第60話 見捨てられた里子

「くそっ。なんで救助した民間人が怪物になったんだ!」

血まみれになった隊長が、怒り心頭の体でつぶやく。彼らの隣では、横転したトラックの車輪が虚しく回転していた。

「ダメです。運転していた仲間は死にました」

「くそっ!」

運転席を確認した部下の報告を受けて、隊長は怒り狂う。そして震えている里子に聞いた。

「まさか、あんたのせいじゃないだろうな?」

「ち、ちがう!私は何もしてない」

里子は必死に弁解するが、同乗していた自衛隊員が声を張り上げる。

「何もしてなくても、あんたに対する怒りで人々が怪物になっていくのを、俺たちはこの目で見たんだ」

それを聞いて、部隊の自衛隊員は冷たい目を里子に向けた。

「残念だが、あんたがいる限り人々の怒りが沸き起こり、怪物化が促進されるみたいだ。駐屯地につれていくことはできない。でていけ!」

隊長の命令で、自衛隊員たちが一斉に里子に向けて銃をかまえる。

「ひ、ひいっ」

里子は慌てて逃げ出すのだった。


「くそっ。なんなのよ。今まで私たちを正義の味方だとか聖女だとか持ち上げていたくせに……」

あてもなく街をさまよい歩いていると、『ケケケケケ』という声が聞こえている。

「ま、まずいわ。あの化け物がやってきた」

必死になって走り出すが、笑い声がどんどん近づいてくる。ついに髪を振り乱したカマキリ男、岡田泰が迫ってきた。

「ケケケケケ……マテ……」

「くっ」

こうして、再び逃走マラソンが始まる。しかし、トラックが横転した時に怪我を負った里子は、長く走りつづけることができなかった。

「お、お願い!誰か助けて!」

必死になって叫ぶ里子の脇を、先ほどまで属していた自衛隊のトラックが駆け抜けていく、

もはや彼らは怪物に襲われている里子を見ても、助けようとはしなかった。

「そ……そんな……」

救いをもとめて手を差し出す里子に対して、荷台の自衛隊員が中指を立て、石を投げつけてくる。その石が顔にあたり、一筋の血が流れた。

もはや誰からも助けてもらえないことを悟り、里子は絶望の淵に沈んだ。

その時、ベルゼブブ田中の言葉が脳裏によみがえる。

「お前たちはいずれ、人類の期待を裏切り、大破滅を止められなかった無能として、周囲から石を投げられ、みじめに死んでいくんだ」

結果として、まさにその通りになっている。里子は初めて、今までしてきたことを心の底から後悔した。

その時、上空に浮いている人影が目に入る。

「あ、あれは……吾平?」

豪華な魔鎧をまとった正志は、大魔王にふさわしく滅ぶ世界を見下ろし睥睨していた。

「吾平!お願い!助けて!」

救いをもとめて上空の正志に向かって絶叫する。正志が下を向いた瞬間、里子は追いかけてきたカマキリ男、岡田に捕まってしまった。

「ケケケケケ……」

「いや!やめて!」

必死になってもがくが、カマキリ男は容赦しなかった。

「シネ」

カマキリ男の鎌が一閃すると、すさまじい激痛が走って、里子の身体は腰の部分で両断される。

里子は内臓をぶちまけてその場に倒れ伏すのだった。



「ケケケケ。ヤッタ」

里子を倒したカマキリ男は、満足したように笑って次の獲物を求めて去っていく。

しかし、里子は下半身を切り落とされながらもまだ生きていた。

「ふむ。まだ少しは『高人類(タカビー)』としての生命力が残っていたようだな。即死は免れたか」

苦しむ里子の耳に、冷たい声が響く。正志が降りてきて、重傷を負った里子を見下ろしていた。

「痛い!苦しい!死にたくない……シニタクナイ。た……助けて……お願い。正志さま!」

里子は死にたくない一心で、今まで見下し続けてきた正志にすがりつく。

その時、正志が邪悪な笑みを浮かべて告げた。

「ソウルウイルスを大量に注入したら、その傷がふさがるかもしれん。もしかしたら怪物化してしまうかもしれないが、いいか?」

「お、お願いします。死にたくない」

最後の力を振り絞って、里子は正志のマントを掴んだ。

「いいだろう。ソウルウイルス注入。身体制御。出血抑制」

正志は里子の分断された身体に向かって、ソウルウイルスを注入する。身体の持っている治療機能が最大限に発揮され、カマキリ男に切られた傷がふさがっていった。

「あ、ありがとう……え?」

治癒の快感に浸っていた里子は目を丸くする。切られた下半身が、ひとりでに立ち上がったからである。

「おっとすまん。下半身を先に治療してしまった」

完全に傷が癒えた外子の下半身は、そのまま凄いスピードで走り去っていってしまった。

「ど、どこにいくの?」

「本能だけで動いているみたいだな。下半身はソウルウイルスを注入されたことで、独立した怪物になったみたいだ」

「そんな!」

ありえないことを聞かされて、里子は絶句する。

「急いで捕まえた方がいいぞ。じゃぁな」

そういうと、正志は呆然としている里子を置いて、飛んで行ってしまう。

残された里子は、両手を使って動き始めた。

「足……足……私の足はどこ……足がないと走れない……ケケケケケ……テケテケ」

ケラケラと笑いながら、自分の足を探して日本中を歩き回る里子。見つからない鬱憤を人を襲うことで晴らすことになり、いつしか「妖怪テケテケ」と呼ばれて恐れられることになるのだった。


狭い路地の奥で、三人の中年女に取り囲まれている少女がいる。

「私……綺麗?」

少女を取り囲んでいるのは、マスクをした女性である。全員が長い髪をした美しい女だったが、どこかうつろな目をしていた。

「き、きれいよ!とっても美しいよ!」

そのツインテール少女は、必死になって女たちをほめたたえている。彼女は東京ドームから逃げ出した愛李美香だった。

「うふふ……これでも?」

三人が一斉にマスクをはずすと、耳元まで避けた口が露わになった。

「痛い……口が痛いの……」

「傷が……傷がささやくの。仲間をふやせって」

「あなたも……私たちと同じようにしてあげる」

口裂け女たちはそういうと、もっていた鎌を振り上げる。

「ぎぁぁぁぁぁぁぁ」

口元に激しい痛みが走って、三人の口裂け女から通常の数倍の濃いソウルウイルスが注入される。

美香は激しい痛みとともに、気絶するのだった。


数時間後、美香の意識が戻る。

「あ、あれ?私はあの女たちに襲われて……」

口元に手を当ててみると、端に少し傷がついていた。

「な、何よ。脅かしただけか。痛っ!」

口の端の傷から血が流れ落ちる。

美香は慌ててポケットからマスクを取り出し、傷口に押し当てた。

「本当に、なんなのよ。と、とにかく逃げないと」

美香は再び、安全な場所を求めて街をさまよう。しばらく行くと、大きなビルが視界に入った。

「ここって、もしかして警視庁?」

その周辺には屈強な警察官が警備しており、避難民たちを受け入れている。

「皆さん。ここは安全です。慌てずゆっくり入ってください」

警部の階級章を付けた中年の警察官が、声を枯らして押し寄せる避難民に呼びかけている。

「や、やったわ……助かった」

美香は避難民たちに紛れて、警視庁に入っていく。マスクをしていたことと、走り回って髪型が崩れていたことで、自分が「高人類(タカビー)」の愛李美香であることに気づかれなかった。

「助かってよかった。なんとかここで救助を待って……痛っ」

再び口の傷がうずいて、美香はうめき声をあげる。

口の端の傷は、少しずつ大きくなっていっていた。

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