ep19/25「墜奏のレイヴン(前編)」

 火星軌道を巡る光門ゲートの周りには、ゴマ粒のように散らされた肉塊が漂う。その規模は群れを超え、5000体以上の大軍勢に達しようとしていた。

 しかし、不気味なほどに静まり返った敵の中に、目立った動きは無い。光門ゲートを擁する火星軌道宙域は、種々雑多な外訪者アウターが埋め尽くす一大勢力圏にも関わらず、だ。そのほぼ中央には、深紅と漆黒に彩られた二柱の魔神が控えていた。


 レイヴンの背後では、赤茶色に錆び付いた大地が丸く象られている。

 エルンダーグの背後では、豊かな水を湛えた青い星が浮かんでいる。

 決して相容れない立場を確かめるかのように、二機は因縁極まる宿敵に向かい合っていた。そして、エルンダーグの背面が白く瞬き出した瞬間、レイヴンもまた黒翼を閃かせる。

 推進器の僅かな動き。それこそが、死闘の再開を告げる狼煙となった。


 堰を切ったように溢れ出す線孔シャープの雨が、全方向からエルンダーグを押し包む。そのエルンダーグに突っ込むレイヴンもまた、見境ない線孔シャープの弾幕へと自らの身を晒していく。

 外訪者アウターの照準速度など優に超えて駆けずり回る両機は、縦横無尽に極彩色の豪雨を駆け回っていた。


「お前は! 今、ここで……!」


 モニターの遠方に映るレイヴンへ目掛け、春季はフットペダルを蹴り込む。途端に苛烈さを増す加速Gに押しひしがれながら、彼は超高速で迫る敵影から目を離そうとはしなかった。

 視界には極彩色の光線が映り込み、機械じみた手さばきが霞むほどの速さで操縦桿を弾く。僅かな隙間さえ残さずに切り刻まれていく空間へ向けて、春季は巧みにエルンダーグを滑り込ませていった。


発射ファイア!」


 破砕投射形態の長砲身を構えるエルンダーグが、光の雨を避けながら発砲。

 流れ弾が外訪者アウターの一体を砕き散らしていく中、レイヴンは外訪者アウターの群れの中へと姿を隠していた。青い肉壁へ潜り込んでいったレイヴンを追い、エルンダーグもまた同じ軌道をなぞっていく。

 春季は躊躇する素振りすら見せずに、群れの只中へと機体を突入させていた。


 自らを流星と化して突っ込むエルンダーグは、音速の100倍以上で流れていく景色の只中にあった。障害物と化して突っ込んで来る外訪者アウターは、もはやそれ自体が危険な質量弾。小刻みな噴射を繰り返すエルンダーグが、降りしきる砲弾の雨を全速力で逆走していく。


「ハッ、ハッ、ハッ……」


 過呼吸を起こしたような浅い呼吸、幾つもの心臓が早鐘を打ち続ける。

 右に、左に、コンマ数秒の世界で切り替わっていく視界には、外訪者アウターが線となって突っ込んで来る光景しか映らない。極度の興奮で開き掛けている瞳孔は、もはや常人では立ち入れない超高速世界へ向けられていた。

 春季に求められるのは、ジェット戦闘機で密林の隙間を抜けていくような機動だ。瞬きの猶予すら与えられない彼は、デッドレースと化した追跡劇で血を沸騰させていく。敵はどこだ、あの大烏レイヴンはどこだ。血まなこで敵を求める修羅は、減速などしないまま群れを潜り抜けていった。


「見えた……!」


 口元が、黒い歓喜に歪んだ。

 100km以内の至近、外訪者アウターの群れの向こうにちらりと見えたレイヴン目掛け、春季はエルンダーグを驀進させる。針路上に邪魔な外訪者アウターを見つけた途端、彼の手は無慈悲に操縦桿を押し込んでいた。


 数十体規模の群れへと突っ込んだエルンダーグは、破城槌のように拳を振り下ろす。外訪者アウターの強靭な身体組織でさえ、ハンマーさながらに振り下ろされる一撃には耐えられない。進路上の外訪者アウターを砕き割ったエルンダーグは、返り血に汚れながらも更に拳を振るう。

 二体、三体と、次々に外訪者アウターを血祭りにあげながら、エルンダーグは隕石さながらの勢いでレイヴンへと迫る。


「落ちろオオォッ!」


 間合いに入るやいなや、魔神は黒翼を広げる大烏へ襲い掛かっていた。

 長大な得物を握る巨腕が、居合を思わせる動きで振り抜かれる。超音速で振り上げられた鉄柱は、野球場ほどの面積を瞬時に薙ぎ払った。

 恐るべき大質量と速度で叩き付けられた鉄塊は、レイヴンの黒翼を僅かに掠めていた。質量の暴力が翼を砕き割り、グロテスクな翼をなしていた骨の一本が吹き飛んでいく。タンカーが丸ごと叩き付けられるような衝撃に、叩き付けた鉄柱自体が真っ赤に過熱していた。


 背中からの殴打、渾身の打撃によろめいたレイヴンは、即座に反転してエルンダーグに向き直る。砕かれた翼を晒すレイヴンは、振り向きざまに巨砲を撃ち放っていた。

 エルンダーグ目掛けて突き刺さろうと迫る鉄塊は、ほんの目と鼻の先で撃ち出されている。


 しかし、寸前で突き出されていた槍が、レイヴンからの砲撃を迎え撃つ。

 パッと散る火花に、鉄柱を震わす鋭い衝撃。マッハ50以上もの速度で飛んで来た徹甲弾は、潰れながらも一直線に刺し貫かれていた。パイルバンカーの穂先に串刺しにされた弾頭は、赤く融けた鉄くずとなって砕き散らされる。だが、これで終わりではない。

 パイルバンカー、射出インジェクション

 追い打ちのように射出された杭が、一瞬の内に70m近い真空を貫く。空を割る尖塔にも劣らぬ杭は、その銀に煌めく尖端をレイヴンの装甲へと突き立てていた。


 射出されたパイルバンカーは、どこか軽い手応えと共に伸び切る。

 距離は十分、間合いも充分。それにも関わらずレイヴンを仕留め切れなかった杭は、敵の左手にがっちりと捕まえられている。敢えて手のひらに杭を貫通させるという荒業で、レイヴンはパイルバンカーの軌道を逸らしていたのだ。


「くそ……ッ!」

『たかだか、それだけの力で……!』


 春季を刺すあいつ・・・の叫びは、レイヴンとシンクロしているかのようだ。

 痛みなど感じる様子もなく、レイヴンはすぐさま鉄塊たる左脚を叩き込んで来る。激震と共にエルンダーグを打ち据える、電撃のような蹴り。純粋な質量攻撃となって襲い掛かる一撃は、エルンダーグの左腕を肘から叩き折っていった。

 たまらず吹き飛ばされたエルンダーグは、握り締めていたパイルバンカーを手放してしまう。レイヴンの左手に突き刺さる豪槍は、敵の手に落ちてしまっていた。次に何をするかなど、火を見るよりも明らかだ。


 吹き飛ばされつつあるコックピットの中、春季は直感する。激震する視界に映るのは、引き抜いた槍を構えるレイヴンの姿。突き上げるような衝撃を感じた頃には、エルンダーグは背中から外訪者アウターに叩き付けられていた。


 ――――マズい!


 案の定、レイヴンはビルのような腕をしならせて、槍を投げ放って来る。

 一方、外訪者アウターに叩き付けられたエルンダーグは、投擲を避けることが出来ない。咄嗟に伸ばした両腕で二体の外訪者アウターを捕えると、左右それぞれの腕で瞬時に敵を刺し貫いていた。

 未だ健在の右腕、折れかけている左腕、両腕は敵に深々と食い込む。衝角じみた偉容を誇る爪は、左右同時の一撃で外訪者アウターの急所を穿っていた。ひくひくと痙攣する死体を掲げるエルンダーグは、恐るべき早業で二匹分の肉壁を構えた。


 次の瞬間、タンカーのような巨躯を誇る投げ槍は、青い肉塊へと突き刺さっていた。舌を噛むほどの激震に耐える春季は、すぐ目の前で煌めく杭にゾッとする。あと5m、ほんの首の皮一枚ほどの距離で止まった杭は、二重の肉壁に辛うじて受け止められていた。

 すぐにパイルバンカーを引き抜いたエルンダーグは、しかし、レイヴンに翻弄されるままで致命打を与えられない。あの凄まじい機動を追えるようにはなったが、敵を圧倒する域には届いていない。


「こんなものじゃないだろ……っ!」


 ぎりり、と奥歯を軋らせる春季が、血を吐き出すように呻く。

 自らを贄として得たはずの力は、こんなものではない。

 まだ足りない。まだ引き出せる。そう言わんばかりに機体出力を引き上げる春季は、警告表示に構うことなく機体の枷を解き放っていく。

 すると、コックピットまでもが肉塊に覆われ始め、春季の脇腹から伸びていた血液循環コネクタが不気味に脈打ち始めた。生物的な管となって蠢くケーブルは、さながら胎児を生かす臍の緒。文字通りに春季とエルンダーグとを繋ぐ証が、より一層生々しい意味合いを以て彼を奮い立たせていく。


「……まだだろオォッ! エルンダーグ!」


 春季の叫びに応えるように、魔神の眼は一層強い光を宿し始めた。

 深々とひしゃげる装甲の奥に、血飛沫のような火花を散らしていた左腕。そのへし折られたばかりの箇所が不気味に泡立ち始めると、脈打つ肉塊は徐々に装甲を侵していく。外訪者アウターとの一体化を進めるエルンダーグは、更に姿を変貌させようとしていた。

 肩から生えていたウィングに、鱗のような多重装甲が形成され始める。

 背面スラスターが生えていた背面には、小さなこぶが突き出し始める。

 爆発的に加速するエルンダーグは、軽々と線孔シャープの驟雨を振り切っていた。レイヴンを仕留める為に、魔神が外訪者アウター群の隙間を突き進む。


 そして、群れの一体に狙いを定めると、数万tクラスの鉄塊は速度を殺すこともなく着地していた。強靭な脚部で肉塊を踏み締め、次の瞬間には思い切り蹴り飛ばす。

 超音速で叩き付けられた脚部に踏み抜かれ、外訪者アウターはたった一撃で彼方へと飛び去って行った。更にもう一体を踏み台にして、エルンダーグは鋭角的な方向転換を繰り出す。

 二つ折りに畳んだブリッツバスターを構える機体は、方向転換の合間に次々砲撃を叩き込んでいった。射線上の外訪者アウターごと撃ち抜いていく弾頭は、レイヴンを掠めていく。


 それでもまだ、あの大烏レイヴンには足りない。

 怪物となりゆくエルンダーグですら、まだ一歩及ばない。

 足りない力を噛み締める春季は、更に自らの退路を断っていく。


 ――――もっと……!



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