第2話 吾平正志

いつものように学校の開始時間ぎりぎりに教室にすべりこむ。一秒でも教室にいたくない正志にとっては日課であった。


学校という空間は地獄だ。少なくとも正志にとって。


正志に対する苛めが始まったのも、その原因は兄や妹にあった。


最初は、有名である兄や妹に取り入ろうとした連中は最初正志をちやほやした。しかし、正志が兄妹から馬鹿にされていることを知った後は、苛めの対象になった。兄妹への嫉妬を、正志を苛める事で解消しているのだろう。兄妹たちも正志をネタにからかわれることがあるので、一層冷たくなっていった。


「おい、ゴヘイ。てめーなに無視してんだよ、妹と兄の下着とってこいっていっただろうが。マニアに売るんだからよ」


空手二段の工藤啓馬が殴りつける。彼が正志に対しての苛めの首謀者だ。普段はスポーツ万能でイケメンなので、結構女子にももてる。男子トイレでの正志への苛めを知らないからだろうけど。いや、たとえ知っていても、正志が悪い事になるのだろう。


 周りの取り巻きも集団で正志を殴りつける。水を頭からかけらたり、便器に顔をつっこまれる。


 デブで力が強いのが島田光利 といっても、正志を苛めるくらいにしか使ってないが。集団で正志を囲み、動けないようにして殴りつける時、彼の目は喜びに満ちていた。


「だらしないな。こんなのが澄美ちゃんの兄貴かよ。お前、どっかいけよ。お前がいるせいで澄美ちゃんが嫌な思いをしているんだよ。」


澄美に好意を持っているのか、最初に正志に取り入ろうとしていたのが光利である。その後、澄美が正志を嫌っている事かわかると、手のひらを返して率先して苛めるようになった。少しでも気を惹こうとしているのだろう。 


「ね、またゴヘイがずぶぬれになってるよ。汚くない?」


愛李美香。ツインテールの髪をした小柄で可愛らしい少女だが、口はとてつもなく汚い。


「触ったらぬらぬらしそう」


ショートカットの日焼けした美少女、日岡里子。陸上部のエースでスポーツ万能で、そののさっぱりとした態度で誰に対しても明るく振舞う人気者だが、正志に対してだけは陰気な陰口を叩く。


「あれで、よく学校に来ているよね。私だったら来なくなるよ」


椎野弓が残酷な笑みを浮かべる。


「でも、弓ちゃんあいつの幼馴染なんだよねー」


美香のからかいに、弓は露骨にいやな顔をした。


「もう。よしてよ!あんな奴と幼馴染なんかじゃないよ。あいつ昔から気持ち悪かったんだから。私の幼馴染は正人さんと澄ちゃんだけ」


「えへへ。ごめん」


美香はかわいらしくテヘぺロっとする。


「たしかに、この井上学園にはふさわしくありませんわね。ご両親は我が井上家とも付き合いがあるりっばな方で、お兄さんと妹さんも優れた方なのですが、あの方は必要ありませんわ」


聞こえよがしにわざとらしくため息をつく井上京子。髪をカールしたいかにもお嬢様然とした美少女だが、正志に対してさんざん悪口を言っている。


実は兄の正人と妹の澄美に対してこの学園に来るように両親と裏で交渉したのは彼女なのである。その際に弟の正志もセットで推薦入学するように両親から条件をつけられ、しぶしぶ受け入れた。


そのことをいまだに根に持っているらしい。


「ほんとうに、なんであんな方が……」


京子は汚らわしそうに正志をにらみつける。


彼女はこの八玉氏市の大地主で、いたるところにビルを持っている資産家で、この井上学園の理事長である井上俊樹氏の孫である。成績の良くなく容姿も優れない正志を井上学園にふさわしくない生徒として率先していじめ、自主退学に追い込もうとしていた。


彼女とその取り巻き達から逃げるように教室を出てかえろうとするが、啓馬に止められる。


「おい、なに逃げてんだよ。今からお前に対してのアンケートとろうとしているんだぜ」


「……」


「このクラスで一番学校に来てほしくない人」


「ゴヘイ」「ゴヘイ」「ナメクジ」手が挙がる。男子の代表である啓馬と女子の代表京子が手を組んでいじめに走っていては、クラス中がそれに従うのも当然である


彼はいつもゴヘイもしくはナメクジといわれているのだ。


 ちなみにナメクジとは正志がいつもいじめで水をかけられて濡れていることからついたあだ名だ。


「結論が出たな。しかし、お前ここまでクラスに不快感与えて、謝罪もしねえのかよ」


腹に一発殴られる。謝れよと周囲がはやし立てる。正志は無言で土下座した。


ここで土下座しないと、いつまでも殴られるのだ。





もちろん、最初は正志も何回も抵抗した。先生にも相談した。


 しかし、ダメなのだ。正志はクラス中の人間に嫌われている。


 兄や妹への嫉妬。そして、毎回苛められ、無様な姿をさらす僕に対しての容赦の無いさげずみ。


そして、卑屈になればなるほどその姿をみていじめる側に回る人間が増えていった。


特別正志の事を知らなくても、皆がしているから自分も苛めていい対象だと思うようになる。


自分より下と思う人間に対して、人間はどこまでも残酷になれる。


結果、苛める方が正義で、苛められる方が悪という図式が出来上がる。


「はは、土下座してやがる。男としてプライドないのかよ。まあ、ナメクジだもんな。俺たちは優しいから今日は許してやるよ。明日もこいよ。あ、女子からプレゼントがあるみたいだぜ」」


 あらかじめ打ち合わせていたのだろう。嫌がらせのように机の上に花瓶が置かれ、里子が持ってきた花が生けられる。


あまりの仕打ちに正志の目に涙が浮かんだ。


「ねー。こいつ自殺するんじゃない?これだけ皆から嫌われる奴もめずらしてよね。腹いせに死んでやる~とかしそう」


美香が楽しげに笑う。


「そんな度胸ないわよ。てか、自殺しても私たちのせいじゃないし。こいつがいるせいでクラスの雰囲気が悪くなっているんだから。全員同じ意見でしょ?」


里子の残酷な意見にさすがにクラスの何人かが引きつった顔をするが、京子の言葉に皆愛想笑いを浮かべた。


「自殺なさるのなら、誰にも迷惑をかけないところでなさってほしいですね。最後くらいは正人様や澄美様の迷惑にならないようにして欲しいですわ。皆さんもそう思うでしょう? 」


「は、はい。そうですね」


京子がぎろりと見渡すと、教室には残酷な笑い声が響く。


正志はこれ以上クラスにいるのに耐えられなくなり、カバンを掴んで逃げ出した。


久しぶりに神経が堪えたのだろう。気がついたら、校門を出たところで車道に飛び出していた。


キキーーッと音がして、次の瞬間に強い衝撃っを感じる。


「ああ……車に轢かれたのか……僕は……」


正志の精神は深い深い闇へと堕ちて行った。





気がついたら正志は、深く暗い穴のようなところを落ちていた。


周囲には同じように落ちていく人の姿。


しばらくすると、大きな赤い海に落下した。


(こ、これは? 飲み込まれていく……大きな存在と同化して、僕が消えていくような……)


周囲を見ると、何千何万という人が海に飲み込まれて消えていっている。


(僕は……死ぬんだ。跡形もなく消えるんだ……。)


目を閉じた正志の脳裏に浮かぶのは、今まで生きてきた記憶。


何一つ愛情を受けられなかった孤独で悲惨な人生。


(い……嫌だ。なんで僕だけ死なないといけないんだ。僕が何をしたっていうんだ。父さんも母さんも、兄さんも澄美も学校の奴等も、僕をいたぶるだけいたぶって。何一つ仕返しできずにただ死ぬなんて嫌だイヤダイヤダ……僕だけなんて納得できない!あいつらも……)


正志の脳裏に浮かぶのは、世の中すべてに向けた暗い復讐心だった。





「おーい。起きろ。意識はあるかー?」


軽い声が脳内に響き渡り、正志は目をあける。


正志の目の前には、巨大な顔があった。


「うわ! 」


驚いて後ずさる。


「おーい。それ以上下がると危ないぞ~。ゲヘナの業火に焼かれたら、生き返れなくなるぞ」


その言葉にあわてて周りを見渡す。


正志はなんと目の前の巨人の手のひらにいた。


「あ、あんたは……?」


「俺?大魔王サタン。よろしく」


実にあっけなくそういって笑う。


正志は理解が追いつかず、呆けた顔になった。




「あはは、そんな顔をするなよ。お前だってここはどこだか見当はついているだろ」

その言葉に改めて周囲を見渡す。

上から落ちてくる大量の人間。真っ赤に燃える溶岩のような世界

「ここは……地獄ってこと?」

「まあそうだな。地獄にようこそ」

そういってサタンは笑った。

「そうか……僕は死んだんだ……でもなんで僕が地獄にくるんだ。何も悪いことしてないのに」

悔しさのあまり涙を流す。

「まあ待て、順番に説明するから。言っとくけどな、善人だろうが悪人だろうが、皆ここにくるんだぞ」

「え?」

サタンの言葉に驚く。

「そもそも、地獄ってのはお前が思っているような場所じゃねーんだ。正確に言うと、ここは地球意識の中。まあいわゆる「あの世」って奴だ。多分運良く生き返ってここから帰った人間の誰かが、この光景をみて勝手に地獄と名づけたんだろうな」

「それじゃ、ここは何の場所なんですか?」

正志の言葉にサタンはよく聞いてくれたと言う様に話し出す。

「あの赤い海は地球の意識体そのもので、すべての生物の魂はあそこから生まれて、あそこに帰っていく。それがいわゆる『輪廻転生』ってやつだ。」

「は、はあ……」

正志の理解を超えていたが、なんとなく頷く。

「生物は生きているうちに情報を蓄積する。これが『記憶』ってやつだな、それが『魂』と言う記憶媒体に保存され、死後に地球意識と同化することで地球に知識が積みあげられる。そして地球はその知識を元に、何十億年も生物を進化させて、人間というある程度の自意識をもつ生物を作り上げたってわけだ」

「はぁ……」

生返事を返す正志。

「ま、そんな事はどーでもいい。本当だったらお前も自然の法則にしたがって、このゲヘナの海に溶けて地球意識と同化するわけだが……そうしたいか?」

サタンの言葉に正志はあわてて首を振る。

「そうか。だったら一つ提案したい」

「……提案ですか?」

身構える正志。

「そうだ。なーに。難しいことじゃない。このリンゴを食べればいいだけだ」

どこからとも無く黒いリンゴが正志の目の前に落ちてくる。

「これは……?」

「『知恵のリンゴ』サタンバージョンだ。実を言うとな。地球意識ガイアから、俺に対して命令がきたんだよ。新しい人類を作れって。それにしたがって『俺が考えた次世代の人類』ってモノをつくるためにそのリンゴを作った。それを食べればチート能力が身につくぜ」

嬉々としてしゃべるサタンに正志は疑わしそうな顔を向ける。

「……なんで俺に?」

「まあ、たまたま目についたというか、俺が次の世代に生き残るべき人類のタイプにぴったりだったんだよ。お前は俺に選ばれたんだ」

「選ばれた?」

それを聞いてうれしそうな顔をする。

「いいねぇ。ピッタリだよ。努力もせずに楽していい思いをしたいというその怠け癖。毎日苛められて周囲に対して恨みに思う心。親に対しても兄弟に対しても愛情を持たない冷たい心」

「馬鹿にしているんですか」

怒りのあまり黒いリンゴを叩きつける。

「馬鹿にしてないさ。そもそも、誰にも好かれてちやほやされる奴なんかに、新人類なんかつとまらんよ。そもそも進化するってことは、前にいた奴らを皆殺しにして自分だけ生き残る裏切り者だぜ」

「……人類の裏切り者ですか?」

「ああ。こそれが嫌ならこのまま死ね。平凡な魂として、地球意識に同化するだけだ。大したことじゃない。結構安らぎに満ちた状態だぞ」

そういってサタンは笑う。

「同化?ということは?」

「つまり、お前の存在は消えるってことだな」

あっけらかんと言う。

「嫌ですよ!……わかりました。それで、人類の裏切り者とは?」

「ああ。実はな、ガイア様は腐った人類を間引こうとしている。あまりにもほかの生命を貪りすぎたからな。知っているか?人類のせいで海洋生物だけでも最盛期の半分まで減っているんだぜ。これ以上、この種を残していたら、地球自体が滅亡してしまう。だから、なるべく無害な種に変えようとしてる。だから、俺はそのリンゴを作ったんだ。お前を新しい種に進化させるプログラムが入っている」

「……新しい種ですか」

正志は興味深そうにリンゴを見る。

「だが、そのリンゴを食べて新人類になると、自分とその仲間を種として確立させるために、今の人類やそれを守護する存在と戦って生存権を勝ち取らないといけない。そして最後には現世人類を滅亡させないといけない。つまり、人類のほとんどを裏切るってことだ」

なんでもないように言う。

「それって俺も嫌なんだけど……」

「ああ。そういう風に教育されているからな。お前なら違う考えももてるんじゃないか?お前の人生は見せてもらった。なかなか楽しかったよ」

その言葉と同時に、正志の頭に手を載せる。すると魂に今までの記憶が鮮明に思い出された。

何百日と排除され続けた辛い記憶。

普段は心の底に押し込められていた苛められた記憶が呼び起こされる。

家族にも、幼馴染にも、級友にも、知り合ったすべての人からみくだされる悪夢。

「くそ・・くそ・・僕なにをした。どうしてこんな目に・・」

泣きわめく正志。

「何もしてないさ。弱いだけだ。愛情も友情も嘘だ。お互い利用し利用されるだけだ。だから、お前のように利用価値のない者は誰も愛情を向けられない」

「・・・くっ」

「強いものは周囲から崇められ、美しいものは周囲から愛され、そして無能なものは周囲から苛められる。格付けの底辺を担い、『悪』を押し付けられ、叩かれ排除される。正義の名の下に」

それは、密かに自分が思っていたことだった。弱いから苛められる。醜いからさげずまれる。まして、身近に強く美しい存在がいればなおさら。 

「理不尽だと思わぬか?」

「理不尽だと思う」

「復讐したいと思わぬか?」

「復讐したい」

「その結果、この世界が滅びるとしてもか?」

「この世界なんて滅びるべきだ。強くて美しいものが正しく、無能扱いされるものが苛められるなんて間違っている」

正志の心からの叫びを聞いて、サタンは悪魔の笑みを浮かべた

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