第56話 吾平澄美
「痛い!痛い!やめてくれ」
容赦なくボールを投げてくるチームメイトたちに、ついに正人は泣きながら懇願する。
その時、正志の声が脳内に響いた。
『お前はやめてくれと言っても、やめてくれなかったよな』
正人の脳裏に、唐突にとある記憶浮かぶ。それは幼い頃の正志の記憶がダウンロードされたものだった。
「に、にいちゃん。やめてくれよ」
「ほらほら!ちゃんと受けろよ。へたくそ!」
正人の千本ノックを受けるように連れ出され、容赦なくボールをぶつけられた時の痛みと共に伝わってくる。この時初めて、正人は正志が受けた痛みと苦しみを知った。
「す、すまない……俺が悪かった」
自分がしていたことを他人にやり返され、正人は初めて謝罪の言葉を口にした。
同様に、弓も東京69にボールをぶつけられている。
「何が救世主よ。ただの詐欺師じゃない」
「うちらのグルーフに入ってあげるって?勘違いしてんじゃないわよ!ブサイクのくせに」
「ただのビッチのくせに。何が聖女よ。無様すぎて笑っちゃうわよ」
東京69のメンバーたちは、楽しそうに顔をゆがめながらボールを投げつけていた。
その勢い自体は大したことなかったが、投げかけられた言葉が弓を傷つけた。
「そ、そんな……私はみんなに慕われている聖女だったはずなのに……」
東京69たちの悪意にされされて苦しんでいると、正志の声が脳内に響き渡る。
『お前は俺が悪口を言われて傷ついているのに、楽しそうにしていたな』
脳内に、正志の声が直接響いてくる。
「あのナメクジ、いつも私に付きまとっているのよね。幼馴染だって言いふらされて、迷惑してんのよ」」
弓がそんな事を言うと、弓の友達はきまって彼女に同調して正志をこきおろしていた。
「きもーい。あんなブサイクなのに、身の程をしらないんだね」
「弓ちゃんとは似合わないのに」
そんな風に正志がこき下ろされるたびに、弓は優越感を感じていた。その裏で、馬鹿にされこき下ろされていた正志がどれだけ傷ついていたか、精神にダイレクトに伝わってくる。
「ごめんなさい。私が悪かったわ」
それに耐えきれず、弓はついに謝罪の言葉を口にした。
しかし、正志は冷たい顔をして、二人を見下ろし、決して許そうとはしなかった。
「今、こんな目にあっているのも自業自得だ。過去の自分を憎み後悔しながら、ゆっくり死んでいけ」
それを聞いて、野球部や東京69のメンバーはさらにボールを投げつける。
いつしか、二人は雑巾のようにボロボロになっていった。
「はあはあ……ど、どうですか?正志さま」
一時間後、正人と弓が息絶えたことを確認して、野球部の面々が媚びるように正志に告げる。
「私たちであのビッチをやっつけてやりましたよ。これで私たちを救ってくれるんですよね」
同様に、東京69もうるんだ目で正志を見上げた。
正志はうんざりしたような顔になるが、そんな彼らに手を差し出した。
「いいだろう。救ってやろう」
正志の手から発せられた、精神エネルギー体でつくられたソウルウイルスが注入される。
一度弓によって消された東京69のメンバーたちも、ソウルウイルスに再感染した。
それを見届けて、正志はこの場から離れようとする。
「ま、待ってください。私たちを救ってくれるんですよね」
「救ってやっただろう。弓に一度消されたソウルウイルスを再感染させ、怪物化に対する免疫を強化してやった。これで怪物になることはない」
「そ、そうじゃなくて……」
何か言いたげな彼らに、正志は冷たい声で告げた。
「お前たちをシェルターに入れない理由は、さっき告げた通りだ。あとはせいぜい頑張って、大破滅を自力で乗り切るんだな」
そういうと、正志は空を飛んで東京ドームから離れていく。
「そ、そんな。お願いします。助けて下さい」
東京ドームに、見捨てられた少年少女の絶望した声が響き渡るのだった。
私立 井上学園中等部
名門大学の付属学園であるその学校は、高等部に隣接して建てられており、そこには大勢の生徒たちが集まっていた。
「なんでこんなことになったんだ……」
校舎には死体が転がり、生徒たちは血まみれで肩で息をしている。
井上学園中等部はこんな事態になっても授業を続けていたのだが、授業中に突然教師たちの怪物化が始まり、たちまち学校中が阿鼻叫喚の地獄になったのである。
それでも数で勝る生徒たちはなんとか怪物化した教師たちを始末できたのだが、気がつけば街中に怪物が溢れており、学校から出ることができなくなった。
それから生徒たちは次第に追い詰められていく。
最初は学校の外にいた怪物たちだったが、次第に門をやぶって校庭に入りこんでおり、生徒たちは校庭に出られなくなった。
さらに、一日一日と怪物は増えていき、ついに玄関が破られて一階に侵入してくる。
必死に階段や廊下を封鎖するが、どんどん破られていき、ついに生き残った生徒は屋上に追いやられていった.
「怖い……誰か助けて……」
「お父さん……お母さん……」
屋上に、追い詰められた中学生の泣き声が響く。魔人類のソウルウイルス注入を受けていた生徒たちは怪物になることはなかったが、この大破滅においてそれはわずかな救いにしかならない。
怪物たちは、傷つけた人間が仲間にならないと知ると、容赦なく襲い掛かって生きたまま食らいついていた。
「ああ……あんなにいっぱいいる」
「もう、学校から逃げ出すこともできない」
生きのいい餌の匂いを感じたのか、街中の怪物たちがこの学校に集まってきている。すでに校舎は怪物たちに取り囲まれ、アリの出る隙間もなかった。
「なんで私は、悪魔教に参加しなかったんだろ?」
「ちょっと前まで、参加しさえすればシェルターに入れてもらえたのに。魔人類は悪だと言っていた弓様たちは、助けに来てくれないの?」
今更ながら、正義を崇めて悪を罵っていた自分を後悔する。この状況において、正義の力は無力だった。
そうなると、生徒たちは掌を返して魔人類たちを崇め始める。
「みんな。まだ希望はあるわ。大魔王正志さまは学校にたてこもれとおっしゃった。きっと助けに来てくれるわ」
ある女子生徒の言葉を聞いて、屋上に追い詰められていた生徒たちの顔がわずかに明るくなった。
「で、でも……余裕があったらっておっしゃっていた」
「ふふん。私たちの所に来てくれる確信があるのよ」
その女子生徒、今井美樹は、自信満々で隣にいた女子生徒の腕を上げた。
「この子は大魔王正志さまの妹、吾平澄美よ。きっと可愛い妹を助けに、ここに来てくれるわ!」
「おお……」
それを聞いた生徒たちの間から、どよめきが沸き起こった。
「ち、ちょっと、美樹……」
何か言おうとした澄美の口を、美樹は慌ててふさぐ。
(むぐぐ……)
(いいから黙っていなさい。私に任せて!)
耳元でささやく美樹の迫力に押され、澄美は黙り込んだ。
「嘘だ!みんなが知っているぞ。こいつは正志さまに最初に復讐された奴だってな」
その発言で、生徒たちは再び絶望する。しかし、美樹はフンッと鼻で笑った。
「何言ってんのよ。それは兄が妹に少しお仕置きしただけでしょ。血のつながりは何より尊いのよ。きっと正志さまは助けにきてくれるわ」
そういうと、美樹は澄美に向きなおった。
「いい。あんたは正志さまが来たら、誠心誠意謝るの。そうしたら、きっと救ってくれるわ。なんたって血を分けた妹なんだもの」
「そ、そうだよね。私はお兄ちゃんの妹だものね」
そう言われて、澄美は美樹の言葉に乗っかった。
「いい、あんたたちが救われるかどうか、澄美にとりなしてもらえるかどうかにかかっているのよ。わかったら、私たちに従いなさい!」
そう言われて、生徒たちは次々に澄美にひれ伏していく。
「そう。いい子ね。それじゃ、食べ物と水を私たちに献上しなさい。そうしたら、正志さまに口をきいてあげるわよ」
美樹の言葉に、生徒たちはなけなしの食料を差し出す。
学校の屋上という狭い空間に、澄美を女王とする王国ができあがるのだった。
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