ep21/25「造られし灰天使」

 地球を背に迫る量産型巢襲機サーペントは、まるで天より遣わされた白き御使い。それらは全て、外訪者アウターという化け物を排し、地球を守るべく造り出された防人さきもりに違いなかった。

 ならば、このタイミングで火星宙域へと進出して来た理由は、二つに一つだ。

 今は亡きレイヴンを倒す為だったのか、それとも――――。


 春季はコンソールパネルに指を滑らせ、交信チャンネルを探る。太陽系を飛立ってからは80年という年月が経過しているが、それでも考えられる限り全ての周波数帯へと通信波を走らせる。

 もし本当にエルンダーグの帰還が望まれていたのなら、通じないはずは無い。


「こちらAMU-99〈Ern-Drgエルンダーグ〉。敵味方識別信号IFF発信、友軍識別を求む――――」


 繰り返し、繰り返し、あらゆる周波数帯に自らの声を乗せていく。自分は地球から飛び立った戦力だ、指示を与えてくれればそれに従う、と。滑稽な動作には違いないものの、エルンダーグに残っている右腕も上げてみせた。

 後は量産型巢襲機サーペントからの答えを待つのみ。返って来る気配もない答えを待ちつつ、春季は超望遠で捉えた敵影を見つめていた。


 既に1万km以遠にまで迫った敵影は、すっかり純白から灰色へすすけていた。否、元から灰色に塗装されていたのだ。整然と隊列を組んでいた灰天使の群れは、スラスターからの光を背負って横に広がり始める。

 ある意味では、春季も既に予想していた展開。脳裏に嫌な予感が走った。

 そして、モニターを埋め尽くす真っ暗な背景に、とうとう微かな光が瞬き始める。敵から発せられているのは、見間違えようもない発砲の微光だ。警告すら与えられぬ内に、彼は相手の意思を思い知らされていた。


 それと時を同じくして、コンソールパネルには次々にウィンドウが開いていく。ブロックノイズに塗れた表示は次々に破棄され、バグで強制停止するプログラムへと警告が発せられていた。

 稼働停止信号の受理プロセス――――〈Failed失敗〉。

 外部割り込み制御プロセス――――〈Failed失敗〉。

 強制自爆・・・・プロセス――――〈Failed失敗〉。

 故意のシステム破損で停止させられた処理を前に、春季は確信せざるを得ない。


「……初めから、そのつもりだったんだな」


 そもそも、エルンダーグの地球帰還が想定されていたとは思えなかった。

 いつ外訪者アウターへ変異するとも知れないパイロットを乗せ、敵の本拠地へと送り込む特攻作戦。もし、確実なタイミングで外訪者アウター核の粉砕が果たせるのなら、春季に帰りの切符を用意する必要などない。

 だからこそ、エルンダーグを送り出した時点で、人類が採れる選択肢は2つあったに違いなかった。


 外訪者アウター核に辿り着いた時点で、自爆させるか。

 さもなくば、地球へ帰って来るまでに自爆させるか。

 地球に住まう人々が突き付けて来たのは、後者の方だ。

 春季はコックピットに癒着しかけている我が身を見下ろすと、言葉を呑み込む。それは既に人の身体では無かった。


「そう、なんだよな」


 人類はもはや、エルンダーグの帰還を望んではいない。

 だが、春季はもう迷いはしない。躊躇いもしない。

 たとえ百億の人間が帰還を望まなくても、あの青い惑星に帰ってみせる。

 たった一人の幼馴染が待ってくれているのなら、全身全霊で戦ってみせる。

 一つ一つ、静かに覚悟を結晶化させていく春季は、冬菜の幻影に誓っていた。外訪者アウター核の記憶で味わった絶望を、かけがえのない彼女に繰り返させない為に。

 助けを呼ぶ声があるのなら、何もかもを粉砕して辿り着くまでだ。


「何が敵になっても、もう……!」


 フットペダルを踏み込むやいなや、エルンダーグは赤い翼を背に猛烈な加速を始めていた。

 途端に襲い来るのは、交通事故じみた衝撃。腹に突き刺さっていたレイヴンの腕までもが揺さぶられ、ぬるりとした循環液の氷を纏って外れていく。エルンダーグはそれを肩口に合わせると、脈打つ肉塊で切断面を繋ぎ止めていた。


 新たに肩口から生やされたのは、レイヴンから受け継いだ漆黒の右腕だ。

 ひどくひび割れた組織に自らの構成物質を流し込みながら、エルンダーグは腕を徐々に自分のものとしていく。ぴくりと動く指先、通い始める循環液。ぎこちない動きで血を通わせる腕は、砲身長150mもの電磁投射砲を構えようとしていた。

 装填完了。深く暗い井戸のような砲口の底には、2tもの鉄塊が沈んでいる。


発射ファイア


 ブリッツバスターの長砲身は、砲口からマッハ50――機体速度を乗せればそれ以上――もの速度で鉄塊を吐き出した。しかし、発砲の瞬間、砲身は激しく跳ね上がっていた。反動で荒馬のように暴れる電磁投射砲ブリッツバスターは、付け焼刃の右腕だけで抑え切れるような代物ではない。

 あさっての方向へ飛んで行った弾頭は、無駄弾となって暗闇に溶けていく。

 代わりに真空を貫いて来るのは、敵部隊から放たれていた砲弾の雨。10門の砲口から吐き出された数百発もの鉄隕石が、エルンダーグの元に届こうとしていた。


 敵部隊は隊列を崩さず、大して速度も上げないままに砲撃を続けている。緻密な連携に裏付けられた砲撃は、熟練の猟師を思わせる鋭さで真空を貫いていった。

 一方、砲戦を諦めたエルンダーグは、音速の100倍以上にも達する速度で距離を詰めていく。敵を遥かに凌駕する勢いで、紅い大烏は熾烈な弾幕へと突っ込んでいた。


「くそッ……右腕が、馴染むまでは!」


 次々に降り掛かって来るのは、正確無比な狙撃の雨。進路を阻むように放たれる砲弾を避けながら、エルンダーグは未だ馴染んでいない右腕を庇うしかない。

 無数の猟銃から逃げ惑う気分は、野山で追い立てられる鳥のそれだ。広大なはずの宇宙空間を狭められたような感覚の中、春季は、人に駆られる害獣の屈辱を味わわされていた。エルンダーグは、もはや人類にとって駆除対象でしかない。


 エルンダーグが追い立てられる害獣なら、敵部隊はまさしく猟師ハンター

 この部隊ならば、外訪者アウター数千体を相手にしても生き残るに違いない。そう思えるほどの性能を誇る量産型巢襲機サーペントは、オリジナル相手に遺憾なく実力を発揮している。

 相手は張り子の虎でも無ければ、出来の悪い紛い物でもない。決戦兵器たる巢襲機の名を受け継ぐべき、正真正銘の量産型エルンダーグなのだ。


「こいつらの性能スペックは……っ!」


 量産型巢襲機サーペントの性能は、エルンダーグの設計性能カタログスペックをも凌駕しかねない。それが合計で10機。総合的にはオリジナルさえも超える性能を実現した巢襲機たちは、その身を以て、80年という時の隔絶を物語っている。

 敵は全て、かつてのエルンダーグと同格以上の決戦兵器。

 エルンダーグは、一世紀近くも前に建造された一点物の骨董品。

 だが、その圧倒的な隔絶を意識してもなお、春季の口元は薄く歪んでいた。


 ――――それだけか。


 人を捨て、自らの身を捧げ、怪物と化してもなお魂を燃やす魔神には及ばない。装甲も、速度も、出力も何もかもが足りない。人の英知の結晶たる灰天使たちを前に、紅き魔神は人外の域に達した性能を叩き付けようとしていた。


 全幅300mもの骨翼を閃かせると、エルンダーグは火線を縫うように方向転換。数百Gもの負荷がかかるはずの超旋回で切り返し、一気に砲撃の範囲内から抜け出ていた。砲弾に切り刻まれる空間は機体の遥か下方へと流れて行き、誰もがエルンダーグの姿を見失う。

 格好のタイミングだった。

 エルンダーグは上下無き宇宙の海で、それでも天から舞い降りる猛禽類のように急降下を果たす。重武装に身を包む灰天使の群れ目掛けて、隻腕の魔神がまっすぐに襲い掛かっていった。


 傍から見れば、まさしく瞬間移動にも等しい常識外れの機動。

 すれ違いざまに振るわれた爪で、量産型巢襲機サーペントの一機が頭上から砕き割られる。未だ馴染んでいない豪腕の一撃でさえ、秘めたるエネルギーは核弾頭にも劣らない。暗闇に真っ赤な溶鉄を飛び散らせると、エルンダーグは瞬時に敵部隊を突き抜けていた。


「もう、一回!」


 苛烈なGで鉛のようにも感じられる身体を抑え付け、春季はフットペダルを踏み込む。

 スラスターから白光を噴き出して急制動、エルンダーグは一撃離脱を繰り返す為に舵を切っていた。次に葬り去るべき敵は、ようやく先ほどの攻撃に気付いたらしい一体だ。降り掛かる徹甲弾の驟雨を遡りながらも、片腕の無いエルンダーグは猛烈な加速で虚空を突き進む。

 しかし、何も無いはずの真空に光点が瞬くと、その巨体は粘着質な炎に覆われていた。


「な……っ!」


 突如として猛火に焼かれた視界に、思わず春季は身体を強張らせる。攻撃を中断したエルンダーグは、そのまま無数の浮遊物が煌めく宙域へ突っ込んでいった。

 音無き真空に咲き誇る灼熱の光華、機体に直接伝わって来る轟音。事前に仕掛けられていた熱核機雷やナパームで、真空の闇は業火に抉じ開けられていった。

 機雷原に足を踏み入れてしまったエルンダーグは、大蛇のように燃え滾る炎を泳ぐしかない。

 場違いな猛火の海には、追い打ちをかけるように豪雨さながらの隕石群が降り注いでいく。敵部隊から間断なく撃ち込まれる砲撃は、エルンダーグの機動を巧みに封じ込めようとしていた。


「このくらい――――!」


 全身のデブリ迎撃システムを稼働させ、エルンダーグは瞬く間に数万本ものパルスレーザーを解き放つ。辺りの空間全てが光の針に貫かれ、燃え盛っていたナパームや機雷群は一気に蒸発させられていた。残る熱核機雷も一斉に起爆し、蒼白い閃光が瞬く間に虚空を埋め尽くす。

 レーザーの奔流で炎を食い破っていくエルンダーグは、その隙に一気に敵部隊へ肉薄していた。しかし、今度は敵を前にした途端、濃い雲のようなチャフスモークが炸裂する。すぐさまレーザーで煙を薙ぎ払ったものの、エルンダーグの視界は一瞬だけ奪われていた。


 エルンダーグの加速が鈍った隙に、新たな量産型巢襲機サーペントは背後から迫っている。その手に握られているのは、刀身に鈍い照りを宿す大型ブレードの一振り。高周波振動にさざめく巨大な刀身は、大雑把過ぎる全長にも関わらず、鋭利な刃を艶めかせていた。

 当たればただでは済まない。

 その直感に突き動かされた春季の手が、咄嗟に操縦桿を弾く。既に再生を終えていたパイルバンカーは、新品同様の鋭利な先端を瞬時に射出した。


 音速をも超える槍が、振り向きざまに量産型巢襲機サーペントへと突き立てられる。

 装甲を突き破る手応えと共に、エルンダーグの前でパッと散らされていく穿孔の火花。鉄杭は濡れた地面へ突き刺さるように、あっさりと敵の装甲に食い込んでいた。銀に煌めくパイルバンカーの尖端は、その体内を深さ50m以上に亘って貫いている。

 一撃で急所を穿たれた相手は、もう動く気配さえない。


「やっと馴染んだな」


 全トルクを発揮して唸る右腕は、既にエルンダーグの深紅で染め抜かれている。

 紅く染まった右腕の使い心地を確かめるかのように、隻腕のエルンダーグは指を順に開いていく。それぞれ軍艦にも匹敵する巨大な爪を煌めかせながら、紅き魔神はゆっくりと辺りの敵を見渡していた。

 倒すべき灰天使は、残り8機。

 敵に回すのは、他ならぬ人間。

 迷いを捨て去ってもなお込み上げて来る苦さを飲み下し、春季は補助心臓に脈打つ身体を奮い立たせていく。何が敵になっても構わない。そう誓った己の言葉を反芻し、灰色に濁る天使たちへの宣戦布告に変えていった。


 冬菜の元へ辿り着く為なら、人としての正気など捨て去っても惜しくない。

 だから――――。


「僕は、フユ以外全部の敵になる……!」

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