ep4/25「巢襲機〈エルンダーグ〉」

 薄汚れたシャツを身に着ける学生に、喪服姿を清潔な白衣で包み込む男。奇妙なほどに噛み合わない二人が、目が痛くなるほどに真っ白な廊下を歩いて行く。春季はまるで、施設内に紛れ込んでしまった埃のようだ。

 尋問室を後にしてからというもの、凱藤は黙り込んだまま口を閉ざしていた。

 しびれを切らした春季は、不信感も露わに白衣の背中を睨みつける。


「あなたは、冬菜を助ける方法があるって……」

「そうねぇ、まずは〈外訪者アウター〉のことについて話さなきゃならないわ」


 たとえ少しでも、躊躇いがちに聞こうとしたのが間違いだった。どうやっても凱藤のペースを乱すことは出来ないと悟って、今度は春季が黙り込む。


外訪者アウターっていうのはね、完結型の自己複製体よ」


 唐突にそう言い放った凱藤は、廊下脇のガラス窓を指さしている。

 廊下に面しているのは、何かの穴ぐらのように設けられた幾つもの研究室だった。そこかしこで動作する方形の機械。雑多なケーブルに繋がれたそれらの間を、白衣姿の研究員たちが蠢いている。

 そして黒いテーブルの上、無数のシャーレに詰められているのは、ぬめり輝くグロテスクな肉塊だ。「あれは外訪者アウターの肉片を培養中なの」と、凱藤は囁くように補足して来る。


「要するにクローン。戦闘機型、筒型、人型、色んなタイプがいるけど、どいつもこいつも遺伝配列は一致しているわ。有機物、無機物を問わずに食らっていくのも同じ。一番厄介なのは、大きな個体が持っている重力制御能力と、もう一つ。空孔ホールね」

「……あの空間を切り取るって言われている能力、ですか?」


 ぴんぽーんと、凱藤は口の形で正解を告げて来る。

 空孔ホールという言葉を聞いた途端、春季の脳裏にはつい昨日の記憶が蘇っていた。

 人形スワンプマンに近付いた途端、肘から先を消し飛ばされた教師。冬菜の目の前で、上半身ごと抉り取られた人形スワンプマン。流血、絶叫、そして恐怖。

 あのバチンという間抜けな音と共に見えた光景全てを、だ。


「怪しい専門家モドキがそう言っているだけで、本当のところは、なーんにも分かっちゃいないわ。真空の相転移を引き起こしているらしいとか、そんな事が言われているけど」

「けど……?」

「結局、詳しいことは調べられないのよね。ほら、人形スワンプマンって、捕まえようとするとドロドロに溶けちゃうし。とんだ細胞自死アポトーシス野郎ね」


 そのまま歩みを進める二人は、横目に幾つもの研究室を通り過ぎていく。

 外訪者アウターの肉片、培養管、人形スワンプマンが溶けだした後の残骸。まるで生ホルモンを混ぜ込んだクリームシチューのようなドロドロが、粘っこく引き伸ばされていくのだ。室内には吐き気を催すような代物ばかりが見え隠れし、春季の胃からは何か苦いものが込み上がって来る。

 一方、凱藤は心なしか、何か期待を膨らませているような様子だ。


「でも、中途半端に人形スワンプマン化しているせいで、その細胞自死アポトーシスを起こしていない検体が遂に現れたのよ……! つい昨日ね。アナタもこれで、E検体の重要性が分かったんじゃなぁい?」

「――――ッ!」


 春季は猛る拳を抑え込み、途端に荒くなる息を必死に抑え込もうとする。

 この男には、おおよそ人間らしい怒りが届かない。春季には嫌というほどそれが分かっていたからだ。せめて冬菜を助ける方法を聴き出すまでは、という思いが彼を思い留まらせる。

 だが、飄々たる凱藤の声音は、どこか諦観を滲ませるものへと変わっていた。


「ただね、それでも本格的な変異・・が始まったらどうしようもないわ」

「だから、それってどういう……! 一体、フユに何が起こるんですか」

「要するに、E検体は外訪者アウター本体からの信号を受信した段階で、外訪者アウター化が始まると予想されているわ。現在のアタシたちの技術では変異を止めることが出来ない。いつになるかは分からないけど、すぐにでも氷漬けにしておきたいところよ」

「だから、どうしようもないって?」

「いやねぇ、一つだけ・・・・あるじゃないの」


 不可解な笑みを深める凱藤は、廊下の突き当りで立ち止まる。一変して鋼鉄が剥き出しになっている区画は、先ほどまでとは全く違う空気を漂わせる魔窟だった。

 春季の目の前にそびえ立つのは、高さ5mにも及ぶあまりに無骨な金属扉だ。


「扉……なのか?」


 生体認証バイオメトリクス物理施錠ハードロック解除。

 壁際のパネルに掌を当てる凱藤は、気付けば扉の封印を解除していた。耳をつんざく程の金属音が響き始め、擦れるような音と共に埃が視界を霞ませる。重厚な扉が開き切ると、その奥からは不自然なほどの冷気が流れ込んで来て、春季の肌を泡立たせていった。

 分厚い鋼鉄を隔てた向こうの暗闇で、何かが寝息を立てているようだ。開き切った扉がまるで巨大なあぎとにも思えて来て、春季は思わず立ちすくみそうになる。

 ――――この奥に、何かがいる。

 説明されなくても分かる。そういう、暴力的な存在感が匂っていた。


「アナタも。さあ、いらっしゃい」


 自然とその囁きが耳に滑り込む。気が付けば、春季は扉の内へ足を踏み入れていた。

 何故か心臓が高鳴る、歩調が早まる。不思議な確信を以て進める足は、カツ、カツと硬質な音を奏でていく。彼の周りを押し包む闇は、硬質音を吸い込んでいるかのようだった。遥か遠くの壁で反響した音が、木霊となって幾重にも重なり合う。

 この奥に何かがいる、それと会わなければならない。焦りにも似た衝動に突き動かされていた彼は、突如として光が生まれた視界に目を細める。


 硬質な白色光線、闇を刺すスポットライトが舞台照明を気取っていた。だが、徐々に視界が慣れて来れば、室内は未だ薄暗いと分かる。

 だが、ここが恐ろしく高い・・場所であることは、よく分かってしまった。

 春季が立っている整備用通路からのぞくのは、遥か下まで続く底無しの闇。空中通路が設けられているのは、途方も無く巨大な円筒状の空洞の只中らしかった。落ちれば死ぬ。思わず心臓が縮むような思いに囚われた彼は、視線を上げると今度こそ絶句してしまう。


 スポットライトに照らされた、腕、肩、上半身。

 まるで巨大な壁のように現れ出た物体は、不可視の圧力を放射しているかのよう。視界の端から端までを覆わんとする巨大さが、春季を圧倒する。真紅に染め抜かれた装甲は艶やかな煌めきを放ち、まるで甲虫が無理矢理人型になったような歪さを際立たせていた。

 およそ顔には見えない頭部に至っては、縦に6本のスリットが刻まれているだけだ――――いや、彼には頭部かどうかさえも分からない。


「なんだよ……これ」


 神々しさと異様さ。人間の原始的プリミティブな部分を鷲掴みにされた春季は、息苦しさすら感じる。すると、凱藤はちょうど春季の横で足を止めた。


「AMU-99、巢襲機サーペント〈エルンダーグ〉――――この魔神の名よ」

「エルン、ダーグ?」

「そう、第四次超長距離遠征打撃計画の要となるはずだった有人機ね」


 凱藤は何かを楽しむような気配を隠そうともせず、言葉を続ける。


「実はね、この太陽系内の火星軌道以遠には、80年前から大きな空間歪みが発生しているのよ。そのゲートの奥に、小惑星クラスの外訪者アウター核がいることは確かめられているわ」


 何光年先の宙域かは知ったこっちゃないけど、と、さらに不安要素が付け加えられる。火星軌道のゲートなど、世間には全く知られていない情報だ。思わず耳を疑う春季は、しかし脳内で独りでにパズルのピースが組み上がっていくのを感じていた。

 遥か彼方にあるという外訪者アウター核。

 格納庫に封印されていた有人機。

 そして冬菜を助ける唯一の方法。

 ――――その時、春季の中で全てが繋がったような気がした。ゾッとするような予感は、すっかり乾いた口から勝手に溢れ出して来る。


「まさかこれに乗れって……!?」

「そう、アナタがこいつで外訪者アウター核を殲滅するのよ。本体さえ潰せばE検体の変異は起こらないし、外訪者アウターの脅威も消え去る。シンプルじゃないの」


 凱藤は、それがさも当たり前のことであるかのように語る。

 だが、春季はあまりに常識外れの事態に、理解が追い付きそうになかった。

 どうして自分なのか、どうしてこんなものがあるのか、どうして人型なのか。この訳の分からない状況に対する根本的な疑問が、瞬く間に全身を駆け巡る。

 聞くべきことなんて、幾らでもあった。

 なのに、真っ先に春季の口を突いて出たのは、自分でも馬鹿馬鹿しくなるくらいに平凡極まりない懸念だ。


「でも、こんなの操縦できる訳が……僕はバイクの免許だって持ってないのに!」

「ノーノー、アナタが心配すべきはそんな事じゃない。操縦云々なんていうのは、後付けの記憶移植処置でどうにでもなるわ」

「なら、何が?」

「後天的にスワンプマンの因子に適合し得ること。理由は……アナタなら・・・・・分かっているわよね?」

「……」


 目を逸らした春季は沈黙を貫く。この場においては、それが何よりの肯定だった。

 そして、彼はほとんど無意識の裡に、胸から腹にかけて刻まれた古傷を抑える。その様を見て取った凱藤は、ニィと満足そうな笑みを浮かべた。


「そう、それがエルンダーグを操る為の必須条件よ。元々用意していた連中はみぃんな死んじゃった。どいつもこいつも全身の細胞を喰われてドロドロにね。これだから脆っちい検体は嫌いよ」


 でも――――と、凱藤は熱っぽい目で春季を見つめる。


「アナタなら……頭からつま先まで、もう外訪者アウター因子と同化し切っているアナタなら、その心配はないわ。あのE検体を使っても良いのだけど、変異が進み過ぎているから駄目ね。敵地にエルンダーグを送り込んだところで、化け物をもう一体増やしてしまったら意味がないもの。アナタしか・・・・・いないのよ」

「僕しか、いない……?」


 未だ半信半疑の春季だったが、凱藤が嘘を言っていない事だけは確信する。

 きっと、冬菜を助けるには外訪者アウター本体を潰さなきゃならないのも本当で、火星軌道のゲートを抜けた先に外訪者アウター核があるのも本当で、今や自分だけがエルンダーグを操れるのも本当で――――。

 それで冬菜が助かるのなら、と心の中で囁く自分がいる。

 それで冬菜があの家に帰れるなら、と咄嗟に期待する自分がいる。

 あの夏の陽射しが煌めく田んぼ、少しうるさくなって来た自転車。二人でずっと過ごして来た風景の何もかもが、彼の心を埋め尽くしていく。ただ、二人であそこに帰りたかった。でも、出来るはずがなかった。心を殺して、春季は思う。


 ――――もう、そこに自分がいなくたって良い。


 たとえ確率がどんなに低くとも、二度と地球に帰って来られなくとも。この魔神に身を委ねさえすれば、冬菜だけは助かるかも知れない。

 そんな囁きが、甘い誘いとなって春季の脳内に反響するのだ。

 その声を無視することは、今の彼にとっては身を切るよりも辛い選択だった。春季は破滅に足を踏み入れる感覚を味わいつつも、それでもエルンダーグに手を伸ばしていく。まるで力を欲する魂そのものが、魔神の放つ蠱惑の香りに引かれていくように。

 一歩、また一歩と進んで行く足が、遂に機体の真正面で止まった。

 静かに装甲に触れた掌からは、思わず戦慄するような鉄の暴威が伝わって来る。

 その時、ずっと胸に滞留していた言葉が、勝手に形を成していくのが分かった。


「僕が、乗ります……乗りますよ。それでフユを助けられるなら」


 春季が触れる先で、血色に彩られた鉄巨神の姿がふっと揺らめく。

 静かなる決意の声が、狂気の魔神エルンダーグの装甲を撫でて行った。



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