第17話 買収

学園に張りめぐられた結界は電波には干渉されないので、自由に電話が使える。

心配した生徒の親や知人からも、どんどん電話が入ってきた。

「パパ……私……どうすれば……」

井上学園理事長の娘である井上京子は、父親からの電話に涙声で答える。

彼女は理事長の娘という立場から正志への苛めを率先として行ったという悪事をばらされて、どんなに弁解しても悪行カウンターの数字の増加は止まらなかった。

すでに善行カウンターとの差は一万を超え、いまさら挽回するのは難しい。その上小学生のころの苛めでクラスメイトを不登校にしたということもばらされたので、今もなお増加中だった。

「大丈夫だ。安心しなさい。私が絶対に助けてあげるから」

携帯電話から聞こえてくる父親の声は冷静で、京子はそれを聞いてわずかに心を落ち着けることができた。

「どうやって?」

「詳しい事は話せない。奴を刺激したら、お前に危害を加えるかもしれない。だが、安心しなさい。井上財閥の力をもってすれば、お前一人助けることなどたやすい」

そういって電話が切れる。京子は父親が何か策があることを感じ取り、ネット上で浴びせられる罵声にじっと耐えるのだった。

しばらくして、京子の善行カウンターが急激に上がっていく。

「なんだこれ?誰がこんな奴に入れているんだ?」

「善行といったって、せいぜい友達におごったとか、そんなのばっかりだぞ」

「やめろよ。誰がやっているんだよ」

ライン上では必死に京子の善行カウンター入力をやめるように呼びかける者たちがいるが、それを無視するかのようにどんどんカウントされていく。

「こ、これは一体何が起こっているの?」

京子は突然目の前に現れた希望に困惑しつつ、刺激しないように黙って善行カウンターを見守るのだった。


そのころ

井上財閥の中枢である井上物産の会長、井上剛三はすべての社員に通達を出していた。

「井上グループに属する全社員の方にお願いする。あの悪質なテロリストの言葉に惑わされず、我が子京子を救ってほしい」

言葉では依頼だったが、実質は強制である。

たちまちすべての職場で社員に井上京子の善行カウンターに入力するように強制が行われた。

「やり方が汚い!」

「会社の社員に強制かよ!みんな、大企業の横暴に負けるな。京子の悪行に入れるように呼びかけろ!」

社員の何人かの内部告発によって、組織票での京子の擁護を知った何人かは激怒

してネットで呼びかけるが、すでに遅かった。

一時間を経過した時点で、善行カウンター157236 悪行カウンター123676と、大きく引き離し、「善行カウンターが悪行カウンターより1000件超えたら解放」という条件を達成してしまうのだった。


校長室

一時間が過ぎて校長室に戻った正志は、渋い顔でパソコンの画面を見つめていた。

「予想していたとはいえ、胸糞悪いな」

正志には、京子に起きていることを知って顔をしかめる。

「仕方ないな。解放するか。その前に話でもしておくか」

正志はテレパシーで京子に呼びかけた。

「井上京子。条件達成により解放だ。校長室にこい」

それを受け取って、京子はにんまりと笑った。

「それでは皆さん。私はここで失礼いたしますわ」

優雅に一礼して、パソコン室を出て行こうとする。

1-Aの女子生徒たちは、慌てて彼女に取りすがった。

「待って!一人だけずるい!」

「私たちも助けて!」

美香と里子が両方からすがり付いてくる。

「お放しなさい。さもないと、父に頼んで貴方方に悪行カウンターに入れてもらうようにお願いしますわよ!」

それを聞いて、二人は慌てて手を離した。

「結構ですわ。それではごめんあそばせ」

嫌味にスカートを広げて、ルンルン気分でパソコン室を出て行く。

残された女子生徒たちは、悔しそうに彼女を見送るのだった。


校長室に京子が入ってくる。

「さあ。貴方の仕掛けたゲームクリアの条件は果たしましたわ。速やかに私を解放しなさい」

腕組みをして、上から目線で命令してくる。

「ずいぶん居丈高だな。自分の人格や人気で解放されるわけでもないのに」

「お父様の力は、私の力でもあるのです」

京子は開き直って胸をそらす。それを見て正志は苦笑した。

「まあ、いいだろう」

そういって軽く京子に触れて念じる。

「『校舎から出たら痛みを感じる』という設定は解除した。これで出て行けるだろう。だが、その前に一言ぐらい侘びはないのか?」

そういわれても、京子は頭を下げようとしなかった。

「ふん。こんなことをする下賎な犯罪者なんかに侘びる必要はありませんわ。さようなら。貴方の顔はもう見たくありませんわ」

京子はふんっと顔をそむけ、校長室から出て行った。

その姿を見送った正志は、くくくと笑う。

「俺が約束したのは、学校からの解放だけだ。お前はこれで終わったと思っているようだけど、本当の地獄はこれからなんだよ。せいぜい思い上がっているがいい」

正志はそう独り言をつぶやくと、一人で笑い続けるのだった。

「お父さん!」

「京子!無事でよかった」

校舎の外に出た井上親子は、抱き合って再会を喜ぶ。テレビ局はそれを映して美談にしようとしたが、周りの人質にとられた家族からは白い目で見られた。

「あんなやり方で一人だけ解放されるなんて、卑怯だ」

「そうよ!私たちみたいな普通の人は、どうやって人質を助ければいいの?」

二人を取り囲んで責めたててくる。

「まあまあ皆さん。落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか!」

周りから責められても、京子の父は揺るがない。

「もし私たちのように、協力してくれる社員を抱えていないのであれば、一般の人に謝礼を包んで、善行カウンターを入力してもらうという方法もあります。最低で一千万、多くても二千万ほど用意すれば、千人や二千人など簡単に集められるでしょう」

父親の言葉を聞いて、人質にとられた生徒たちの親は一瞬静まり返る。

「あ、あんたの会社の社員に協力させて、人質全員の善行カウンターを入れるように協力してもらえば……」

被害者家族の一人が頼み込むが、父親はつめたく首を振る。

「もしそんなことをしてしまえば、あの吾平正志とかいうテロリストは怒ってわが社に矛先を向けてくるでしょう。我々が出来ることは京子を救うことだけです」

父親は冷たい顔をして言い放つ。怒り心頭に達した家族たちが殴りかかろうとしたとき、パソコンに一斉に正志の顔が映った。

「吾平正志……」

いまや日本で一番有名になった犯罪者である正志を、家族たちは憎悪の目でにらむ。しかし正志はどこ吹く顔で話し始めた。

「ルールはルールだ。あらゆるコネを使って、第三者から善行カウンターを押してもらうというのはアリだな」

それを聞いて、京子の父親がしてやったりといった顔になる。

「あんたたちも大事な家族を救いたければ、銀行から今までためた金を下ろして、路上で呼びかければいい。金と引き換えに息子や娘に善行カウンターを押してくれってな。もっとも、それをやったら後からツケが回ってくるだろうが」

それを聞いて、家族たちは真っ青になった。

「で、でも、今からだと銀行が……」

家族の一人がつぶやく。時計の針は午後二時をさしていた。

「警察に協力してもらえば、銀行に命じて金を降ろすことぐらいしてもらえるだろう。さあ、早く動け。時間が経つにつれて、悪行カウンターが増えて手がつけられなくなるかもしれないぞ」

正志は不気味な笑い声を残して、画面から消える。

次の瞬間、被害者家族たちは一斉に動き始めた。

親戚に電話するもの。通帳片手に銀行に走るもの。金がないからといって警察に泣きつくもので、大混乱になる。

「さあ。『最後の審判ゲーム』も佳境だ。今まで悪ガキを放置していた親たちにも責任をとってもらおう。身代金なんてセコイことは要求しないさ。せいぜい景気よく金をばら撒くがいい」

校長室で正志は高笑いするのだった。

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