ep12/25「漆黒の大烏(中編)」

「近付いて来る、やっぱり……!」


 どう考えても交戦は避けられない。

 春季の手がパネル上を走り、電磁投射砲〈ブリッツバスター〉の起動作業をこなす。砲身展開開始。20階建て高層ビルにも匹敵する砲身が、二つ折りから一直線へ。砲が野球場ほどの半円をなぎ払うように伸ばされていく様は、モニターを通して春季の視界にも映り込んでいた。


 そして、正面のモニターには赤い表示がちらつく。

 十字架のような照準線レティクルに敵を捉えると、春季は拡大済みの敵機の姿に目を凝らす。闇に溶け込むような黒い装甲上には、赤いカメラアイの光が映り込むだけだ。しかし、その歪な人型は、スラスターから放たれる白光によってくっきりと象られていた。

 まるでそこだけ、極寒の真空が煮え立っているかのような存在感だ。


 見れば見るほど、あの黒い敵はエルンダーグに似ている。

 改めてそう認識した春季は、嫌な悪寒を振り払うように指先へ力を込める。敵は敵。その姿がなんであれ、やる事など決まり切っていた。


発射ファイア!」


 ガクンという振動が機体を走って行った頃には、全長150mもの砲身から初弾が放たれていた。砲口から迸る僅かな発光。直後に俵一つほどの鉄塊が撃ち出され、その隕石にも匹敵する運動エネルギーを悟らせぬよう無音で突き進む。

 着弾予想時刻はおよそ120秒後。


 無音の空間で、まずは互いを試すかのような砲撃戦が開始されていた。春季は努めて冷静だった。否、冷静を装っていた。

 相手に感情を読まれることを恐れるかのように、彼は努めて冷徹に敵の姿に意識を集中させる。次弾装填完了、表示が見えた瞬間にはトリガーボタンを押し込んでいた。

 モニター下を占有する尖塔のような砲身、直径60cmもの砲口から、僅かな光と共に2発目が発射された。


 ――――お前は誰だ。


 3発目の装填完了、更にトリガーボタンを押し込む。発射ファイア


 ――――答えろよ、お前は何なんだ。


 発射反動に揺さぶられながらも、春季は虚空の先に控える敵機を睨む。

 その問い掛けは、相手を撃ち抜く為に放たれたマッハ50以上の鉄塊に乗せられて飛んで行く。機体内部を巡るゴウンゴウンという重低音の中、春季は弾頭の行方を見守った。

 初弾発射から100秒経過、敵は動こうとしていない。

 更に10秒経過、発砲など素知らぬ様子でまだ避けようとしない。

 漆黒の装甲は闇に溶け込んでいるはずなのに、敵からは一瞬たりとも視線を剥がせなかった。

 春季は見守るような気持ちで、汗の滲む手で操縦桿を握る。あるいは、もしかすると、敵はこちらの発砲に気付いていないのかも知れなかった。


 このまま当たってくれるかも知れない。

 しかし、そんな願いが湧き上がった途端に、敵機は背面スラスターを偏向させて急激に進路を転換する。二度、三度、光が瞬いていくと、着弾予想時刻になってもそれ以上の光は生まれなかった。敵機への着弾無し。

 着弾寸前になってわざわざ避けてみせたとでも言うかのように、敵は爛々とその赤目を光らせている。まるでこちらを弄ぶかのような敵の機動に、春季は慄然としていた。なにか背中を冷たいものが落ちて行くような感覚に、相手が間違いなくこれまでの敵とは違うことを確信する。

 もはや疑いようもなく、黒い敵機は特別イレギュラーだ。


「こいつは、違う!」


 一線を画する機動に、エルンダーグの砲撃は次々と虚空を切り裂くだけに終わる。まるで砲撃地点を読まれているかのようだった。今までのアウターは、今まで一度だってそんな動きは見せていなかったのに。

 未だ一発の砲撃も受けていないのに、攻撃しているはずのこちらが追い詰められているような感覚。それが気持ち悪くて仕方がない。彼が意識するともなく、背中にはいやに冷えた汗が滲む。べったりと肌に張り付く冷たさが、敵機の放つ殺気そのものにも感じられた。

 狡猾に立ち回る黒い敵機の動きは、どこか鳥類じみて生々しい。

 閃くスラスター光は、得物を啄むタイミングを窺う鳥の羽ばたきにも見えた。


「この……遊んでるのかよッ!」


 今さらマッハ数百に達する速度を殺すことも出来ず、春季はペダルを踏み込む。

 春季は肌に張り付く冷たさから逃れたくて、万力で全身を潰すかのような加速を強めていった。ブレードで切り裂けば一瞬で終わる事だ。人の背丈よりも厚い刀身、一枚で空母にも匹敵する超重量の刃。その質量を真正面から叩き付けてやれば、どんな外訪者アウターも耐えられはしない。

 砲撃で足止めできなかった敵機との距離は、すっかり詰まっていた。


「一撃で、仕留める!」


 あと800km、未だに敵は一発も撃って来ていない。異様だった。

 しかし、敵のリズムに乗せられるくらいならいっそ、と春季は賭けに出る。あと一歩の踏み込みを掛けるように、春季はフットペダルへの踏み込みを僅かに深めた。

 微増速、更に加速を強めたエルンダーグは、超大型ブースターノズルから吐き出される白い炎に押されて突き進む。

 前方から突っ込んで来る敵機へ、二枚のブレードが振りかざされる。


 敵機は赤い光を滾らせたまま、進路を変えていない。

 交錯は一瞬、凄まじい相対速度ですれ違った二物体は、瞬きする間もなく離れていた――――はずだった。

 敵機はピタリと止まっていた・・・・・・

 否、そんな錯覚すら覚えさせるほどに激烈な減速を行った敵機は、まるでアローヘッドに張り付くように改めて突進を仕掛けて来る。

 ブレードの上を滑るように突っ込んで来る敵機の姿に、春季は一瞬の内に肌が粟立つのを感じた。られる。本能的な直感に突き動かされると、咄嗟にエルンダーグの豪腕を交差させようとした。

 だが、間に合わない。


「こいつ……ッ!」


 咄嗟に閉じかけられた豪腕の隙間から、真っ黒な衝角が突き出される。

 まるで5隻の軍艦が一斉に突撃して来たかのよう、しかしそれは敵が超音速で振り下ろして来た左爪の一撃だ。極めて高い硬度を誇る爪がエルンダーグに食い込むと、胸部から腹部を一瞬で砕き割る。赤熱する切断面が4本の創傷となり、中型隕石の衝突にも等しい運動エネルギーは、コックピットフレームをもグシャリと押し潰し掛けていた。


「ぐッ……!」


 春季を取り囲んでいたモニターにヒビが入り、密室の壁が弾かれるような勢いで後退して来た。性質の悪いプレス機と化した壁は、春季が恐怖を感じる間もなく身体を潰していた。アドレナリンで痺れた痛覚が、ジンジンと疼くような痛みで左脚が潰された事を知らせて来る。

 粉砕骨折、靭帯断裂、動脈切断、ねじ曲がった壁の間で潰される左脚は、フットペダルもろとも使い物にならなくなっていた。


 春季は咄嗟にフットペダルの配分を右脚に集中させると、使い物にならなくなった左脚のことなどお構いなしにスラスターを噴かす。蜘蛛の巣のようにヒビ割れて曇ったモニターの向こうに、敵の姿を捉える。


「そこかよ!」


 切り裂かれた胸部を晒すエルンダーグが、アローヘッドとドッキングしたまま高層ビル大の長物を振り回す。狙いは離脱したばかりの敵機。すぐさま敵機へと向けられた砲口からは、執念を滲ませた徹甲弾が繰り返し撃ち出される。

 ひらり、ひらりと避けていく敵機に怨嗟の炎を向けながら、春季はそれでも執拗な砲撃を続ける。あまりに骨折箇所が多い、破裂した血管も多い。吐き気にも似た不快感を堪える彼は、妙に熱を帯びる身体を奮い立たせて操縦桿を操っていた。


 だが、未だ余裕をのぞかせる敵機には、狙いの甘い砲撃など届かない。

 鋭角的な機動で砲撃を躱しながら、敵機はアローヘッドの右斜め後方へと回り込む。敵がアローヘッド目掛けて構えているのは、ブリッツバスターに酷似した武装だ。その砲口から激烈に加速された鉄塊が発射されると、鉄隕石のような攻撃が容赦なく撃ち込まれた。


「後ろから、しまっ――――」


 春季が言い終える間もなく、運動性皆無のアローヘッドへ徹甲弾が殺到する。

 ブレード基部に着弾していった徹甲弾が、爆撃痕のように抉られていた装甲を叩き割る。五発、六発、超高熱で脆くなっていた装甲が剥され、耐え切れずに軋んでいく2枚のブレードは半ばから捩じ切れていく。無音の悲鳴を上げていった数十万tクラスの刃は、遂にその大半がアローヘッドから引き剝されていた。

 残すは、白炎を噴き出すノズルと、残骸を纏うエルンダーグのみ。


 そして遂に、2tにも達する大口径弾の一発がブースターノズルを抉っていた。着弾箇所がパッと散るように吹き飛ばされ、直径50mもの椀型ノズルから噴き出す白光は蛇のように暴れ出す。制御出来なくなった猛烈な推力が更にノズルを崩壊させていき、いつしかアローヘッドから推力を奪い去っていた。

 そして、背後からもう一射。

 ノズル基部の推進剤タンクを突き破り、止めの一撃が突き刺さる。


 反応性に富んだ推進剤が発火し、一秒と経たない内に膨れ上がった火球が莫大な熱でアローヘッドを弾けさせる。弾薬庫にナパームが投げ込まれるより、なお酷い。九割以上を使い果たしていた推進剤でさえ、そこに秘められたエネルギーは数千tクラスの爆薬以上だった。

 矢じりはさながら、超大型タンカーにも匹敵するロケット花火と化す。

 盛大な白光で闇を焼きながら、残骸と化したアローヘッドは激烈に加速された燃えカスとなろうとしていた。


「……ッ!」


 ブレードという重りの大半を失ったことで、文字通りに爆発的な加速はもはや制御が利かない。ほんの瞬きをする間に、静止状態から宇宙速度に達しようかという激烈な加速。あまりの負荷に抑え付けられた脊柱が砕け、春季の体内では内臓の幾つかが粘着質に弾ける。絶叫することも叶わないまま、遂には左目までもが見えない巨人の手で押し潰されていた。


 ある種の拷問じみた数秒が続くと、春季の身体は至るところが燃えるような熱を発していた。呼吸をする度に、焼けた杭で抉られるかのような熱が増す。身体が訴えて来るのは、もはや痛みですらない。

 春季は強制的に保たれた意識の中で、妙な方向へとねじ曲がった腕を操縦桿に這わせる。アローヘッドからの分離シークエンス開始。

 モニターに真っ赤な警告表示がポップアップした途端に、アローヘッドに内蔵されていた自爆用水爆のカウントダウンが始まる。


 エルンダーグはアローヘッドから離脱しつつ、背骨のような竜骨フレームからずるりずるりと長大な鉄柱を引きずり出していった。紅い魔神が手にするのは、機体全長に匹敵するほど長い柱だ。先端には赤い包帯のような保護材が巻き付けられ、地面に突き刺せば50階建てビルもかくやという偉容が覆い隠されている。


 春季は曇ったモニター越しに敵の姿を見ると、操縦桿を無理矢理に押し込んでいた。血走る彼の片目は、今まさに砲撃して来た敵機の姿を捉えている。


 ――――そんなところから撃ったってさァ!


 エルンダーグは包帯付きの鉄柱を握り締めるやいなや、桁外れのトルクで鈍器さながらに振り回す。そして衝突インパクト。おもむろに虚空を裂いた鉄柱は徹甲弾を捉え、激震と共にあさっての方向へと弾き返していた。真っ向から砕いた徹甲弾の火花を全身に浴びながら、縦6本のカメラアイが翡翠色に輝く。

 莫大な回転モーメントを殺すように噴射を掛けながら、エルンダーグはアローヘッドから離脱していった。


 黒い敵機は、そんな満身創痍のエルンダーグへ嬉々として向かってくる。さながら死にかけの得物を引きずり回す捕食者だ。

 片目が潰れている春季には、曇ったモニターに映るその姿がなさおらカラスのように見えていた。それもそこらのクロウではない、漆黒の大烏レイヴンだ。


 情報更新。敵識別コード――――Ravenレイヴン


 春季の思考を拾ったエルンダーグは、黒いエルンダーグを新たに〈レイヴン〉の名で表示し始めていた。あの大烏レイヴンを殺せ、紅い魔神は春季にそう囁きかけてくるようだった。


「やって、やる……よ!」


 血泡で喉をつかえさせながらも、春季は凄まじい表情でレイヴンを睨む。バラバラにして殺してやる、抑え切れない殺意を流し込まれるように、身体を巡る熱が温度を高めていった。

 もっとグチャグチャに、派手に、ぶち抜いて。

 破壊衝動に突き動かされる満身創痍の身体は、既に再生が始まっている。一応は繋がり始めた腕で操縦桿を押し込むと、春季はレイヴンを引き離すように加速を始めさせた。

 エルンダーグとレイヴン、深紅と漆黒の魔神が流星よりもなお速いドッグファイトへともつれ込んでいった。


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