第33話 アスモデウス上田

井上家

日本有数の企業グループである井上財閥を支配する一族であり、その事業も教育、小売、海運、医療など多岐に渡っている。

そのグループの総帥に位置するのが、井上京子の父、井上剛三であった。

「京子、体の調子はどうだ?何かおかしなところはないか?」

豪華なテーブルに座った彼は、猫なで声で反対側に座っている彼の娘に話しかけた。

「ええ、大丈夫ですわ」

にっこりと父親に笑みを返すの巻髪の少女は、井上京子。1-Aの生徒にして、正志のテロからいちはやく金と権力の力で解放された少女である。

彼女はほとんどのクラスメイトがひどい目にあったにも関わらす、無傷であった。

「そうか。なにやら世間のものたちがいろいろ言っているが、気にするんじゃないぞ。あの吾平正志という者は気が狂っていたんだ。お前は何も悪くない」

「ええ。お父様。ご心配かけて申し訳ありませんでした」

京子は優雅に一礼する。

「落ち着いたら、どこか海外のいいところに留学しなさい。日本は何かと騒がしいからな。なに、しばらくしたら何事もなかったように静かになるさ」

「ええ、そうさせていただきますわ」

京子は父親の提案にうなずく。ネットでは未だに京子が行った正志への苛めに対して批判されていたが、上流階級である彼女はそんなものは庶民の僻みだと父から慰められている。父親の力に守られて、彼女は早くも平穏を取り戻そうとしていた。

豪華な食事を終えて、自室に戻った彼女は一人つぶやく。

「しかし、本当に迷惑でしたわ。やはりどんな形であれ、庶民と関わったのがよくありませんでしたわ」

優秀なスポーツ選手である正人やアイドル予備軍の澄美といった人材を学園に招いたところ、正志というとんでもないテロリストまで招いてしまった。

今後はいかに優秀でも、庶民とは一切かかわりを持つまいと心に堅く決め込む、

しかし、正志の恐怖は未だ彼女を捕らえたまま、決して逃がしはしないのだった。


「本当に傲慢な奴だな。正志様が怒ったのも無理はない」

突然、部屋にそんな声が響いたので、驚いて京子は振り返る。

彼女の豪華なベッドには、見覚えがある少年が座っていた。

「上田、さん……?」

「ほう。僕のことも一応覚えていてくれたのか。ほとんど話したこともないのに」

そういって笑うのは、紛れもなくクラスメイトの上田明だった。

「あなた、どうしてここに?」

「何、君に用があってね」

そういってニヤリとする。その笑いは、誰かを思い出させた。

背中に悪寒を覚えた彼女は、大声を上げようとした。

「出て行って!さもなければ……ひっ!」

次の瞬間、体に覚えがある感覚が蘇る、精神にザラッとした何かが進入してくるこの感覚は、正志と相対したときのものとそっくりだった。

「ソウルウイルス活性化。くくく、君は我々から逃れられない、すでに魂のレベルでウイルスに感染しているんだ。我々の仲間が念じれば、君の体は動けなくなる」

自信満々な顔をして、近寄ってくる。

「あなた……誰なの?」

「上田明さ。いや。元と言うべきかな。今の俺は。魔人類の1人、アスモデウス上田だ」

またニヤニヤする。すると、彼の体が黒い鎧に覆われていった。

「今の俺は、『魔人類』のアスモデウス上田。世界に救済をもたらす悪魔の一人」

そういいながら、冷たい手で京子に触れる。

「大魔王正志様が君を逃がしたのも、後で俺たちが利用できるからさ。さあ、罪深き女よ。俺が考えたお前にふさわしい裁きを受けろ」

明の声を聞きながら、京子の意識は闇に落ちていった。

しばらく後、屋敷のメイドがお茶をもって部屋に入ってくる。

『お嬢様、お休み前のレモンティーでございます……え?きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

メイドの叫びと同時に、お茶を入れたカップが部屋に散らばる。彼女が見たものは、部屋いっぱいに広がる緑色の植物で、京子はそれに融合した本物の意味での植物人間となっていた。


「ええい。まだ椎名弓とやらは、京子の治療を了承しないのか」

部下を怒鳴りつける剛三。

「はい……。謝礼は出すと伝えたのですが、首を縦に振らないのです」

「忙しいと断ってきて……。まあ、実際そのとおりだと思いますが」

弓に対して使者にたった部下たちが言う。

実際、弓たちは本物の救世主として崇められ、全国で引っ張りだこだった。。

テレビに出たり、各地を訪問して美容人を癒したりして、一般人からの崇拝は増すばかりである。

それにつれて彼女たちは傲慢になっていき、気にいわない依頼は頑として受け付けないようになっていった。

「そういわれて引き下がってきたのか!金ならいくらでも出すといっておろうが!」

剛三が怒鳴りつけるが、問題は解決しない。

「それが、今の弓様たちには、金などいくらでも布施をする者がおりまして……」

部下が恐る恐る言う。

確かに全国の信者から寄付が集まり、その資産はどんどん膨らんでいる。

多少の金など見向きもされない状況が出来上がっていた。


「元はといえば、たかが一般庶民の小娘だろうが! 脅してでも連れて来い!」

剛三が命令するが、部下は動かない。

「もう一般庶民の小娘などではありません。我等の救世主です!」

「会長の権力などはるかに上回る有力者も彼女たちを信奉しております!」

事実を指摘する部下たちの間にも、弓たち『高人類』を崇拝する者は多い。

信者は芸能界、実業界などすべての業界の有力者に広がっており、たとえ日本有数の財閥の総帥といえども手出しできなかった。

先祖代々金と権力を欲しいままにしていた井上一族の総帥である剛三には、金でも権力でも従わせられない状況にいらだっていた。

「……谷山組はどうだった?力づくでも小娘を連れてこいと命令したはずだが……」

「拒否されました。いくら金を積まれても、本物の神の巫女などを相手にするつもりはないと」

部下の返事に歯噛みする。

「もういい!出て行け」

役に立たない部下を追い出した。

孫の京子を治療することは、もちろん京子本人のためもあったが、井上家の為もあった。救世主としてもてはやされている彼女たちから京子の治療を拒否されたことは、すぐに全国に広まり、ただでさえ下落していた井上家の評判を落とす。

それによって、今まで何でもしたがっていた財閥の企業や傘下の暴力団などが離反の動きを見せているのである。

最悪、京子が原因で井上本家が財閥から追い出される可能性すらあった。

なんとしてでも京子の姿を元に戻し、神の巫女に許された事をアピールしなければならない。

(どうすればいい……このままでは井上グループそのものが救世主に捨てられた一族として、解散に追い込まれるかもしれぬ……)

剛三は一人執務室に篭って考え続けるのだった。

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