第7話『ハイテック・ローテック』

 燃料ランプの右側が煌々と点灯し、昇降計の針が時計回りに動き出す。この時既に機体は予定の3キロを移動していた。俺の見たものが間違っていないとすれば1小隊が簡単に撃ち落とされた事にも合点がいく。敵機であればポワローも総力を結して簡単に邀撃出来ただろう。だが味方機、それも英雄と呼ばれた男の物であれば…。簡単だ、IFFの故障だとも言ってしまえば彼らは行方知れずの偉人を喜んで編隊に迎え入れる事だろう。そして疑似的な5機デルタ編成で唯一空いているのは第3列中央部、属する全機が最も苦手とされる位置だ。そこからであれば4AAMと機銃の斉射で目標はあっという間に鉄屑となる。


 「無線解除、格闘戦に移行」


 仙石の言葉で機体を持ち上げて方位を変える。2機は同高度で合流し再度機首を向けるが、その幕切れは非常にあっけない物だった。まもなくするとあの敵機はそのまま元来た方位へと飛び去って行く。その速度は異常とも言えるほどで、加速開始から1秒足らずでマッハコーンを形成したのだから驚きだ。気づいた頃には右タンクから吹き出る燃料はぴたりと止まっていた。燃料計は80立を切り、この機体もこれ以上の交戦では帰還が危ぶまれる状態にあった。


 「…谷戸、申し訳ない…。」


 「気にすんな、結果として上手くいったじゃねぇか。しかし何であいつは逃げたんだろうなぁ…。まだこっちはやれるってのに…。」


 「仕方ない。あっちは単騎の偵察機、ああやって手土産として戦果を持ち帰るぐらいで本来本格的な戦闘は専門外だ。まぁこっちから言わせてもらえば手土産には高価すぎる損害だったけれどね。」


 「んじゃあ帰るか…。さすがにあいつを追っ払えば任務は終了だろうしな。しっかし不可視の機体なんてのは初めてだ。それにあのデカールと機体番号…。所属の偽装は条約で禁止されているハズだが…。」


 「こちらから軍を裏切るような人間が出てきた…?」


 「あれは速水ってヤツの機体に違いない。正確にはコピー元モデルがそれなのか…。はっきり言ってあれほどの戦功を上げた人間が敵側についたのだとしたら厄介なんてもんじゃねぇな…。」


 二機はゆっくりと帰路に就く。日はとうに沈みかけているがそのあと少しして長距離無線が回復した。この電子妨害があの鷹に由来するものだとすれば、一体どれだけのカスタムと機材変更が行われているのか見当もつかない。ぼーっとしたまま飛んでいると雑音が不意に消え、はっきりと聞き覚えのある声が届く。


「アニキ!アニキ!答えて…欲しいッス…。」


 それはルカの涙声だった。ああ、そうか。もうこれだけの時間俺たちはここにいた。地球であれば景色のおかげでどこまで来たのかだいたい見当がつく。ステップを越えて、森を越えて、砂漠を越えて、荒野を越えて、海を越えて。そうしてまた基地へと戻る。退屈な毎日にスパイスとして添加かれる対空砲の烈火の射撃、打ち出される曳光弾がいつしか不定期なイベントのようにも感じていた。こうやって無線が途切れるのは俺から言わせればよくあることだ。ルカやノエル、ルツも俺たちの運の無さは承知の上だと思ってはいたが、火星という未知の空だからこそ、こうやって珍しく心配してくれているのかも知れない。


 「おう、どうしたよルカ?俺が心配だったか?」


 「そ…そんなことないッスよ!アニキなら絶対答えてくれるって知ってました…から…。それに…アニキは…その…いや…何でもないッス。」


 「…ん?まぁいいや、あと20分足らずでそっちに戻れる。待っていてくれ」


 「…はい!」


 またいつもの元気な声で返すルカ、心配事が消えたのかその声からは先ほどの不安さは聞いて取れない。俺がこうやって生存報告をしている傍らで仙石は本部に任務終了の報告を行っているようだった。またニアミス寸前まで翼を揃えた二機は風を切って進む。この先何があろうときっと止まる事は無い。


 指定された基地へ戻る最中に仙石がふと切り出した。


 「そういえばサンディーっておじいさんがさっき私に渡した紙なんだが…」


 「んあ?そういやそんな変人がいたな。」


 「いや、変人ってのはさすがに失礼な言い方だと思うけど?」


 「別にいいだろうよ、本人が聞いているわけでもねぇんだし」


 「…とにかく、その紙に手書きの地図が書かれていてね、どうもあの整備場からしばらく行ったところに新しい工場を設けてるらしいんだ。」


 「ふーん、で?それがどうしたんだ?」


 「私が思うに、さっき隼に連続して異常が起きただろう?あれは十分すぎるほどの傑作機だけど…現代の技術で運用すればあんな故障はそうそう起きないはずなんだ。事実、地球で運用していた時も事故一つない。まぁあの子たちの操縦が優れているっていうのも確かに大きな要因ではあるけどね。」


 「…帰ったらあのオヤジに聞いてみなきゃならねぇな…。もし、何か手を加えてたってんならちょっと反省してもらわなきゃならん。」


 「待て谷戸、そう早まるんじゃない。それだったらどうしてあのおじいさんは私たちに用心しろとまで言ったんだ?残念だけれど私たちは整備工じゃない。出来るのは最低限のメンテナンスとその確認程度だ。…試しにその整備場に機体を持ち込んでみるのはどうだろうか?」


 「正気かよ仙石、何があるかわからねぇんだぞ?第一この機体は…」


 「言わなくともそれくらいわかってる。唯一無二の愛機だ。しかし…それを言えばあの大型整備場だって、初めての人間に整備権を渡すことには変りないだろ?」


 「…。」


 「あの3機もこれから行く飛行場の格納庫で保管されている最中だろう、到着次第輸送科の人間に指示を出してあの場所まで運び入れる手筈は整えておく。さっきのようにまた私を信用してくれるか?谷戸。」


 「おう。」


 その言葉に俺は「はい」以外の選択肢は持てなかった。確かに不安はある。だがそれを差し置いてもこの機体がまた無事に手元に戻りさえすればそれでいい。修理が終わるまではまた暫く時間がかかるだろう。それまであのホテルでゆっくりすればいいだけの話だ。それにこの都市にもまだ営業している店は残っている。それをめぐって過ごすのもいい。着陸用のフラップが大きく開いて2機は初めての滑走路へ着陸した。郊外の鼠色に囲まれたひときわ目立つ誘導灯が暮れかけた日の元にぼんやりと光っていた。

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