第7話 はじめの一歩
さて……どうするかな。色々と見てみようか」
色々と手続きはあるものの、基本的には安く家が買えると分かって、新人はとりあえず行動してみようと思う。
それから数時間、じっくりと競売にかけられている物件をみていくと、『特別売却』の物件の棚に、新人の自宅から歩いて5分の所に競売物件が出ているのを見つけた。
「えっと……4LDKで築20年? 」
興味をもって資料をじっくりと読むと、みればみるほど魅力的な物件であることが分かってきた。
「いつも半額弁当を買っているスーパーのすぐ近くにある一戸建てか。広いリビングに客間。二階には子供部屋と夫婦の寝室。トイレも一階と二階についている。ちゃんと駐車場もあるし……そもそも、うちより新しい! 」
今の家から引っ越して、その物件に住みたくなってくるほど気に入ってしまう。
「これを450万で買って引越しして、今住んでいる家を1000万で売り飛ばしても良いんじゃないかな?諸費用でいくらかかかるとしても、差し引き500万も現金が余るし。そのお金でリフォームしたら綺麗になるんじゃないか?」
新人の頭に、まるで新築のような綺麗な家で優雅に生活している光景が浮かぶ。
「そうなると……結婚もできたりして……」
彼女もできたこともないような新人だったが、健康な24歳の男である。
いつかは結婚してみたいと思っていた。
「綺麗なお嫁さんと結婚して、楽しい新婚生活を送って……」
新人の頭の中で、スーツを着た自分が綺麗な女性といってらっしゃいのキスをしている光景が浮かぶ。
「そのうち子供も生まれて……大きい犬も飼ったりして……」
妄想の中の新人は、すっかり幸せマイホームパパになっていた。
「そうだよ! これは俺の幸せ人生の第一歩なんだ! 恐れずに勇気をもって踏み出せ! 」
競売には色々とリスクも確かにあるが、それを上回るメリットもある。
新人はその競売物件の住所を確認して、裁判所を後にするのであった。
裁判所から戻った新人は、昼食後にその一戸建てを確認しに向かった。
といっても家から五分の場所にある建物である。その辺りは幼い頃から良く知っていた。
「ここか……」
新人の前に、長年の風雨に晒されて、少しくすんだ色の一戸建てがあった。
「……うん。悪くはないな。場所的には特に問題ないし」
周囲の建物にはファミリーカーが並び、子供がいるのか三輪車や自転車も置いてあった。
ごく普通の住宅地であり、特に荒れている環境というようには見えない。
「ここは平地だから、住むのは楽だよな」
新人の家は小高い団地にあり、徒歩で毎日上るのは億劫である。この家はちょうど坂を降り立りた平地にある。ここに引っ越してくれば、坂を上る必要がなくなる分いまより格段に便利になる事は間違いなかった。
「まあ、外壁は多少は汚いけど……」
何らかの事情で住宅ローンが払えなくなった家という先入観からか、目の前にある物件はどこか薄汚れていて、灰色のオーラを感じてしまった。
「でも、これぐらいの汚れだったらリフォームすれば綺麗になるよな。問題ないない」
ブツブツと言いながら、しばらくその家の辺りをうろつく
すると、いきなりドアが開き、中から痩せたおばさんが出てきた。
「……失礼ですが……何か御用ですか? 」
家の周りをウロウロしている新人を見て、眉をひそめる。
彼女は心なしかやつれており、目もどこか空ろだった。
いきなり声をかけられて、新人はうろたえる。
「い、いえ。何でもありません」
あわててごまかして、その場を逃げ出す。
「はあ、はあ、びっくりした。まだ人が住んでいるとは思わなかった」
家が見えないところまできて、息を整える。
てっきり競売にかかるような家は、住人はとっくに引っ越して空き家だと思い込んでいたのである。
「考えてみたら、住人がいて当たり前だよな。家を取られるような人が、次に行く先をそう簡単に見つけられるわけないだろうし……。この物件を落札したら、あのおばさんとその家族を追い出さなきゃいけないのか……)
まだ何もしてないのに、良心がとがめる。改めて競売というものの特殊さが実感してしまった。
まるで自分がかわいそうな人をむりやり追い出す極悪人のように感じられる。
「あの人、ローンが返せなくなるって、何があったのかな? 旦那がリストラされたとか、病気になったとか……好き好んで家を取られるわけじゃないだろうし」
思わずおばさんの人生に同情してしまう。
しかし、同時にこんなことも考えていた。
「……だけど、別に俺が落札しなくても、いずれは誰かがあの家を手に入れて、あのオバサンを追い出すんだ。それに、貯金がある今のうちに何かを始めないと、俺の方こそ生きていけなくなる。そうなったら、いずれ家を抵当に入れて借金して、返せなくなって最悪同じ立場になるかもしれない」
そのことを想像して、新人は身震いする。
今の彼には頼れる両親も兄もいないので、もう後がないのである。とにかく、何かをしなければならないのだ。
「考えても仕方がない。とにかくやってみよう」
そう思った新人は、本気で不動産投資の世界に足を踏み入れる覚悟を決めるのだった。
それから一週間後、特別売却の物件の再競売の開始日がくる。
地方裁判所の一室に、びくびくと座っている新人の姿があった。
午前10時開始なのだが、既に裁判所の一室には数人の人間が集まっていた。
彼らは競売に慣れているのか、お互いに談笑などをしていて余裕たっぷりだった。
「おちつけ! 別に悪いことをしたわけじゃないんだ。単に物件を買いに来ただけなんだから……」
裁判所という特殊な場所に、気後れしないようにわざわざスーツを着てきたのだが、周りの人が海千山千の玄人に見えて、果たして自分みたいな素人が参加して上手くいくのか不安になってくる。
辺りを見渡すと実に色々な人がいた。スーツを着たサラリーマン姿の人から、ちょっとヤバそうな感じの人、そして女性の姿もある。
その中で一番浮いているのは、挙動不審の新人だった。
(えっと……住民票に印鑑、保証金もまちがいなくある)
不安のあまり、何度も必要書類を確認してしまう。保証金として用意してきた、約90万円の大金を持ち歩いている事も不安だった。
そうしているうちに午前10時になり、競売の特別売却が開始される。
いかにも公務員のような地味なスーツを着た男が出てきて、競売の物件番号を読みあげ始めた。
「事件番号(××)を希望する人、どうぞ」
「はい」
何人かの男が立ち上がり、別室に入っていく。
どうやら、物件ごとに入札者を集めて手続きしているようだった。
(ええと……たしか特別売却の物件って、最初の競売で売れ残ったんだよな。つまり競売にかけられたけど、誰も入札しなかった売れ残りということか。そういった物件は翌月にもう一回競売にかけられる。だから、入札希望者が一人もいない場合は、買受可能価格で手に入れられ.るんだ」
何度も調べた事を、もう一度確認する。
「だけど……もし二人以上いたらもう一回入札して、価格が高いほうが落札するわけだ」
今までの過去テータからは、一人しか入札者がいないケースのほうが少数派だった。
多くの物件では、二人から三人の入札者が参加している。
「神様、どうか競争相手がいませんように……」
新人はドキドキしながら、自分が狙っている物件には誰も競争相手がいないことを祈った。
そうしているうちに、目的の物件の番号が読みあげられる。
「事件番号(○○)を希望する人」
「は、はい! 」
元気よく新人が立ち上がる。その時、少し離れていた席に座っていたスーツの男が立ち上がり、この物件に入札する事を職員に告げた。。
「チッ……いたのか。余計な事を。これで買受可能価格での落札は不可能になった」
二人以上で再競売にかかってしまうと、下手をすれば100万以上も価格が上がってしまう。
新人は思わず男をにらみつけてしまうが、スーツの男は新人を完全に無視していた。
「それでは、お二人なのですので再入札を開始させていただきます」
職員の後についていき、別室で入札用紙に記入をする。
記入するときはお互いの金額が見えないように、離れた場所で書かされた。
「どうしょうかな。できれば少しでも安く手に入れたいけど」
競争者がいる以上、少しでも高い金額を書いて出したほうが有利なのは分かっている。
しかし安く手に入れたいのが本音である。
散々迷ったあと、売却基準価格の540万円を参考にして、それよりちょっと低い520万円の金額を書いて入札する。
「神様! 頼みます! 俺に落札させてください」
すべて終った後、祈るような気持ちで別室で待つ新人だった。
それから一時間ほどして……
いよいよ二人以上希望者がいたので再入札となった物件についての開札結果が明かされる。
次々に結果が開示され、高い音をつけた落札者が決まっていく。
「事件番号(○○) 落札金額550万」
ついに新人が入札した物件の価格が公表された。
「そ、そんな……」
残念ながら、もう一人の入札価格の方が高かったため、敗れてしまった。
新人はがっくりと肩を落とし、競争者の男が満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
「くそ……たった30万の差かよ。もうちょっと高く入札していれば……」
少しでも手に入れたいと欲をかいた結果、物件を逃がしてしまったが、後悔しても後の祭りである。
落札できた者達が手続きに向かう中、新人は虚しく手ぶらで裁判所を後にするのだった・
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