人形に想いを添えて

篠騎シオン

人形に想いを添えて

  二階建ての台車、通称”山車やま”の一階部分でぼくは太鼓を叩く。


 テンポの速い、”帰り山かえりやま”の祭囃子。


 太鼓、笛、鐘、人々の掛け声……。


 楽しげな人の輪の中で、ぼくは無心で祭囃子を奏でる。


 少しでも気を抜くと、真っ黒い何かに飲み込まれてしまいそうだから。


 でもいくら太鼓に集中しても、ぼくの目は、心は、ある人を追ってしまう。


 それはもう習性のようなものでぼくにはどうしようもできない。


 ぼくが見つめる先には、二人の人間。


 片方は、ぼくの大好きな初恋の人。


 そしてもう片方は、今日紹介されたばかりの彼女の婚約者。


 人生15回目の姥神大神宮渡御祭は、ぼくにとって失恋の祭りものがたりになった。





 ぼくの初恋の人である”ねえちゃん”は近所の家の親戚の子供で、年に一度祭りの時期だけ江差町へと家族でやってくる。


 ぼくより一回り年上のねえちゃんはとても頼もしくて、お祭の間中ぼくはねえちゃんの後ろをついて回った。


 一緒に山車とともに練り歩いたり、祭用のごちそうの準備を手伝ったり……。


 幼いぼくを導いてくれるねえちゃんは、女神様のようだった。


 そんな彼女のことがぼくは大好きで、ずっと一緒にいたいと思った。


 だからある年、幼い頃特有のまっすぐな気持ちそのままをぼくは彼女に伝えた。


 結婚してほしい、と。


 小学校にあがるかあがらないかの頃のことだ。


 すると彼女は、困ったように笑いながらこう言った。


「ともくん、そういうことは大人になってから考えよう?」


 小さなぼくはその言葉を、大人になったら結婚しようね、ということだと受け取った。


 だからぼくはお祭の中、大人とは何かを探し求めた。


 大人って何?

 

 成人すること?


 違う。


 だって、母さんもばあちゃんも成人した親戚のおじさんのこと、いつまでも子供で困ると、言っていたもの。


 じゃあ、大人って何?


 大人になるってどういうこと?


 わからない。


 わからなくて、ぼくは泣いた。


 泣いて泣いて、泣き疲れて、ふと顔をあげ、山車を見た時に


 とてもかっこいいものを見た。


 それは、山車の一番上、二階部分。


 山車を彩る人形と神の依代たる青木を守る数人の人々。


 ”線取せんとり”と呼ばれる彼らの使命は山車を守ること。


 棒を用い、人形や飾りが人間の作った電線にひっかからないようにする彼らの姿は、まるで本に出てくる騎士みたいだった。


 幼いぼくはその姿に大人を見た。


 だからぼくは決心したのだ。


 ぼくがあそこに立ったら、再び気持ちを伝えようと。


 そうすればねえちゃんはぼくの気持ちを受け取ってくれると。


 中学生になって少し大きくなったぼくにとってそれは、そうあって欲しいという祈りへと変わっていった。




 ぼくは心の中で大きくため息をつく。


 祈りの結果がこれだ。


 ぼくは今年やっと”線取り”になることが出来るというのに。


 明日の本祭で、大人の仲間入りをするというのに。


 ねえちゃんは他の男の所へ行ってしまう。


 手の届かないところへ。


『そりゃあそうだ』


 僕の中の冷静な部分が言う。


『たかが近所の一回りも歳の離れた子供のプロポーズを真に受ける人間がいると思ったのか?』


 うるさい、わかっている。

 ぼくは必死に反論しながら、ばちを太鼓へとたたきつける。


 ただただ力任せに音を奏でる。


 そんな僕を見かねてか、それとも太鼓を叩きたくなっただけなのか、

 太鼓のメンバーの一人が交代しようか?と尋ねてくる。


 さすがに疲れてきていたぼくは、彼に向けて静かにうなずき、交代した。


 山車から降りたぼくは今度は本当にため息をつきながら、頭上にある人形を見つめる。


 ぼくの町の人形は神武天皇だ。


 彼は15歳で皇太子になり、その後妃を迎えたという。


 今のぼくと同い年だ。


 皇太子になり、妻をめとったその時、果たして彼は大人だったのだろうか。


 ぼくは意味のない想像をめぐらす。


 現実逃避だった。


 大人とは何か考えることで、ぼくはねえちゃんのことを忘れようとする。


 もともと、大人になりたかったのはねえちゃんと一緒になりたかったからなのに、ほんとに馬鹿みたいだ。


 ぼくは、仲良さげに話している二人の横を抜け家路につく。


「ともくん?」


 後ろでねえちゃんがぼくを呼ぶ声が聞こえたけれど、無視してぼくは歩き続けた。




 その晩、ぼくは眠れなかった。


 いろんなことがどうでもよくなって、空っぽで。


 もう、どうしていいかわからなかった。


 にぎやかな帰り山の祭囃子もいつしか途切れ、そこからさらに時間が経った明け方。


 ぼくはやっと浅い眠りについた。


 そして、一つの夢を見る。


 人形が、神武天皇が、ぼくに話しかけてくる夢だ。


『大人になりたくば、私の元まで来い』


 彼はぼくに、そう言った。


 



 本祭当日の朝。


 寝不足のせいか思う通りに動かない体を引きずりながら、ぼくは山車へと向かう。


 もう、大人になってもしょうがない。


 ねえちゃんは、もう戻っては来ない。


 でも、だからせめて、答えを出したかった。


 大人って何なのか。



 本祭初日の今日、江差の各町を代表する13の山車が神社の前に勢揃いしていた。


 いつもなら圧倒されるその景色も、今のぼくにはなんの感情も感激も与えてくれない。


 ぼくは、たくさんの山車と人の隙間を縫って、自分の乗るべき、神武天皇の待つ山車へと向かった。


 山車の中を通り、梯子で二階部分へと登る。

 そして、彼の隣へと並び立ち、周囲を見下ろす。


 そこは思ったほど高くはなくて、言ってしまえば何の変哲もない普通の場所だった。

 何年もこの場所を夢見てきたぼくはなんだか拍子抜けする。


 でも、少しだけこの場に立てたということを誇らしく思う自分もいた。


 山車の上から、二人の姿が見えた。


 楽しげに話す二人の様子を見ているうちに僕の心の奥の方で、すとん、と何かが落ちた。


「ああ、そうか。大人になるってそういうことなんだね」


 ぼくは小さく笑ってつぶやく。


 そして決意する。


 大人になってみせようと。


 ぼくは、山車を降り、彼女達のもとへと向かう。

 

 一つの言葉を届けるために。


「結婚、おめでとう」


 笑顔で届けたその言葉に、ぼくの心はチクリと痛んだ。

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