第二章 朽ちていく秩序

第11話『崩壊へ向かう日常』

 丁度あの日の正午、ワシはアスクレウスの商業区を歩いていた。どこまでも続く屋台の列はその終わりが水平線に沈むんじゃないかと思えるほどだった。政府発表の資料で言えばこの都市に住むのは約800万人で、そのうち6分の1が政府運営に関わる職に就いている。それは例にとって言えば輸送であったり、資源管理であったり、研究開発であったり様々だと聞く。この火星に都市はいくつかあるが、その中でも最も早く入植が始まったのがこのアスクレウスだったじゃろうか?。計画の中心となったのは日本国の企業共同体で、当時資源不足が叫ばれていた結果としていち早くの博打的な参入に至ったんだとかそんなことをニュースでやっていた気がせんでもない。


 じゃが、期待を良い意味で裏切ったその計画は当初よりも運び良く進み、莫大な経済効果をもたらした。その事を皮切りにして残りの都市建造計画も次々に発案されたらしい。たしか都市ダエダリアはアラブ首長国連邦。都市ルナは欧州連合。都市アガイアはイギリス王国。都市ガレはアメリカ合衆国。ほんで…都市ヘラスは南アメリカ連合。都市アエリアは中華人民共和国。都市チレナはオーストラリア同盟。都市ゼフィアはカナダ・インド経済連盟。都市ハーシェルはロシア連邦…とそれぞれの国家の企業が同じように入植を担当したんだったか、詳しくは忘れたがな。ワシが今思うにわざわざ企業主導という形になっていたのに多国籍の都市が誕生しなかったのか。それは当然の事だったろうと言える。地球圏の勢力図はすでに国連によって確定されている訳だが、どの国もさらなる領土を望む。いかに平和的な態度であっても、な。アメリカが何十年前かの地球の中東戦争で民間軍事会社を多く雇って「国家による介入の否定」を行った手口とまーさに同じでな。もし火星で戦争が起きても企業が勝手にやったと言えばそれで済む。敗戦しようが責任は国家には及ばない。だが戦勝すれば莫大な資源と権利を貪る事が出来る、とこれほどまでに魅力的な事案をどこも見逃す訳なんぞ無かったんや。


 露店でいくつか昼飯でもと買い物をしていると、街中の人間のデバイスが一気に通知を鳴らした。各々が面倒そうに画面を見る中、そこに映っていたのは黒煙を噴き上げる都市の映像。右上のテロップにはゼフィアで原因不明の大事故と大きな文字が流れ、ざわざわというどよめきが広がった。心配そうに画面を見つめる親子や、気にも留めずにまた集客を続ける露天商。そこからの反応は本当に人それぞれじゃった。まぁそういうワシも他人事じゃったからの、気にも留めんかった。だがその時近くで画面を食い入るように見とった男がこう叫んだんじゃ。


 「おい!みんな今のを見たか!?こいつは事故じゃねぇぞ!」


 なんだなんだとその声に反応した民衆がまた画面に目を落とすまで数秒とだっただろうが、ワシも言われてまた見た時には既に回線が落ちたのか映像はそこで途切れておった。


 「なんや迷惑なお兄さんやのぉ…何もうつっとらんじゃないか。」


 そうカマをかけてやろうかと目線を戻した時の男の顔は驚くほど真っ青で、心のどこかでもしかしたらこいつはただ事じゃぁないかもしれんと嫌な予感が先行した。不思議なもんでそういう時にこそ予感は当たる。その数分後、今度はデバイスからだけでなく、都市中に耳を覆いたくなるようなサイレンが響いた。ガンガンと何重にも聞こえてくる高音の不快な音。デバイスから声がする。


 「緊急事態速報発令!緊急事態速報発令!全職員は有事対応へ移行、大規模都市攻撃が確認されました。全市民は表示されるマニュアルH-5に則り即時避難を行ってください。これは訓練ではありません。繰り返します、これは訓練ではありません。」


 ぞっとした、それは言葉に表せないほどに。現実だとは到底受け入れられんかった。悪い夢だとか、そういうまやかしの類であればどれだけ幸せだっただろうかと今までの見てきた景色が走馬灯のようにワシ全身をかけめぐった。画面が切り替わり避難ルートの情報が表示される。ワシに割り当てられたんは、ここから2ブロック先の地下施設。位置情報の統括システムで若く、動ける人間は多少距離があっても移動できるとして離れたエリアに。逆に妊婦や老人や子供は最寄りの安全域へ移動させる事によって最も効率的な避難誘導がなされる。…はずじゃった。


 「は…早く逃げろッ!シェルターだ!隠れるんだ!」


 「おいそこをどけ!どきやがれ!俺が先に行くんだ!」


 「そんな…せめて子供だけでも先に…」


 「知るか!テメェはどっかにでも行け!こんなとこで死にたかねぇんだよ!」


 若い男の声が響き、続いて小さな子供の泣き声が周囲を満たした。パニックになった人間はどんな小さな理性も失う。自我と欲求に支配され、瞬く間に最寄りのシェルターは人でいっぱいになった。力のない人間が建物の許容上限によって同じ人間たちによって蹴りだされ、溢れていく。ワシへと指定されたそのシェルターも他の人間で埋まるのにそう時間はかからなかった。波のようなその中心でワシはただ正義を騙る事も出来ず立ちすくんだままじゃった。


 ガタン、大きな音が右から響く。「爺さんあぶねぇぞ!」中年男性らしき彼が指さす先には積み上げられた資材入りの梱包箱の山。それが今ここへとまっすぐに、ただまっすぐに倒れてくる。もう少し若ければきっととっさに避けることも容易かっただろう。年を取るとはそういう事なのだ。自分でも信じられないが足がまったく動かなかった。スローモーションのようにしてゆっくりと影は近づく。とっさに両腕でガードするように身構えたが、あまりの衝撃力と重量に圧倒され、地面との間に押しつぶされる。


 「ぐぁ…がっ…!?」


 助けを呼ぼうとも声は出ない。肺からは空気が押し出され、次第に景色が歪む。その間にも他の避難者は次々と別のシェルターや安全地帯を探し出し、目の前から去っていく。一人、また一人と手を伸ばそうとその手を引いてくれるような肝の据わったヤツはおらんかった。光がゆっくりと遠ざかり、やがて暗黒が周囲を包む。音がなくなり、感じていた痛みさえもどこかわからなくなるような今まで感じたことのない感覚に悶えながら、ちょうどそこでワシの意識の糸はあっさりと途切れた。

 

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