ep11/25「漆黒の大烏(前編)」

 ――――空白、ただひたすらの空白。


 一面に虹光を満たす虚無がエルンダーグを包み込み、その胎内に眠る春季をも覆っていた。永遠に思える一瞬が過ぎ去って行き、眩しい闇が視界を焼いていく。

 その間に、一体どれほどの時間が経過したのかも分からない。

 気が付けば、春季はコックピットシートの上に血だらけの身体を収めていた。既に再生処置が始まっている証に、脇腹から伸びる銀管は静かに唸っている。

 魔神の子宮に包まれながら、胎児たる春季は歪な母性に抱かれるのだ。

 浅い呼吸音が、壊れたポンプのようにコックピット内で連続していた。


「ハァ……ハァ……」


 宇宙空間から大気圏へのダイブ、そして推力にものを言わせての強引極まりない大気圏離脱。あまりの刻苦に痛めつけられた身体は、全身のあらゆる部分を粉砕骨折した痛みに炙られる。脂汗を浮かべながら、春季は浅い呼吸を繰り返す。

 痛みで失神しないでいられるのは薬剤のおかげだ。麻酔剤の効果も優秀らしかった。


「ゲートは……抜けられた、のか……?」


 眼底出血で赤く染まった視界の中、春季は自らの身体に視線を向けていく。

 少なくとも自分の身体は、手も足も全てが繋がっている。

 機体チェックを始めようと思い立った春季は、胸の中で急激に湧き上がる焦りに押されて飛び上がった。直後に苦悶の叫びを上げるも、その緊張感は些かも途切れていない。

 無事にゲートを抜けたということは、つまり今は外訪者アウター核の近くにいるということだ。

 一瞬で戦闘態勢へと切り替えられた精神が、窮鼠さながらの警戒心で以て敵襲に備える。寸分の隙もなく左右前面のモニターを舐めまわすと、宇宙の闇に敵の姿を捉えようとする。


 だが、幾ら探してもいなかった・・・・・

 一匹たりとも外訪者アウターの姿は見当たらず、それどころか小惑星大と目されていた外訪者アウター核さえ影も形も無い。エルンダーグが航行しているのは、正真正銘の虚空たる真空でしかなかった。

 遥か彼方、太陽系など見当らない暗幕で瞬く星々の光は頼りない。

 太陽系を漂っていた時の方がまだ温かった・・・・ような、そんな錯覚すら覚えるほどに空疎な空間が心を凍らせていく。数億光年に亘って星一つ見当らない。どんなに手を伸ばしても岩屑一つ掴めない。それなのに、想像を絶するほどの空間だけが用意されているという恐怖。

 もし、この世に果てがあるとすれば、それはまさにここなのかも知れなかった。


「どこなんだよ、ここは……!」


 あれだけ苦労したのだから、何も無い訳がない。無くて良いはずがない。

 そうして、殆ど自己洗脳にも近い論理で、どっと噴き出し始めた汗を抑えようと試みる。脳髄がオーバーヒートしていくような恐慌の只中にいた春季は、しばらくすると指を止めていた。安堵の色を滲ませるため息を吐いた彼は、フィルターで加工された真空の闇を見つめる。

 そこにあったのは、二つ目のゲート・・・・・・・だった。

 時が経つにつれて発光パターンは大きく変わっているらしく、波長はX線領域から電波領域まで変動していく。第一ゲートから第二ゲートまでの直線距離は、およそ4万km。

 春季は肉眼には明滅を繰り返しているように見えるゲートへと、エルンダーグの進路を向けて行った。


 きっと今度こそ、あの向こうに外訪者アウター核があると信じる。

 夜の街灯へ誘われる蛾のように突き進むエルンダーグは、空疎極まる海を漕いで行った。これだけ空漠たる空間だと、直感的にはもはや進んでいるのかどうかも分からない。それでも、誘蛾灯の如く揺らめくゲートを目指して光柱を噴き出していく。

 しかし、その時、春季の視界で僅かに瞬く光があった。


「……ん」


 出血で濁った視界を抑え、春季はもう一度前方の虚空に目を凝らす。

 そして今度こそ、闇の中に血のような幽炎が瞬いていた。さながら裂けた傷跡のように燃え立つ赤光は、縦に6本・・・・だけ並んでいる。

 宇宙に漂う6本の鬼火、その微かな灯りで浮かび上がったシルエットを前に、春季は思わず我が目を疑う。

 衝角じみた爪を生やす一対の豪腕。

 地を踏み締めるべき一対の脚。

 艶めく金属光沢に包まれたそれは、紛れもない人型だった。まるで甲虫が人型をとっているかのようなそのフォルム、春季の紫瞳はもはや間違えようもない。それは彼が知る魔神の姿と、何もかもが似通っていた。


 ――――その人型が、漆黒に染め抜かれている事を除いては。


「黒い、エルンダーグ……?」


 春季が唖然と見つめる先で、黒いエルンダーグは彗星のような光を纏う。

 それが推進機関の吐き出すプラズマ炎であると悟った瞬間、春季は操縦桿を握り締めていた。少なくとも味方では無い。エルンダーグもまたスラスターの出力を上げると、敵として認識した人型へ向けて加速を強めていく。


 深紅と漆黒のエルンダーグ、二柱の魔神がこの世の果てで相対しようとしていた。


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