ep13/25「漆黒の大烏(後編)」

 ジグザグ機動を繰り返すエルンダーグ。それを執拗に追い上げるレイヴン。

 片手に長大な鉄柱を握るエルンダーグは、左手の電磁投射砲ブリッツバスターから609.6mm徹甲弾を放った。レイヴンはスラスターから光柱を噴き出しながら、その黒い装甲ギリギリに弾頭を掠らせて最短距離を迫って来る。

 エルンダーグは再度砲撃、それでも懐へ飛び込みつつあるレイヴンを止められない。

 レイヴンは漆黒の豪腕を振りかざすと、さながら悪鬼のような爪を黒幕に煌めかせていた。目にも留まらぬ速さで再び振り下ろされる5本の衝角、その一撃にエルンダーグは咄嗟に身構える。


「くそ……ッ!」


 通り魔のように迫る爪へ向け、エルンダーグが電波塔さながらに長大な鉄柱を振るう。唸る右腕が力任せに振り抜いた鉄柱は、瞬時に超音速の打撃と化して半径150mもの面積をなぎ払っていた。瞬間、見上げる程の摩天楼が叩き付けられるような勢いで、レイヴンの爪と鉄柱が激突する。

 機体を通じて伝えられる激震、瞬時に花火が炸裂したかのように散る火花の雨。エルンダーグは、レイヴンが突き出して来た爪を辛うじて弾き飛ばしていた。


 そして息つく暇もなく、至近距離からブリッツバスターを構える。

 発射ファイア発射ファイア発射ファイア。コンマ数秒おきの連射、ストロボのように瞬く微光が赤い装甲を照らし出し、弾き飛ばしたばかりのレイヴンへ向けて徹甲弾が撃ち出されていた。

 だが、またもひらりと徹甲弾を躱してみせたレイヴンへ向け、エルンダーグは四本の光柱を噴き出して迫る。ビルのような鉄柱を軽々と振り抜き、ブリッツバスターを連射し、瞬く微光と火花でレイヴンの黒い装甲を照らしていく。闇の中から引きずり出すために、誘い出すような機動で敵を挑発し続けた。


 エルンダーグの左肩を徹甲弾が掠り、ビリビリという振動が春季を震わす。

 過剰な加速でレイヴンを誘うエルンダーグは、被弾紙一重の機動で自らを囮としていた。

 辛うじて回避を続ける春季の心は、じりじりと肌を焼くような感覚に削られていく。レイヴンの攻撃が機体を掠める度に、首の皮一枚で繋がっている命を自覚せずにはいられない。


 ――――このままじゃやられる。


 脇腹に繋がる人工血液循環ケーブルが、ドクンと脈打った。

 薬剤投入量が更に増加、体内で脈打つ補助心臓はいっそう力強く脈を刻み始める。ドクン、ドクン、一秒たりとも止まない心音の連鎖の中で、春季は血管が焼き付くような感覚に息を詰まらせる。冴え切った神経が、脳髄を氷のように冷やしていく。


 獣のように。機械のように。

 心が単純化されていく恐怖に肌を粟立たせるも、更に増えた薬剤が恐怖を忘れさせてくれる。何も恐れることはない。春季は赤黒く汚れた口元を歪める。外訪者アウターと同じになるくらいなら、自らをパーツの一つに貶める方が遥かにマシだった。


 レイヴンの構える砲口から逃げるように、エルンダーグは急激に軌道転換を行う。追い立てられる得物のように砲撃を避けていく様は、まさに大烏レイヴンに啄まれる甲虫のよう。寸前までいた空間が徹甲弾に裂かれて行くと、次は左に鋭く切り返し。強烈なGで機体フレームを苛みながらも、後ろから浴びせられる隕石群・・・を次々いなしていく。


 だが、張り付くように追って来たレイヴンは、僅かな隙さえ逃さない。

 敵は真っ赤なカメラアイを揺らめかせながら、殆ど真後ろで大口径砲を撃ち放っていた。咄嗟の回避機動を行うエルンダーグ、しかし、その動きさえも読んでいた弾頭が背中へと突き刺さる。

 光柱の一本を突き出していたスラスターが抉り取られ、急激な減速Gに晒された機体はガクンという激震に襲われていた。


 エルンダーグの胸部を引き裂かれたかと思えば、今度は背面スラスターへの被弾。

 コックピットシートに収まる春季は、ようやく繋がりかけていた骨を砕いてもなお締め付けて来るベルトに窒息しかける。前方へと放り投げ出されるような、むしろ撃ち出されるような負荷で軋む身体は、今や真っ赤に焼けた杭が埋め込まれているように熱い。

 それでも、機体に繋がれた意識は飛ばせない。


 彼は朦朧とする意識の中で、どこか調子はずれな警告音が敵の接近を告げているのに気付いた。次は斜め後ろからの攻撃。至近距離にまで迫ったレイヴンの装甲がモニターを埋め、まるで血を注いだように燃え滾るカメラアイと視線が合った。

 避けるには遅すぎる。もはや回避など出来ない。

 しかし、春季は恐怖が抜け落ちたような表情で、ただ敵を見据えている。


 このドッグファイトの末に、二機は慣性で驀進するアローヘッドの残骸をとっくに追い抜いていた。追い抜いた末に、その進路前方・・・・まで来ていたのだ。

 春季のぼやけた視界に、黒い腕を振るうレイヴンが映り込む。にやりと口元が歪んだ。


 ――――自爆用水爆、カウント0。起爆。


 まるで太陽の如く炸裂した青白い閃光の中、死の光に一筋の影が落ちる。そして、今まさに豪腕を振り下ろそうとしていたレイヴンの姿が、突如として弩級の杭に刺し貫かれていた。

 ほんの一瞬。まるで場面が切り替わったかのように現れた鉄塊。

 それは、自爆用水爆に押されて吹き飛んで来た残骸の一つ。劣化ウラン合金製ブレードの成れの果てだった。朽ちた刃は烏を射止める矢と化して、レイヴンの腹部下を砕き割り、頭部横まで一直線に貫通している。

 断末魔の如く、黒い全身がビクンと痙攣を起こす。

 直後、超高速で視界を横切っていくアローヘッドの残骸が、二機を隔てた。


 恐るべき速度で視界を横切っていく残骸。それが消え去った瞬間に、エルンダーグはレイヴンへと襲い掛かろうと猛進し始める。形勢逆転。紅く彩られた爪が振り上げられると、矢に串刺しにされたレイヴンへと叩き付けられた。

 戦艦級の重量をのせた殴打が、音速を優に超えて激突。レイヴンの黒い装甲を容赦なく叩き斬ると、大爆発さながらに吹き飛んだ破片がエルンダーグを打ち据える。

 だが、今さらそんなことでは怯みもしない。赤々と灼熱する切断面に照らされながら、エルンダーグは目にも留まらぬ速さでまたも豪腕を突き出した。レイヴンの左肩が引き千切られると、傷あとからは瞬時に凍り付いた循環液が噴き出し始める。


「ははっ……これでさぁ! これで、止まれよ! 止まってくれよ!」


 痙攣するように動き出そうとするレイヴン目掛けて、春季は薬漬けの破壊衝動をぶつけ続ける。切り裂いてもまだ動く、突き刺してもまだ動く。羽を散らすように全身を抉られていくレイヴンを前に、エルンダーグは容赦なく豪腕を叩き付けては氷を散らしていった。

 何度も、何度も。薬剤が本能を昂ぶらせる限り、攻撃は止まらない。


 だが、不意にレイヴンの眼が揺らめき立つと、その黒い巨腕が最後の力を振り絞るように突き出された。窮鼠の一撃は意外なほど俊敏に繰り出されて、一瞬の内に分厚い装甲をも引き裂く。戦艦ほどの質量物体が音速を超え、装甲を突き破った途端に火花を炸裂。激突で瞬時に白熱するレイヴンの爪は、エルンダーグの左肩付け根に深々と突き立てられていた。

 それこそが、紅い魔神の激昂を招いた。


「それ以上、動くなアアァッ!」


 思い切り引き絞られたエルンダーグの右腕が、不気味に震えて破滅的なエネルギーを溜め込む。

 そして、解放。爆発的な勢いで突き出された爪は、実に音速の10倍以上という高速で黒い装甲へと突き立てられた。ぴったりと閉じられた衝角がレイヴンの内部を引き裂き、柔らかな内臓のような内部構造を無残にも砕き散らす。

 エルンダーグの肘辺りまで突き入れられた右腕は、レイヴンを背中まで穿っていた。遂にメインカメラから紅い光が消え失せたレイヴンは、もはや残骸と化して漂い出そうとしている。エルンダーグもその流れに逆らわずに右腕を引き抜いていくと、軽い抵抗の後に二柱の魔神はゆっくりと離れて行った。


 満身創痍のエルンダーグは、おもむろに左肩の付け根へと手を伸ばす。

 伸ばした手が掴んだのは、レイヴンの爪だ。未だ突き刺さっていたそれを引きずり出すと、循環液が血液の如く噴き出ては凍り付いていく。さながら天の川のように煌めく氷片を曳きながら、エルンダーグは光門ゲートへ向けて向き直る。


「ハァ……! ハァ……!」


 ようやく、大烏レイヴンを仕留められた。

 恐慌と紙一重の破壊衝動から解放され、春季の心臓は不規則に脈打ち出す。まるで爆発するかのように早鐘を打つ心臓は、薬剤投与で抑え付けられていた感情をも解凍させていった。今さらになって震え出す手足、粉砕骨折の鈍痛で痺れだす全身。溢れ出す情報で、今にも頭が破裂しそうになる。


 つい数秒前まで破壊の興奮に打ち震えていた自分が、もう理解出来ない。

 容易く破壊に溺れていく自分が分からない。

 それでも、行くべき場所はただ一つ。

 未だに潰れている片目を瞑ったまま、春季は静かに右脚でフットペダルを踏み込んでいった。彼は幽鬼に憑かれているような表情、虚ろな紫瞳で真空を見つめる。血に汚れた唇から、生気無き呟きが漏れた。


「行か、なくちゃ……」


 死闘を越えた末に、エルンダーグは今度こそ光門ゲートへと向かう。

 どこまでも深い闇に浮かび上がるのは、まるで蛍が彷徨っているかのような軌跡。全長150mの鉄塊、星々の光を押し退けるように突き進むエルンダーグは、まるで血のような深紅に染め抜かれていた。

 ――――そこに、血の通う人間が乗り込んでいるからだ。


 そして、どこか儚げな印象さえ感じられる軌跡には、若さだとか、迷いだとか、おおよそ人が持ち合わせているような脆さを見て取ることも出来た。

 ――――そこに、一人の少年が乗り込んでいるからだ。


 太陽など星々の一つにしか見えない深宇宙、人間など到達し得ないはずの宙域。

 それでも、その物体には腕があった。

 地を踏み締めるべき、脚があった。

 あくまで自らが人型であることを誇示するように、紅い鉄塊はその異形を真空中に晒している。まるで甲虫が無理矢理人型を取っているような造形、半ば胸部に埋もれている頭部。表情無き顔面が震えると、縦に6本刻まれたスリットへ光が宿った。

 魔神の眼から、月光の如き輝きが溢れ出す。


 ――――どうしてこんな事になったんだっけ。


 魔神の胎内に身を収める春季は、不明瞭に曇り行く意識の中で自問する。


 実に光速の0.1%にも達する速度を叩き出す物体、光とも炎ともつかない尾を噴き出しながら進み行く機体の中は、不思議と時の歩みが遅れているようでもあった。小難しい相対論的効果の話など、春季には分からない。

 ただ、なんとなく、彼にはそんな気がしていたのだ。


 ――――僕は何のために戦っているんだっけ。


 不意の嘔吐感。くぐもった咳に息を詰まらせる春季は、口から赤黒い血を吐き出す。

 負傷の悪化を検知。接続コネクタオープン、戦闘促進剤の強制投与開始。

 途端に、機体側から流れ込んで来る種々の薬剤。強制投与ケーブルを伝い、血液脳関門を抉じ開け、血液中の薬剤が瞬く間に濃度を上げていく。専用の覚醒剤が脳髄へ染み渡って来る頃になると、彼の意識もだんだんと明瞭になって来た。


 ――――そんなの決まってる。あの子の、フユのためだ。


 激闘に次ぐ激闘が、エルンダーグと春季を追い詰めていた。

 つい五分前まで繰り広げていた戦闘でも、更に傷は深まっていた。

 しかし、彼らにとっての本番はここからだった。


 光へ。

 魔神は何かから逃げるように、極彩色の円環を纏う光門ゲートへ飛び込もうとしていた。

 あと数十kmの至近へと迫った空間歪みは、得体の知れない輝きで視界を覆い尽くしている。ほんの一瞬、あと一秒も掛からずに突っ込んでしまう光を前に、春季の脳裏を一縷の恐怖が掠める。覚醒剤の作用に浸ってもなお、指先が震えた。

 だが、彼は今さら躊躇うことはしなかったし、迷うこともなかった。

 更に加速。赤黒い血に汚れた彼の口元が、ほんの僅かに動く。


「いくぞ……エルンダーグ」


 全ては、宇宙に蔓延る敵をこの手で滅ぼす為に。

 呪われた運命から、必ずや冬菜を救う為に。

 束の間の追憶へと沈み込む意識は、光門ゲートの中にホワイトアウトしていった。



 * * *



 まず、激震がやって来た。

 ドン、ドンと、幾度も繰り返される爆発じみた振動。終わりの見えない大地震に揺さぶられるコックピットの中は、破断箇所をぎりぎりと軋ませ続けていた。衝撃の度に度に剝がれる鉄片は、配管まみれの狭いコックピットをつぶてのように跳ね回っていく。


「う……ぐッ!」


 未だに壁で押し潰されている左脚に、じん、とスパークじみた痺れが走る。まるで圧延プレス機に潰されるかのような圧に晒され、血まみれの春季が幽鬼さながらに呻いていた。

 脳髄を激しく揺さぶられては意識を飛ばし、次なる轟音で覚醒する。

 エルンダーグそのものがバラバラに分解するのではないか、と思えるほどの責め苦は、春季が朦朧としている間に数十回と繰り返されていた。


 次に意識がはっきりして来た頃には、更に増えた全身の骨折箇所が燃えるように熱くなっていた。ひとまず激震は収束、痛みとも熱さともつかない刺激の中で春季の唇がぴくりと動く。

 ひゅー、ひゅーとか細い呼吸で息を繋ぐ彼は、喉の奥に詰まるような違和感を取り除けない。すぐに血混じりの体液を散らしては、激しく咳き込み始めていた。体組織の再生が追い付いていないのだ。


 しばらくして春季が顔を上げると、未だにガタガタと小刻みに震えている室内、度重なる減速Gで歪んだコックピットフレームが視界に映る。そして一旦は破れたのかも知れない鼓膜に、電子音も聞こえ始めていた。

 はっきりとしない頭でモニター表示を眺めていた彼は、しかし、その内容を理解するにつけ全身を震わせていった。未だ潰れている片目もろとも見開いた目の先には、〈目標座標付近〉の文字列が躍っている。その表示が意味するものは、ただ一つだった。


 ――――ここから半径5億km以内の領域に、外訪者アウター核がある。


 現在地から約3天文単位ほどの推定誤差。つまり、太陽から地球までの距離を3倍ほど広げた球体領域の中から、小惑星ほどの大きさしかないとされる外訪者アウター核を見つけるのは骨だ。しかし、不可能という訳ではない。遂にここまでやって来た。ここまで来れば幾らでもやりようはある、と自分に言い聞かせる春季の胸には、一筋の希望が差し込んでいた。


「これで、フユだって……」


 激闘に次ぐ激闘、死闘の末に擦り減っていた心を僅かばかり膨らませながら、春季は傷付き切った身体でモニターを見渡す。

 周りを猛烈な勢いで流れていくのは、白い煙だった。それも水蒸気の雲だ。

 春季は既に、エルンダーグがどこかの惑星大気圏内にいることを理解していた。経緯は分からないにせよ、光門ゲートを抜けて以降、エルンダーグはそのまま運悪くどこかの惑星重力圏内に引きずり込まれていたらしいのだ。


 まさに今も、質量数万tクラスの鉄塊は、10m/sほどの重力加速度に引かれて落下し続けている。春季がスラスターの減速噴射を試みる間にも、エルンダーグは音さえ引き離すほどの高速で雲海を抜けていた。

 分厚い雲が切れた晴れ間から見えるのは、遥か下方を覆い尽くす一面の大地と海。しかし、遥か高空から臨むそんな光景を前に、春季は我が目を疑いたくなった。


「こ、これって……!」


 見覚えがあった・・・・・・・

 多少歪になってはいるものの、エルンダーグの下方に広がる地形はまさに地球のよう。ユーラシア大陸に似た大陸があれば、アフリカ大陸に似たものもある。あまりに強く郷愁を誘う大陸配置の数々は、いつか冬菜と眺めた事もある地球儀のようでもあった。

 ただし、海はどこも錆色に満たされていて、青い海の姿など見る影もない。

 木々の緑も、氷の白ももはや見当らなかった。どこかに豊かな色彩を忘れてしまったかのような地球は今、大陸全土がほんのりと青かった。


「地球、なのか? くそッ、推進系の制御が……!」


 知っているのに、知らない星。春季は不気味な胸騒ぎに襲われつつも、制御不能のエルンダーグと共に地上へと落下していった。


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