ep14/25「影なる惑星(前編)」
淡い赤色に染められた空の下、エルンダーグはうつ伏せ気味に擱座していた。その小山の如き巨躯は土砂に覆われ、右半身を地面にめり込ませたまま動かない。土石流に巻き込まれたかのような有様で、ただ静まり返っている。
だが、機体がおもむろにシュッと蒸気を噴き上げると、胸辺りの装甲は滑らかに開いて行った。あばら骨を左右に抉じ開けるように装甲が展開され、魔神の体内から米粒ほどの物体が這い出て来る。エルンダーグ本体に比べれば霞むほどに小さいものの、それはれっきとした人間の姿だった。
数カ月ぶりに外気に身を晒した春季は、全身をパイロットスーツとヘルメットで覆い隠している。彼は歩き方を忘れてしまった脚を懸命に動かし、未知なる星の大地を踏み締めようとしていた。一歩、また一歩、機体装甲のでっぱりで転び掛けながらも、なんとか地面に着地。ヘルメットの中で、小さく息を吐く。
ここは摂氏60度、二酸化炭素を主とする大気に覆われた異星。造山活動は数十億年単位の遥か昔に止まっているらしく、文字通りに熱を失って死んだ星だ。春季はパイロットスーツの前腕に内蔵されたモニターを見やると、そこで表示された数字に眉を寄せる。
――――Rb-Sr年代推定、4.7×10の17乗秒。
それこそがエルンダーグに内蔵された観測システムを用いて、辺りの放射性年代測定を行った結果だった。つまり、機体システム側は、この辺りの地層が
しかし、春季にさえ、その結果のおかしさは分かってしまう。なにしろこの宇宙は、ビッグバンという形で産声を上げてから138億年程度しか経っていない。とすれば、これはあまりにも馬鹿馬鹿しい結果でしかなかった。
「そんな訳無いよなぁ」
やっとの思いで外に出て来たばかりだと言うのに、肝心のシステムが不調では安心できるものも安心できない。彼の注目は、傷だらけのエルンダーグへと戻ってしまっていた。
「ひどいな」
春季は倒れ込むエルンダーグを見上げると、首を右から左にゆっくり振って全体を隈なく見渡していく。目の前で巨大タンカーが打ち上げられているかのような偉容は、それだけで傍に立つ春季を圧倒する程だ。精一杯寄りかかるように手をついてみても、視界一杯を覆う壁の如き巨躯は揺らぐ気配さえない。
だが、エルンダーグの胸部にかけて刻まれた裂傷は、未だに消えていなかった。レイヴンに深々と切り裂かれた傷痕は、今や浅い溝となって数十mに亘って伸びている。
「動くことには動くけど……今はやめた方が良いかな、多分」
できる限り動かさない方が、修復にリソースを割ける分だけ早く再生が終わる。それまでの時間、目立つエルンダーグを置いて近場を確かめておくのも悪くなかった。機体システムがおかしな結果を吐き出すならば、自分の足で見に行ってみるまで。
よし、と声を発した春季は、パワーアシスト機能の力を借りて歩き出す。
論理よりもなによりも、この星への疑問こそが足を動かしていく。あまりに地球に近い大陸配置を見てからというもの、春季の脳裏には棘のような疑問が引っ掛かり続けていた。
彼が目指す先には、高さ30m以上にも及ぶ崖が延々とそびえ立つ。その上、周囲360度どこを見渡しても、同じ高さの崖がぐるりと春季を取り囲んでいた。つまり、エルンダーグは半径数kmに及ぶクレーターの中心部で擱座していたのだ。
逆噴射に失敗した結果とはいえ、これでもまだ小さく留められた
未だ高熱で燻っている地面を踏み締めつつ、春季は歩いていく。
およそ4kmの道のり。クレーターの壁辺りにまで到達すると、彼は地道に登れそうな場所を見つけては手足を引っ掛けて行った。大した経験も無いとはいえ、クライミングの要領だと思えば多少は気が紛れた。スーツに包まれた春季の右手が拳大の岩を掴むと、パイロットスーツに増幅された筋力で身体を引き寄せて行った。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ」
手足で体重を支える度に、息が切れる。上にいくにつれて急激に角度を増していく崖を、春季は時に手を滑らせそうになりながらも登って行った。
そして、登り切るまであと数十cmを残すばかり。痺れそうになる手先で懸命にでっぱりを掴むと、身体全体を崖上に乗せていく。あとひと踏ん張り、最後に込めた力でなんとかクレーターの崖を乗り越えると、彼は勢いそのままにごろんと転がり込んでいた。
息を整えようと、仰向けで静かに上下する胸。大地に背を預けた春季は、自ずと異星の赤い空に向き合う形となる。
「……ここ、どこなんだろうな」
地球の夕焼けじみた空の色は、胸の奥に微かな違和感を掻き立てて来る。限りなく地球に似ている空だからこそ、些細な違いが際立ってしまう。そもそも春季はこの星に落着してからというもの、夕焼け以外の空を見たことが無かった。
だが、それだけではない。
この空には、
数日前、
あの時、エルンダーグは地表へ落下する前に、大まかな座標情報を取得できていた。少なくとも、今は
それにも関わらず、今は何故か正確な座標の特定が出来なくなっていた。
大まかな座標を取得出来たのは、地表落着前の一度きり。大気による減衰が激しいのか、レーダー波を含む電磁波も返って来る気配がない。星々を観測すれば確実に現在地を割り出すことはできるが、今はそもそも空に恒星が観測できていないのだ。
だからこそ、春季はせめてこの星がどんな場所なのかを知りたいと願う。
システムの不調を示す機体だけに、頼っている訳にはいかない。
しばらくして立ち上がった春季は、クレーターのすそ野を降りていった。
そして、スーツのアシスト機能を唸らせて猛然と走り出す。落着の衝撃波で何もかも吹き飛ばされた荒野を、春季は獣のような速度で走り抜けて行く。およそ30分後には、既にハーフマラソンに匹敵するほどの距離を走り切っていた。
その間に辺りの風景もすっかり様変わりし、荒野は起伏に満ちた地形へと姿を変えている。地面から突き出る柱のような岩が屹立し、天を衝くように立ち並ぶその地形。数千本とも知れない岩々はどれもほんのりと青く、まるで人工林のように地面から次々生えていた。
濃い霧の中、歩調にも警戒心を滲ませる春季は、青い奇岩突き出すジャングルへ足を踏み入れる。
「意外と、明るい……?」
見上げようとすれば、首が痛くなりそうなほどに高い奇岩の数々。それらが整然と並んでいるようにも見えるジャングルの中は、霧のせいか思っていたほど暗くない。雨でぬかるんだように緩い地面は、ぐちょり、ぐちょりと音を立てて、慎重に踏み出される春季の足を受け止めていた。
相変わらず霧が濃い。密閉されたヘルメットの中でさえ、どこか湿り気を帯びているように感じられるほどだ。春季は霧を払うように手を振ると、奇岩の一つへと歩み寄っていた。
この得体の知れない場所を作っているものは何なのか。
春季が興味のままに近付いてみると、青々しい山の表面には妙な光沢が見えて来る。更に目を凝らして見れば、そこにはびっしりと粘菌を塗り付けたように蠢く血管があった。
ぴくり、どくん。
心臓の脈動さながらに蠢く肉塊を目にした途端、彼の全身は悪寒に粟立って行く。弾かれるように手を引っ込めた春季の背は、噴き出して来た冷や汗でじっとりと濡れていた。
「なんだよ、これ……」
ゾッとするような予感に駆られた春季は、辺りを見渡しながら後ずさる。ぐちょり、と生々しい感触で靴底を受け止めた地面を意識した途端、心臓は不規則に脈打ち始めていた。前後左右、それどころか足元にすら感じられるあまりにも生々しい生物の気配が、息苦しくなるほどの重さで全身を押し包んでいた。
そう、この奇岩の森は全て、青い肉塊で出来ているのだ。
ここに居てはいけない。無意識下で脳裏に走った予感は、胸の中で暴れ出す不安を加速させる。高さ数百mにも及ぶ奇岩の圧に押されて、春季は更に後ずさった。本能的にこの場から立ち去ろうとする身体は、冷たい油のような汗で濡れている。
その時、奇岩の隙間を縫うように一陣の風が吹いていった。
風切り音に耳を奪われる春季の先で、数百m先も見通せなかった霧が徐々に晴れていく。視界が開けていくにつれ、彼は身体が無意識に強張っていくのを感じた。僅かな晴れ間にのぞき始めた光景は、足をその場に縫い止めて逃がそうとしない。
「えっ……」
霧が切れた先には、無数の
それは少なくとも四肢を生やし、服を纏って歩いて行く生物の姿だ。しかも一人や二人ではない。もし、ここが街の只中なら何の違和感も覚えないことだろう。そう思えるほどの数が、霧の先で行き交っていたのだ。
それを見た途端に、周りの風景に対するイメージまでもが書き換えられていく。
この周りの地形は、青い奇岩立ち並ぶジャングルというよりも、むしろ歪な街並みに近いのかも知れなかった。不定形に象られた青いビル街は、改めて見ればまるで硫酸に溶かされたかのよう。さも当たり前のように奇岩の間を行きかう人々を見てしまえば、春季には本気でそう思えるくらいだった。
しかし、彼は正気を取り戻そうとするかのように、頭を振る。
こんなのは有り得ない。
地球から何億光年と離れたこの地に、人間がいるはずが無い。いて良い訳がない。一縷の期待と猜疑心に逸る心を抑え付け、春季は慎重に薄い霧の中を進んでいく。そうやって人々に充分近付いてから、彼は身の毛もよだつような感覚を味わった。
彼らは皆、盲目だった。
否、あるべきはずの眼球が無かった。
いくら見渡してみても、そうでない者など一人も見当たらない。皆、奈落のように落ち窪んだ眼窩を顔面に2つ並べたまま、躊躇なく霧の中へと消えていく。街を行き交う人々の正体を、春季は戦慄に全身を凍り付かせながらようやく悟っていた。
「これって……全部、
人に擬態した化け物が、目の前を数千という数が行き交っている。
その事実だけでも、春季の足に地面を蹴り出させるには充分過ぎた。一体何がどうなっているのかなど、彼にも分かりはしない。危機感で爆発しそうになる心臓を抑えながら、この理解を超えた
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