第6話 裁判所へ

とはいえ、新人は不動産についてまったくの未経験である。

「さすがに100万の家って不安があるな。ちょっと調べるか」

しかし、新人は元ニートなので、そんなマニアックな事を知っている知り合いはいない。

「仕方ない。自分で調べよう」

生まれて初めて真剣になって、競売投資についてネットで調べたり、本を取り寄せて勉強してみる。

いろいろな成功談、失敗談について書かれている情報を集めているうち、なんとなくわかってきた。

「競売物件って、要するにローンが返せない人が、家を取られることなんだな」

ただ単に破産した人が家を追い出されると思っていたが、実際はもう少し複雑だった。

破産とかとは関係なく、家を担保にお金を借りた人が、支払いを延滞したりすると、一定の法律にのっとって裁判所主導の元に整理されることらしい。

「えっと……抵当権というものを根拠に行われるのか。そういえば、本当にこの家は俺のものになっているんだろうか? もしかして、兄貴とか誰かが勝手にこの家を担保に金を借りていたりしていて、ある日突然出て行けなんてことになったら……」

抵当権について詳しく知ると共に、、相続手続きを兄に丸投げして、権利書すらまともに見ていなかったことを急に不安に思う。

あわてて近くの『法務局』という役所に行って、まず自宅のことから調べてみた。

「えっと……『登記簿謄本』というのを閲覧して……」

自分が住んでいる家について、過去の情報を閲覧してみる。

「マジか? この家って最初は400万くらいだったんだ。でも昭和40年代の頃だから物価の価値が違うか。それから一回増築するときに一千万ほど借り入れして、そのときに担保にいれて……。親父達は結構苦労してローンを返していたんだな」

ただ当然のように住んでいた家にも、両親が苦労してローンを払っていた歴史がわかる。

新人は改めて死んだ両親に対して感謝の思いを抱くのだった。

「えっと……住宅ローンは10年前に完済されていて、その時に抵当権も抹消されているということか。幸いその後はなんの抵当権もついていないみたいだな。そして、ちゃんと俺の名義に変更されている」

自宅について調べたところ、抵当権のついていないまっさらな状態で新人の名前になっていることが確認できて、ほっと胸をなでおろす。

「まてよ……ということはつまり、いざとなったらこの家を担保にして金を借りられるということか」

その事実に思い当たり、新人は少し気が楽になる。

両親の遺産である貯金がなくなったらお終いだと思っていたが、それ以降も借金できるらしい。

「でも、金を借りても返せなくなったら家をとられてしまう。なんとかして、今ある貯金がなくなる前に生活を立て直さないと……」

貯金の残りが900万。家を売ればたぶん1000万で、実質の資産は合計1900万円。

余裕があるように見えて、実はそうでもない現実に、新人は改めて気を引き締めるのだった。


コールセンターのシフトを調整して、平日に休みを取り、新人は競売物件について調べるため、競売を実施している裁判所に来ていた。

「ここが裁判所か……」

初めて訪れた場所に新人は威圧される。重厚な建物には警備員が配置されていて、鋭い目で辺りを見張っていた。

裁判所に出入りしている人もスーツを着ている人が多く、みんな頭がよさそうである。

「完全に場違いだよな。俺がここに来るとしたら手錠をかけられてだと思っていたけど……」

ワッパをかけられた自分が警察官に付き添われて裁判所に入っていくシーンを思い浮かべて、新人は苦笑する。

犯罪を犯さないと生きていけない状況に追い込まれる前に、新人は自分の生き方を見つけないといけなかった。

「えっと……競売物件の資料が置いてある部屋はここだな……」

真っ白い清潔な部屋に入って新人は驚く。その部屋の棚には多くのファイルがあり、さまざまな人が真剣に資料とにらめっこしていた。

スーツを着ているおじさんもいれば、ラフな格好で来ているおばさんもいる。

「えっと……そもそも競売ってどんなシステムになっているんだろう」

何も分からないので、新人は困惑する。

とりあえず、その部屋で働いている職員に聞いてみる事にした。

「ええと……すいません。競売物件について教えてもらいたいんだけど……」

おっかなびっくりメガネをかけた女性職員に聞いてみるが、彼女は意外にことに笑顔を浮かべて応対してくれた。

「はい。何でしようか?」

「競売って、家を安く買えるんですよねっ」

何を聞けばいいか分からなかったので、直球ストレートに一番関心があることを聞く。

メガネの女性は素人のこんな質問になれているのか、笑顔を絶やさずに返事を返してきた。

「そうですね……競売とは文字通りオークションにかかることですから、ケースバイケースですね。中には人気があって参加者が多くなって、高い金額で落札されることもあります」

笑顔を絶やさないまま、模範解答をする。

しかし、新人が聞きたいのはそんなことではなかった。


「で、でもでも、ここにこんなに安い金額が乗っているじゃないですか」

棚から持ってきた、家の近所の物件の資料に載っている金額を指す。

そこには「3LDK 築30年 200万円」と書かれていた。

「はい。この金額は『買受可能価格』となっております」

職員の言葉にわけがわからず、新人は首をかしげる。

「『買受可能価格』って?」

「要するに、競売において最低の価格ですね。この金額より上なら、落札される可能性があるということですわ」

職員は競売のシステムについて、詳しく教えてくれた。

競売物件には二つの値段が存在する。

『売却基準価格』……不動産鑑定士が評価した価格であり、通常はこちらが基準となる価格である。

『買受可能価格』……上記より二割ほど安く設定された価格であり、この金額から参加できる。

「はあ……なるほど。つまり、最低価格ですんなり買えるって訳じゃないんですね」

競売のシステムを知って、簡単に家が安く買えると思っていた新人は落胆する。

そんな彼に、メガネの職員は優しくフォローしてくれた。

「ふふ。そうですね。ですが、通常の不動産売買ではないので、売却基準価格でも相場からみたらびっくりするほど安い金額ですよ」

「でもなぁ……お金は限られているし」

新人が考えていたのは、新聞に載っている安い値で簡単に家を買って、ちょっとリフォームして人に貸す事である。簡単に100万200万で家を手に入れられると思っていたのだ。

落ち込む新人に、職員は説明を続ける。

「もっとも、買受可能価格で買える方法もありますよ」

「えっ? それはどうやればいいの?」

途端に元気になる新人に対して、職員は別な棚に収められている資料を指さす。

そこには「特別売却物件」と書かれていたファイルが収まっていた。

「あそこの棚にある物件は、全部最安値である買受可能金額で手に入れられます」

「本当ですか?」

新人は喜んで棚に駆け寄り、一つ資料を手に取る。

そこには、確かに100万円で買える家が乗っていた。

「……」

しかし、行ったこともないような、のどかな農村地帯にある、半分崩れたような農家である。

慌てて新人は別な資料を開くが、極端な田舎にある物件か、ほとんど崩れていてゴミが散乱して山と同化しているような物件ばかりであった。

「……あの……これってもしかして?」

「ええ。『特別売却物件』とは、要するに競売期間に入札者が一人も現れずに落札されなかった物件なのです。そういう物件は、一定期間後に再び競売にかけられます。つぎの競売は先着順になっていますから、結果として買受可能価格で落札されるケースが多くなります」

「なるほど……人気がない物件というわけなんだ」

新人は納得する。確かに自分の身になって考えても、こんな所に住みたくないと思うような物件ばかりであった。

「そうとは限りませんよ。中にはいい物件だったのに、たまたま一回目で入札者がいなかったケースもあります。その場合は、特別売却では何人も入札者が殺到しますね。そうなると、先着順じゃなくて再入札になります」

「そんな場合もあるんだ……もう一つ聞いていいですか?」

「はい。答えられる範囲であれば」

にっこりと笑う親切な職員に、新人は気になっていることを聞いた。

「あの……よくヤクザとか前の入居者が、競売物件に居座って出て行かないケースがあると聞いたんですけど……」

ネットで調べたとき、競売のデメリットとしてもっとも多く言われていることを聞いてみる。

それをきいた職員は納得したようにうなずいた。

「たしかに。以前は何の関係もない人が、『ここは俺が借りているんだ。出て行ってほしいなら立ち退き料をよこせ』と借家権を主張することがありました」

「やっぱり……」

それを聞いて新人の顔が暗くなる。

「でも、そういったケースが多かったので、法律が改正されました。今では競売にかかる前に借家契約をしたと証明できなければ、借家権が認められないという形になりましたので、心配しなくても良いですよ」

昔はヤクザなどが「この物件は俺が借りているんだ」などと主張して絡んできて、せっかく落札した物件でもまともに利用できなかったりしたが、法律が整備されて今ではそういうことが少なくなってきているらしい。

「でも……もともと住んでいた持ち主が居座っていたら?」

「ええ。立ち退き交渉はまず落札者にしていただくようになっており、裁判所は関知しない事になっています」

「やっぱり……いくら持ち主が変わったからといって、素直に出て行ったりしませんよね」

考えてみれば当たり前である。

自分のケースに置き換えてみても、ある日突然落札者を名乗る他人が来て「ここは俺の家だから、出て行け」といってきても、ホームレスになるのは嫌だから全力で抵抗するに決まっている。

「そうですね。しかし、競売の手続きをスムーズにするために、入居者が出て行かなかったりした場合や、たくさん私物が残っていて手をつけられない場合は、『強制執行』という手続きをとることができます」

万一もとの持ち主が居座ったりしても、ちゃんと手続きをすれば裁判所が強制的に追い出してくれるという方法もあるらしい。

まとめると、競売とは国家が直接関与している、安全で正当な不動産購入方法ということだった。

「よくわかりました。いろいろ教えてもらって、ありがとうございました」

新人が礼を言うと、職員はうなずいて仕事に戻っていった。

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