第10話 手続き

裁判所 不動産執行係の別室

そこでは、複数の応募者があった物件の入札が行われようとしていた。

「物件番号××× の方、こちらに来てください」

大きな部屋のカウンターの前では、先ほどのスーツの男が、入札用紙に金額を書いて封をし、投票箱に入れていく。

(俺はもう買受可能価格落で札が決まったから、気楽なもんだな)

「では、一人しか応募がなかった物件の方はこちらにきてください」

「はい」

その言葉に従い、新人を含めた数人がその職員のところに集まった。

「手続きは後程しますので、まずは必要書類である住民票の提出をお願いします」

「はい」

それにしたがって、入札者が他にいなかったおかげで最低価格で買える運のいい参加者が次々と自分の住民票を提出していく。

もちろん新人も用意してきた住民票を出した。

(これでもう確定だな……安く手に入れることができて、本当によかった)

勝利の余韻に浸っていると、隣で行われていた入札の物件が読み上げられた。

「では、物件番号123について入札される方」

「えっ?」

一瞬聞き違いと思い、思わず間抜けな声が出る。

それは、新人が先着順で落札するはずだった物件だった。


(ち、ちょっと待て。さっき入札は俺一人だったから、先着順で入札は行われないはずじゃ?)

訳か分からなくて混乱している新人をよそに、再入札はどんどん進められていく。

「はい。私です」

職員の声にこたえて立ち上がったのは、なんと最後に控え室に入ってきた禿頭の男であった。

(そ、そんな馬鹿な……さっき誰もいないって職員が言っていたはずなのに……)

いきなり天国から地獄に突き落とされた気分になる新人だった。

「えっと……物件番号123の方はお一人ですか?おかしいですね。再入札にかかるということは、もう一人いるはずですが……」

職員も混乱している。

「たぶん、何かの間違いでは? 今回の物件123の応募者は私だけでしょう」

ニヤニヤと笑いながら、すました顔で言う男。

「そうですか? ならお一人ということで、先着順になるのであなたが落札……」

「ち、ちょっと待ってください!  俺もその物件に応募しています」

慌てて職員に詰め寄る新人。

「チッ」

その時、禿頭が舌打ちしたのを新人は見ていた。

「それでは、ただ今より再入札を行いたいと思います」

職員が新人と禿頭の男をに対して、再入札用の申込書を配る。

「はい。これが入札用紙です。それでは、金額を書いて持ってきてください」

事務的な対応をする職員の言葉を聞いて、禿頭の男は笑みを浮かべて書類を受け取ったが、新人は納得できなかった。

「ち、ちょっと待ってください。さっき俺は物件123について、一人しか希望者がいないから、買受可能価格で落札できるって説明を受けましたよ。既に住民票も提出したんですが……いまさら二人で再入札なんておかしくないですか? 」

「えっ?」

新人の抗議を聞いて、職員は首をかしげる。

「何かの勘違いじゃないですか? 早く入札をはじめましょうよ」

禿頭の男は新人の抗議を無視して、手続きを進める様に職員に向かって言い放った。

「少しお待ちください。10時に物件123について希望者を募ったときに、あなたはその場所にいましたか?」

職員が禿頭の男に問いただすと、男は急に目を泳がせた。

「は、はい。私は確かにその場所にいましたよ」

「そんな……俺は一人でしたよ。あなたは後から来たじゃないですか!」

思わず新人がそういうと、禿頭の男は怖い目でにらみつけてきた。

「……私が嘘を吐いているとでも? キミ、失礼じゃないかね? 年上に対して」

「こんな事に年上とか年下とか関係ないでしょ」

思わず新人もけんか腰になる。二人の間に緊張が走った。


「ま、まあまあ。ここは裁判所ですよ。喧嘩はやめてください」

慌てて職員が二人の間に割ってはいる。

゜でも、この人が……」

「わかりました。それでは、最初に物件123について募集した者に問い合わせてみましょう」

職員はそういって、確認のために奥にはいっていった。

それからすぐに戻ってきた職員は、困惑の表情を浮かべている。

「おかしいですね……確かに大矢さんのおっしゃられるとおり、最初の応募では一人しか希望者がいなかったので、先着順で落札者が決まっています」

「そんな馬鹿な! 私は確かに10時にはきていたぞ」

新人の主張が正しいといわれて、禿頭の男は顔を赤くしている。

「貴方は本当に10時にここにきていましたか? ここは大事な所なので、正直に話してください」

職員が鋭い口調で禿頭に聞くと、彼は一転して歯切れが悪くなった。

「い、いや、その。厳密に言えば、10時ぴったりではなかったのかもしれない。いつもとは競売を執行する部署の場所が変わっていたので、5分くらい遅れたかもな……。でも、ちゃんとカウンターで物件123に応募すると申し込んだぞ。調べてもらえれば分かる。それに、遅れたといってもたった5分だし、まにあったんじゃないかね?」

どうやら、ダメ元で目当ての物件123に申し込みをしたところ、職員同士の連絡が上手く取れていなかったので、申し込みが受理されたらしい。

職員はそれを聞くと、職員は申し訳なさそうな顔をして言った。

「そうですか……。これで分かりました。こちらの不手際でご迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした。残念ながら、最初の応募のときにその場に一人しかいない場合は、先着順になります。たとえ一分でも遅れた場合は、再入札にはなりませんね。よってこのこの物件123の落札者は、大矢新人様に決定しています」

職員は公平なジャッジを下す。

それを聞いて新人は胸をなでおろし、禿頭の男は悔しそうな顔をした。

「ふん。わかったよ」

そういって、禿頭の男は部屋を出て行く

それを見送った職員は、新人にも頭を下げた。

「色々と手違いがあって、申し訳ありませんでした」

「い、いえ。いいんですよ」

そういって新人は笑顔を浮かべる。

裁判所だけあって厳格にルールが適応されることを目の当たりにして、信頼を高めていた。

「それでは、これからの手続きを説明させていただきますね」

そういって、新人の前に淡々と書類を並べる。

この瞬間、新人はようやく最初の競売物件を手に入れたのだった。





「それでは、最初に保証金が必要になります」

職員の言うとおりに、保証金40万を支払う。

はい。確かに。それではこれからの手続きを生命させていただきます」

職員が淡々と話し始め、新人は一言も聞き漏らすまいと緊張をして聞き入った。

「まず物件123には、元の持ち主が借金をするときに抵当権を設定しています。これをを抹消し、所有権を貴方の名義に書き換えます」

「えっと……それはどうすればいいんですか?」

一応ネットで調べて知っていたが、具体的な担保のはずし方とか名義変更の方法などの手続きのやり方など新人は知らなかった。

「ご安心ください。そこまでは裁判所と、その委託を受けた司法書士が行います。ただし、それにかかる税金や費用は負担していただきます」

「なるほど……」

土地建物の落札価格のほかに、『負担記入抹消登記登録免許税』『所有権移転登記登録免許税』や切手代などが必要で、総額は約170万ほどになるらしい。

「所有権の移転が終了しましたら、連絡が行きます。立ち退きの交渉はそれからしてください」

「えっ? つまり、まだ住人に立ち退きの交渉をしてはいけないんですか?」

新人の質問に職員はうなずく、

「それは絶対にやめてください。まだ大矢さんはあくまで落札者に過ぎません。現時点で土地建物の持ち主は元の所有者なので、住む権利があります。下手をしたら話がこじれます」

「たしかに……」

それを聞いて新人は納得する。所有権が自分のものになっていないのに接触したら問題になるかもしれない。

「所有権が移転して初めて大矢さんが所有者になります。その時点で住宅に住人がいれば、立ち退きの交渉が出来るのですが……」

職員はここでいったん言葉を切る。


「しかし、その立ち退き交渉自体は、裁判所は関知しません」

「えっ? でも、出て行かない場合は、追い出す手段があるんじゃ?」

職員はこの質問に慣れているのか、冷静に説明を続けた。

「ええ。どうしても住人が立ち退かない場合、最後の手段として『強制執行』という方法があります」

「それなら……」

安心する新人に大して、職員は重要な事を告げた。

「しかし、その場合はは多額の別途費用がかかるのです。数十万から、下手をすると100万円を超える場合もあります」

「ど、どうしてですか?」

慌てる新人に対して、職員はそのわけを話し始めた。

「強制執行は裁判所が、民間の引越し者などに委託して、物件の中にある入居者の荷物などを強制的に運び出す行為の事です。その際にも費用がかかりますし、荷物の預かり先があればいいのですが、ない場合は業者の倉庫などに保管する事になります。その預かり費用もかかります。そういったわけで、数十万の費用が必要になるのです」

「なるほど……」

説明を聞いて、新人は納得する。

「もちろんそこまでいくケースばかりではなく、交渉して穏便に入居者に退去してもらうこともできます。その他には引越し費用としていくらか支払うケースが多いですね」

「それじゃあ、結局は別に費用がかかるんですか……」

「そうですね。必要経費と考えられたほうがいいでしょう」

職員の説明を聞いて、新人は必要なものとして割り切る事にした。

「実際の交渉は個人でされる方もおられますが、不動産業者が代行して行うケースもあるようです。後者の方がトラブルが少なく穏便に退去される場合が多いみたいです。そういった場合も手数料が必要になるみたいですが」

「わかりました。色々教えてくださって、ありがとうございました」

手続きを終えて、新人は職員に頭を下げて裁判所をでる。

「落札してからが本番なんだなぁ。果たしてこれから上手くいくんだろうか」

新人は落札した喜びも忘れ、これからの長い道を思って思わずため息をつくのだった。


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