

「あ、ありがとうございました」

礼をして教えられた別館に行くと、「不動産執行部』と真新しい看板がかかっている。

新人は迷ったもの、なんとか開始30分前に別館に到着することができたのだった。



裁判所別館

新しくできた別館は綺麗で、部屋の中には清潔なソファが並んでいる。

「ふう……ここだ。間に合った」

なんとかたどり着いた新人は、ソファに座って開始を静かに待つ。

開始20分前からポツポツと人が集まり始めた。

相変わらず、一癖も二癖もありそうな怪しげな人たちに見える。

競売の特別売却にかかるような物件は当然ながら数が少なく、新人の目から見たら他にめぼしい物件はなかった。だから全員が新人と同じ物件を狙っているのではないかと思ってしまう。

「どうせ、こいつらもあの物件目当てなんだろうな……」

新人はそんな疑心暗鬼にとらわれ、敵意がこもった目を向けてしまった。

彼らはそんな新人を無視して、お互いに談笑していたりする。

「お宅は、今回はどの物件で? うちは×××ですよ」

「そうですか。うちは△△△ですね。今回はかぶらなくてよかったですね」

どうやら顔見知りらしい二人のサラリーマン風の男は、競争しなくてほっとしているようだ。

「うちも大変ですよ。不動産がなかなか売れなくてね。競売にかけられた家でもないと、なかなか利益がでないですよ。まあ、自殺者が出たとかの類の『事故物件』じゃないから、黙っていれば元は競売物件だと一般人はわからないですし。ちょっと安く売り出せば、すぐに買い手がつきますよ」

「うちは今回落札できたら、賃貸にまわすと社長が言っていました。ふふ、思い切りリフォーム代をけちって見た目だけ綺麗にして、高く貸すつもりでしょう」

二人はあははうふふと不気味に笑いながらそんなことを言い合っている。

彼らは建設会社や不動産会社の社員らしかった。

海千山千のプロ同士の腹黒い会話を小耳に挟んで、思わず新人は恐怖した。

(プロと競り合って、勝てるのかな? )

スーツを着た男達に気後れする新人。

(それに、もし落札しても、今度はどうやって住人を追い出せばいいんだろう。一応最後には裁判所が面倒を見てくれるみたいだけど、何十万も追加で費用がかかったり、最悪逆恨みされて危害を加えられたりしたら……)

悪い想像ばかりが持ち上がってくるが、いまさら後には引けない。

悶々としながらひたすら開始時間を待っていると、やっと10時になって裁判所の職員が出てきた。

「物件番号☆☆☆を希望する方」

「はい」

職員に目当ての物件について読み上げられるたびに、ソファに座って待っていた者たちが部屋に入っていく。

ある物件は一人だけで、またある物件は複数の人間が入札に参加していった。

「次は、物件番号123の方」

ついに目当ての物件が読み上げられる。

「は、はい。僕でしゅ」

新人が立ちあがるが、あまりに緊張していたために舌をかんでしまった。

職員はそんな新人をみてクスっと笑い、話をつつける。

「物件番号123を希望される方は、他にいらっしゃいませんか?」

確認するようにあたりを見渡すが、まだ控え室に残っていた数人の男女に動く気配はない。

(え? 俺だけ? も、もしかして……)

新人の心に徐々に喜びがわきあがってくる中、職員は冷静に告げた。

「はい。ではお一人ですね。それでは、買受可能価格での落札が可能です」

それを聞いた瞬間、思わず新人はガッツポーズを取ってしまった。

「や、やった! これで160万で一戸建てが手に入る! 」

頭の中にずっと妄想していた、夢の大家生活のイメージが蘇る。

新人は確かに、このとき「働かないで楽して生きていく」という自分の夢に対しての一歩を踏み出していたのであった。

「えっと……もしもし」

一人バラ色の未来を思い浮かべてボーっとしている新人に、職員が声をかける。

「は、はい! なんでございますでしょうか?」

ハッとなった新人は、思わず直立して返答をした。

「それでは、中に入って手続きをお願いします」

職員に言われるまま、天にも昇る気持ちで新人は手続きをする部屋に入る。

その時、頭のはげた中年男が、息を切らして控え室に入ってきた。

「はあ、はあ……もう入札は始まっていたのか。間に合わなかったな……。今月から場所が変わるなんて聞いていなかったぞ」

暑苦しいその男の体からは、湯気が立ち上っている。

どうやら相当走ってきたようだが、場所が分からなかったようだった。

(ご愁傷様)

新人は早めに裁判所に来た自分の幸運を思い、笑みを浮かべて部屋に入っていく。

しかし、ここですんなりと手続きは終わらないのだった。

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