ep22/25「冷たき死への目醒め」

 敵に突き刺したばかりのパイルバンカーを、巨腕がずるりと引き抜く。背に槍を携えたエルンダーグは、紅い砲弾と化して飛び出していった。

 向かう先に浮かぶのは、狙いを定めた量産型巢襲機サーペントの一機。エルンダーグの接近に気付いた敵機は、距離を取ろうと轟々とプラズマ流を噴き出し始める。

 敵が見せたのは、僅かコンマ秒レベルの優秀な回避運動。しかし、それさえも、エルンダーグの前ではあまりに遅い反応でしかなかった。


 相手に距離を取らせる間も無く、エルンダーグの右腕が超音速で突き立てられる。白い装甲にめりこんだ拳は赤熱し、返り血のように噴き上がって来る火花に照らされる。いとも容易く装甲を突き破った鋼爪は、たった一撃で敵の息の根を止めていた。

 だが、敵は一体だけではない。

 息つく暇さえ無いままに、春季は弾かれたようにフットペダルを蹴り込む。


「後ろ……ッ!」


 エルンダーグの頭上に向けて、大型ブレードが振り下ろされようとしていた。

 間髪入れずにエルンダーグへと襲い掛かった一撃は、くるりと宙返りをきめた機体の前で無駄な一刀と化す。背後からの不意討ちを避けてみせたエルンダーグは、真空を裂くだけに終わったブレードの主に向けて砲身を展開。折り畳まれた短砲身の先に、突っ込んで来たばかりの敵を捉えていた。

 深さ70mに達する砲口の底で、徹甲弾は敵を食い破る瞬間を待っている。


発射ファイア


 発砲。ほとんど砲口が触れ合うような距離から、無慈悲に隕石が撃ち下ろされる。音速の数十倍にも達する速度で、俵ほどの徹甲弾は至近距離を走り切っていた。

 頭上から突き刺さる隕石に、敵はなすすべも無く撃ち抜かれる。頭部から胴体へと通じる大穴を穿たれた後には、機体の向こう側に広がる真空が見通せるようになっていた。


「まだいる……っ!」


 数kmの至近にはまだ、もう2機の巢襲機サーペントが控えている。連携を断たれたばかりだというのに、敵は動揺する素振りもみせずにエルンダーグへと迫って来た。

 だが、その内の一機は、突如として胸に無骨な鉄塊を生やしていた。

 敵の胸に刺さって息の根を止めたのは、質量数千tにも達する鋭利な鉄塊。撃墜したばかりの敵から奪ったブレードを投げ付けて、エルンダーグが既に一機を始末し終えていた。


 もう片方の機体に向けて、魔神は大翼を背に飛翔する。

 ブレードを振りかぶる敵機へ向けて、片腕しか無いエルンダーグは愚直に飛び込む。しかし、高周波振動に揺らめく刃が振り抜かれる直前、エルンダーグは見えない壁にぶつかったかのように急停止を果たしていた。

 目の前を掠めていくブレードの一撃。

 それから一拍遅れて鉄柱を振りかぶったエルンダーグは、ビルのような得物をすくい上げるように叩き付けていた。全長150mにも達する豪速のスイングは、敵の腕を凄まじい衝撃でへし折りながら撃ち込まれる。

 打撃インパクト。皮肉にも、敵が手にするブレードは敵自身の胸部へと食い込んでいた。


 数千tの質量で胸部を潰された敵機は、それでも痙攣するような動きを止めない。

 エルンダーグは敵に食い込む刃に向けて、容赦のない両脚蹴りを叩き込んでいた。包丁に鉄槌ハンマーを叩き付けるような追い打ちで、ブレードは更に数十mもの深さまで食い込んでいく。鋭い鈍器と化した得物は、量産型巢襲機サーペントの白い上半身を両断しかけていた。


「次ぃ!」


 仕留めた敵を足場に、骨翼を広げるエルンダーグは急激な方向転換を果たす。

 灼熱する翼を大きく羽ばたかせると、魔神は次なる敵を目指して縦横無尽の機動を繰り返していった。エルンダーグが始末した灰天使は既に6機を数え、残る敵機は密集隊形をとり始める。


「残りは、4機……!」


 敵部隊の2機は砲撃にまわり、残る2機は接近戦に備えてブレードを引き抜く。

 エルンダーグが瞬く間に大半の敵を屠ったことで、その化け物じみた戦闘能力は最大限に警戒されているようだった。連携を図る量産型巢襲機サーペントは、隻腕のエルンダーグを数で迎え撃とうとしている。


 しかし、春季は加速を止めようとしなかった。

 敵が素早い対応を見せてもなお、禍々しい翼を広げたエルンダーグに迷いはない。命を刈り取らんとする死神さながらに、その無機質な眼は次なる獲物を見定めていた。特に警戒を強めている前衛の2機に向けて、彼岸花の如き花弁を背負うエルンダーグが飛翔する。


 魔神が突っ込む先に待ち受けているのは、山をも裂くブレードの二振り。

 ブレードを構える敵機の懐に飛び込んでいったエルンダーグは、降り掛かる2振りの刃をひらりと避けてみせる。木の葉さながらに舞い抜けるエルンダーグは、数万tクラスの超重量を感じさせない軽やかさを宿していた。

 真空に打ち付けられた骨翼が更に速度を稼ぐと、エルンダーグは屈折した隕石のような軌道で後衛の2機に迫っていく。


 前衛を襲うと見せかけつつ、隙が生まれた後衛へ。

 エルンダーグの機動に不意を突かれた後衛2機の反応は、僅かに遅れている。

 敵が持つ巨砲からは隕石のような弾頭が飛んで来るが、エルンダーグは怯む気配さえ見せずに距離を詰めていく。近付き、近付き、敵まであと数百mという至近距離になったところで、射線から一気に身を沈ませる。

 地面無き宇宙において、上下などという表現は意味をなさない。エルンダーグはそれでも『下から』と表現できるような超高速機動で急速上昇。砲を構えていた2機に向けて、意識が向いていない足元からマッハ数百もの速度で突撃していった。


 虚空を貫く流星と化したエルンダーグは、しかし、ぴたりと敵機の背後で静止してみせる。静止するやいなや、真空に咲く砲撃の光。背を向けていた1機にブリッツバスターを撃ち込むと、エルンダーグはその爆発を見届ける間もなく、鉄柱を振りかぶっていた。


「吹き飛べよ……っ!」


 エルンダーグが振り抜いた鉄柱は、渾身の力で敵に叩き付けられていた。

 高層ビルがそのまま叩き付けられるような衝撃が装甲を砕き、灰色の装甲に深々と陥没痕を刻み込む。鋭い反動に身を震わせるエルンダーグは、振るった鉄柱の先で吹き飛んでいく敵機を追い上げていた。


 吹き飛ばされていく敵機の先には、もう一体の量産型巢襲機サーペントがいる。エルンダーグは爆発的な加速力で勢い付くと、殴り付けた敵を押し出すように蹴りつけていた。

 速度を乗せて蹴り下ろされた脚部が、ばきり、という圧潰の衝撃を招きながら敵の胸部を貫通。更にその背後にいた敵機をも蹴り砕くと、2機の灰天使をまとめて有り余る運動エネルギーの餌食とする。


 豪速の蹴りで2機をまとめて踏み砕いたエルンダーグは、コックピットを潰したばかりの残骸から飛び立っていった。

 壊滅寸前の敵部隊、残るはたったの1機。量産型とは次元の異なる運動性を発揮しつつ、エルンダーグは相手の死角から猛然と襲い掛かっていく。


「最後の、1機……!」


 瞬く間に懐へと飛び込んだエルンダーグは、敵に鉄拳を浴びせていた。超音速で叩き付けられた豪腕が装甲を砕き割り、傷付いた灰天使にそのまま掴みかかる。

 エルンダーグは唸る片腕で、力任せに敵機の腕をギリギリと軋ませていった。

 鋼鉄の悲鳴が機体越しに伝わって来るが、春季はそれでも構わずに出力を上げる。すると、動脈が傷ついたかのように噴き出す循環液の中で、量産型巢襲機サーペントの左腕は肩ごと引き千切られていた。


 思わず怯んだと見える敵機は、咄嗟に至近距離から砲撃を放つ。

 エルンダーグは瞬時にその場から消え去ると、奪い取った左腕を手に再び姿を現していた。恐るべき加速力で敵の視界を欺く魔神は、骨ばった翼を広げて再接近。強引に繋げた左腕を侵蝕しながら、徐々に紅く染まっていく両腕を打ち合わせる。


 拳と拳。失っていた両腕を取り戻す歓喜が、魔神を奮い立たせていた。

 敵の砲撃を掠らせもしないエルンダーグは、装甲が触れ合うほどの至近へと飛び込む。そこから敵機目掛けて繰り出される一撃。爪の使い心地を確かめるように叩き込まれた突きで、エルンダーグの左腕は肘まで敵機へと埋もれる。

 極めて高い硬度を誇る爪は、体内深くの動力炉付近にまで達しようとしていた。


 そして次の瞬間、敵の体内に突き込まれた左腕が膨れ上がる。

 ボコボコと沸き立つ青い肉塊は、爆発的な勢いで増えて行った。その内圧に負けた量産型巢襲機サーペントの機体は、瞬く間に全身の装甲を変質させていく。こぶのように固まった装甲は勝手に崩れ去って行き、制御不能と化した再生修復機能は、バランスを狂わせて自らを崩壊させていった。

 外訪者アウター同様にシステムを侵蝕したのは、他ならぬエルンダーグだ。故意に代謝を暴走させた結果、敵は自らの自己修復装甲に喰われていた。


 量産型巢襲機サーペント最後の1機は、もはや原形を留めない金属塊となって真空を漂う。ガラスのような脆さと化していた残骸は、エルンダーグが腕を引き抜いた途端に散華。キラキラと瞬く無数の破片となって、周囲の暗闇に漂い出して行くのみだ。


 戦闘が始まってからおよそ9分弱。量産型巢襲機サーペント部隊は、たった一機のオリジナルを前に全滅させられていた。


 紅い花弁のように広げられたエルンダーグの翼は、触れた途端に残骸を融かしていく。揮発した金属蒸気の雲に沈みながら、紅き魔神は青い星へと向き直る。

 ここで人類の尖兵と刃を交えてしまった以上、もう戦わないという選択肢はなくなった。これから待ち受ける何もかもを再確認するかのように、骨翼はゆっくりと振り上げられていく。

 間に合うかどうかは分からない。

 それでも、行かなければならない。


「――――待ってて」


 一気に翼が振り下ろされ、エルンダーグはマッハ数百に達する速度で飛び出す。

 人に牙を剥き、化け物に身を堕とし、それでも魔神が征くのは最終決戦への旅路。狂気に喰わせたこの身が受け入れられなくても、もう構わない。自分こそが地球へ襲い掛かる外訪者アウターの一体となり果てようとも、春季が紫瞳に宿した闘志は揺るがない。


 ボクの全ては、ただキミの為に。


 時に取り残され、数億光年を渡って来たエルンダーグの旅は、遂に最終局面へ足を踏み入れようとしていた。背を預ける味方もいなければ、眠りに就く暇さえ与えられない。薬物で命を燃やす一週間の連続戦闘は、こうして始まりを告げていた。

 全ての始まりの星、地球へ。

 たった一人の幼馴染を救うために、叛逆の魔神は地球を目指す。



 * * *



 ――――遠くにいるハルへ。


 わたし、もう何年眠っていたんだろう。

 こうやって目を覚ましても、全然実感が湧かないの。

 やっぱり周りには何も見えなくて、音だけが聞こえて来てね。わたし、世界がこんなに暗かったんだって初めて知ったよ。

 コールドスリープ、っていうのかな。寒くて、一人ぼっちで、怖かった。死ぬっていうのは、きっとこういうことなんだろうなって。

 それから起こされたんだから、わたしは、もう――――。


 でもね、分かってるんだ。

 こうなって当然なんだって。

 あの日だって、ハルは何も悪くなかった。

 わたしを守ろうとしてくれたよね、庇おうとしてくれたよね。

 それなのにわたしは、ハルを裏切ったの。

『きっと助けるから』って、そう言ってくれたハルに、わたしはなんて言ったと思う?

『うそつき』だって。

 本当に、本当にひどいことを言ったよね。


 だから、もうわたしはわたしが嫌い。

 それでも、こう思っちゃうんだ。もう少し生きたいって。

 あの寒いところにまた行くんだって思うと、手が震えて止まらないの。死ぬのは怖いんだって。こんな時になっても、生きたいって思っちゃうんだよ。ひどいよね。


 どこで間違えちゃったんだろう。もう分からない。

 でも、きっとこれは罰なの。あんな事を言ったから、当然の報いだって。


 ――――もう、これで最後だから、いいよね。


 わたしね、ハルが好きだったんだよ。

 今もそう。

 なのに、ずっと言えなかった。

 同じものを見て、同じ家で暮らして、ハルと生きたかったの。

 普通に生きて、歳をとって、お爺ちゃんとお婆ちゃんになるの。

 それもきっと幸せだと思うから。ハルの隣で、そんな風に生きてみたかった。

 望むことなんて、本当にただそれだけだった――――はずなのにね。

 どうして、こうなっちゃったんだろうね。



「……ごめん……ごめんね、ハル」


 

 罪なき十字架に縛られた少女は、静かに目を閉じる。

 彼女に向けられているのは、今にも火を噴かんとする銃口。体育館ほどの広さを誇る地下空間には、背広に身を包む関係者が百人近くも集まっている。外訪者アウターサンプルの破棄処分という名の下に、少女は魔女狩りじみた光景で処刑されようとしていた。

 80年に亘って続いた氷漬けの眠り、そこから目覚めたのは処刑当日。

 十字架に縛り付けられた冬菜は、闇の向こうに死の気配を感じ取っている。


 生きたい。

 そう願う彼女は、恐怖とはまた別の意味で身体を強張らせる。それは痛みだった。全身を満たしているのは、もはや叶わぬ願いに苛まれる痛みだ。

 あまりに遠すぎて、もう触れられない春季の手。その優しさに満ちた温もりを思い出してしまえば、既に光を失った目にも涙が浮かぶ。

 震える唇が、背一杯の虚勢を張るかのように言葉を紡ぐ。

 喉がつかえて、もう上手く声が出てこなかった。


「……会いたかった、なぁ」


 それは希望にも似た、諦めの言葉。

 もう生きられない。そう分かっていて口にする末期の後悔。

 一人の少女が絶望の闇に沈もうとした瞬間、微かに地が震えた。


 地下の屋内処刑場全体を揺るがしていく地響き、不気味に轟く金属の軋み音。ありとあらゆるものを揺さぶっていく微振動は、突如として鋭い衝撃となって爆発した。

 地上で爆弾が炸裂したかのような衝撃に、処刑場にいた誰もが慌ておののく。


 しかし、冬菜だけは微動だにしなかった。

 俯くように固まった彼女の顔は、無表情に凍り付いている。その裏にあるのは、差し迫った死への恐怖。だからこそ抱いてしまう、救いへの渇望。勝手に湧いて来る微かな希望を、冬菜は無感情で押し殺そうとしていた。

 なによりも、希望を抱くことを恐れているかのように。


 しかし、周りで騒ぎ出した者たちの会話が耳に入るにつれ、冬菜は胸がざわつくのを止められなくなっていった。


外訪者アウターに侵蝕されたエルンダーグが、地球に向かっているらしい』

『エルンダーグ、あの80年前に外訪者アウター核へ出撃したという?』

『たった一機に防衛網が突破されたのか? 何のためだ』

凱藤がいとうか、外訪者アウターに聞くしかないだろう』


 小さく、冬菜の肩が震えた。


『既に月基地も突破された。強制自爆信号も受け付けない』

『化け物め』

『地球軌道から降下して来るぞ』


 こらえ切れずに、今度は冬菜の唇が震えだしていた。


「うそ……」


 凍り付いていた表情にヒビが入り、押し込めていた想いが徐々に解き放たれていく。とめどなく迸る想いは、一世紀近くの時を経て宿った渇望だった。生きたい、会いたい。エルンダーグの帰還を知った彼女の顔は、ぐしゃぐしゃに歪んでいった。

 冬菜には不思議と分かってしまった。それは敵なんかじゃない、と。


 ――――ハルが、来てくれたんだ。


 俯いていた冬菜の瞳、光を失っていた彼女の目からぽろぽろと涙が滴り落ちる。もはや見ることさえ叶わない空を見上げるように、冬菜は顔を上げていた。

 今さら謝っても、許される事じゃないのかも知れない。

 小さな希望を裏切った自分を、春季は許さないかも知れない。

 それでもいい。この願いが天に届くのなら、春季に会いたかった。


「ハル、ハル……っ」


 とめどなく溢れ出る思いは、もはや小さな身体では抑え切れない。爆発するように膨れ上がる想いを溜め込んで、冬菜は精一杯息を吸っていた。

 ハルに、届け。

 そして嗚咽混じりのちっぽけな叫びが、天をも貫くように響き渡っていった。


「ハルウウウゥゥゥ!」


 少女の願いは、空へ。

 その微かな叫びは、蒼穹に一筋の流星を呼び込んでいた。


 高度約100km。薄い大気を裂いて一筋の火球が奔る。

 かつて狂気の魔神とも謳われた機体が目指すは、たった一人の少女。

 火星を超え、月を超え、遥かな旅路を経て舞い戻った魔神は今この星にいる。

 今にも崩れそうな機体を白熱させての単独強襲。大気圏への再突入を開始したエルンダーグは、人類へ最後の戦いを挑もうとしていた。


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