第54話 恋人たち
怪物化した人々の群れの中、逃げ回っているスクールバスがある。
野球の強豪校、東京早麦畑実業高校野球部の専用バスである。そこはプロ予備軍ともいわれる強豪校で、このバスに乗って全国で練習試合を行っていた。
「くそっ。どこにいけばいいんだ」
運転手が絶望のうめき声をあげる。関西遠征からもどってきたら東京は化け物の巣になっており、どこへ逃げればいいのかもわからなかった。
その時、監督が運転手に怒鳴りつける。
「東京ドームにいけ」
「なぜだ!」
「一般に知られていないが、そこには政府の地下シェルターの入り口があり、有事の際にはそこに避難できるんだ」
元有名プロ野球選手だった監督は、その機密情報を知っていた。
それを聞いて、野球部のメンバーに希望が浮かぶ。
「よし、そこに行こう!もしかしたら弓たちもいて、合流できるかもしれない」
野球部のキャプテンで正志の兄、吾平正人がそうつぶやく。
スクールバスは東京ドームに入っていった。
バスを入り口に停車させて、怪物が入ってこれないようにする。
監督の案内でドームの地下通路に入ると、頑丈なシェルターの扉があった。
「ここから入れるはずだが……」
電子ロックを解除すると、中からいきなり少女が走り出してくる。
「は、早く逃げないと」
「里子!待って!」
中から出てきたのは、『高人類』の日岡里子と愛李美香だった。
2人は野球部の面々に目もくれず、凄いスピードで逃げていく。
「な、なんで逃げていくんだ」
「もしかしてシェルターの中で、何かあったのか?」
彼らが疑問に思っていると、次に椎名弓が出てきた。
彼女はパニックを起こしているようで、無言で逃げだそうとする。
その腕を、正人がつかんだ。
「いやっ!離して!」
「弓ちゃん!俺だよ」
「正人さん……」
そう言われて、弓は自分の腕をつかんだのが幼馴染で恋人の吾平正人だと気が付いた。
「いったい何があったんだ」
「は、早く逃げないと。中の人が怪物になって……」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ」
弓の説明を遮るかのように、中から悲鳴が聞こえてくる。
そして、シェルターの奥から怪物に襲われている若者たちが走ってきた。
「な、なんだあいつら!」
「くっ、ここにも怪物が……」
スーツや着物をきた怪物たちを見て、野球部のメンバーたちも覚悟を決める。
「みんな!やるぞ!」
彼らはバットを振りかざし、怪物たちに立ち向かっていった。
数時間後
「なんとか、撃退することができたな」
周囲には大勢の怪物たちの死体が転がっている。野球部のメンバーが奮闘した結果、襲ってきた怪物たちを倒し、シェルターへの扉を閉じることができていた。
「だけど、もうシェルターは使えない……」
扉の奥からは、ヴヴヴという怪物たちの唸り声が響いてくる。中にいた大人たちは全員怪物化したらしく、シェルターは完全に占領されてしまっていた。
「これから、どうしたらいいんだろう」
グラウンドには、疲れ切った様子の若者たちが座り込んでいる。彼らはボロボロになっているが、元は質のよいものだったと一目でわかる服をきていた。
シェルターから逃げ出してきた、上級国民の子弟やアイドルたちである。
「ね、ねえ。あなたたちが乗ってきたバスを使わせてもらえないかしら」
東京69のメンバーが媚びるような声を出して頼み込むが、監督は首を振った。
「無理だ。もう燃料が切れている。それに、これだけたくさんの人員を乗せる容量がない」
「そんな……」
東京ドームから逃げ出せないと知って、少女たちの顔が絶望に染まる。
「とりあえず、ここで救助を待とう。大丈夫、日本の自衛隊は優秀だ。きっと助けに来てくれる。それまで俺たちが君たちを守る」
筋骨たくましい野球部員たちが、東京69のメンバーたちを励ます。
「……かっこいい。お願いします」
新たな庇護対象を見つけ、メンバーたちは媚を売るのだった。
その日の夜
椎名弓は、グラウンドの中央で空を見上げていた。ドームの屋根の一部が敗れており、そこから星明りが差し込んでマウンドを照らしている
隣には、恋人の正人もいる。
「きれい……」
弓は夜空に煌めく星々をみてつぶやく。大都会東京の電気はとっくに停止しており、都市の明かりが消えた結果、星がより一層輝いてみえるようになっていた。
「弓、何をしていたんだ?」
「ううん。ただ星をみていただけ」
弓はそういうと、正人に身体を摺り寄せる。ロマンティックな雰囲気が漂い、一時だけは今置かれている危機的状況を忘れることができた。
「なんか不思議ね。あなたと二人で東京ドームのマウンドにいるなんて」
「ああ。俺はここに来るために、毎日必死に練習していたんだ。プロになるためにな」
正人は感慨深そうにグラウンドを見渡す。しかし次の瞬間、悔しそうに顔をゆがめた。
「それが正志のせいで、無茶苦茶にされてしまった」
怪物が大発生した今の日本では、野球など行われるはずがない。プロ野球選手になるために続けてきた正人の努力は、水の泡と消えてしまった。
「ちくしょう。あいつは俺に何のうらみがあるっていうんだ。どんくさいあいつをちょっと鍛えてやっただけじゃないか」
正人は正志に対して行ってきた、スポーツを言い訳にしたいじめを、ただ鍛えてやっていただけだと脳内変換していた。
「本当よね。恩知らずもいいところだわ」
2人で正志に対して恨み言を言い合う。
「きっとアイツは優秀なスポーツ選手であるあなたに嫉妬していたのよ」
「そうだな。所詮あいつはスポーツも勉強もできず、容姿も醜い負け組だったんだものな」
その価値観自体が現代社会が崩壊することによって無意味になろうとしているのに、二人は現実逃避をつづけるかのように正志をこきおろす。
「本当に勝手だよね。まるで駄々っ子みたい。自分がうまく生きられないからってすべてを壊そうだなんて」
「ああ、所詮負け組の嫉妬だ。そんなことをしないと俺たちに勝てない時点で、すでに負けているんだよ。その証拠に、幼馴染のお前にも愛されずに嫌われている」
精神的には自分たちのほうが勝っているとマウントをとり、正志を見下して心を保とうとする。
しかし、そんなことをいつまでも続けていても、所詮は負け犬の遠吠えに過ぎなかった。
「やめようよ。あんな奴のことなんて考えたって不快になるだけだわ」
「そうだな」
2人は見つめ合い、苦笑する。
「あいつは世界を破壊し、すべてを手に入れようとしている。でも、奪えないものもあるわよ」
弓はそういって、正人の身体に手を回す。
「ああ。あいつがどんなに暴れようが、俺たちの間だけは引き裂けない」
2人の身体が重なっていき、唇が合わさった。。
「……いいだろ?」
「うん」
そのまま二人は物陰に消えていく。
他にも、あちこちから怪しい声が響いていた。
「ああ……だめ」
「あはは。こんな世界にならないと、アイドルとなんて付き合えなかったな」
東京69と野球部のメンバーのいちゃつく声である。彼らは現実逃避するように、次々とパートナーを見つけていく。
世界が破滅に向かう中、ささやかで刹那的な幸せが東京ドームに溢れていた。
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