第5話『軍機と軍規の狭間で』

 聞き慣れたエンジン音が密閉されたコックピット内にも容赦無く反響する。白色燈で照らされた地下滑走路を抜ける頃には機体は270キロまで加速し、引き上がろうとする機首を懸命に抑え込みながら最後のラインマーカーを超えた。一瞬だけフラッシュがかかったかと思うと目下には都市外郭が広がり、またあの赤茶けた石交じりの大地が淡々と続いていた。左右を見ればいつもの4機がぴたりと真横に並び、仙石の「全機巡航編隊に移行」の掛け声で一斉に定位置へとつく。先に仙石と俺の流星が最前列で並走し、その後ろにルカを先頭としたルツとノエルの隼による3角形が展開される。俗にファイブカードと呼ばれる編成だが、これをRAFでは長距離航行時の基本形として利用している。戦闘機隊からは前方の警戒が容易で、万が一正面で会敵した場合は艦攻隊がそれぞれ左右にひねりを入れるようにして離脱する事で最大火力での交戦が可能になる。また、後方で会敵した場合は艦攻隊を囮として利用し、後方機銃で応戦している間に戦闘機隊がシャンデルからローヨーヨーへと機動し格闘戦へと持ち込む事が出来る為何かと便利なスタイルなのだ。勿論双方のパターンで同じくして最初に狙われるのは足の遅い俺たちだ。だからこそいつ何時でも仲間を信用しなくてはならない。俺の死の上に何かの作戦が成功する事も決してあり得ない話では無い。


 300キロで速度を合わせ、ゆったりと上昇していると長距離無線が全機に届く。そこから聞こえてきたのはウィリスと微かに混じる他数名の男女の声だった。

 

 ≪こちらウィリスです。初出撃がこんな形になるなんて私も思いもしませんでした。遅れながらここで追加のブリーフィングを行います。時間がありませんから良く聞いてください。≫


 「おう、了解した。」

 

 俺はいつもの調子でその声に返答する。さっきあいつがこの隊の担当だと聞いた時にきっと整備面だけだとばかり思っていたが実際はもっと手広くやってくれるらしい。奥から聞こえてくる断片的な声は残念ながら十分に聞き取れやしない。ウィリスは編隊の人数と任務番号を再確認するとブリーフィングを続けた。


 ≪RAF隊の前にスクランブルを受けて飛び立ったポワロー隊との無線が先ほどから途絶えたままになっています。それだけであればまだ考えようはあるのですが、同時にレーダーでの追尾もそこで止まっているんです。位置はちょうどこの首都から北西230キロの地点となっています。≫


 ≪こちらの最後のレーダー情報によると西側から接近する1機の機影を既に確認しています。きっと偵察か何かでしょうが妙な事にその機影は途中で姿を消しているんです。そしてポワローと最後の通信が行われたのも丁度その時です。ポワローはアスクレウスでも熟練した部隊の一つですので。偵察機ごときにここまで時間を要するなんて考えられません。きっと予想外の何かかあのエリアで起きたんだと思います。≫


 「偵察機…。なるほど、了解です。」


 仙石は小声で何かぶつぶつと呟きながら基地側との通信を終えた。この時点RAF隊は首都から約60キロの地点まで移動していた。高度は順調に上がり続けて9000mに達し、そこからは機体を水平に保って速度を上げていく、その時だった。真後ろを飛んでいたルカたちから無線が届く。


 「隊長!機体の様子がさっきからおかしいッス…。必要以上の加速はしていないはずなんスがエンジン温度が思うように下がらないままで…。」


 「温度が?まさかここまで来てそんなことが…。他の機体でも何か異常が出ているのか?」


仙石が聞き返すと、次はノエルが言う。


 「こっちもさっきから機体の反応が遅いというか鈍いというか…。それもさっきからほんの少しずつですが酷くなっているような気がして…。」


 「あ…それ…ルツも同じ…。普通ならこんな事…。」


 「ここで戦闘機隊に不調か…。谷戸は…どう思う?」


 「んあー、詳しくは言えないがルカは冷却水不足の症状に似ている…それかラジエーター故障か。ノエルとルツはかなりマズい、油圧低下が起きているかもしれん。ただ微妙に足りないだけなら何とかなるが…オイル漏れなら…。それにあのサンディーって老人の言葉も気になる…。まずは3機帰投させよう。」


 「あぁ、私も同じく考えていたところだ。ルカ、ノエル、ルツ、3人は今からここを離れて基地へ引き返せ。今ならまだどうにかなるだろう。慣れない火星上空だ、何があるかわからない分デルタに編隊を変えて戻って欲しい。」


 「た…隊長、わかりましたッス!」


それを皮切りに3機はゆっくりと離脱する。事態が事態だけに心配だが、彼女たちならばきっとやってのけるだろう。それを確認すると仙石は管制へ無線を繋ぐ。それを取ったのはいまだ聞いたことのない男の声だった。


 ≪こちらRAF隊よりアスクレウス管制、3機の戦闘機隊に相次いで異常が発生した。緊急事態を宣言しそちらで着陸可能な滑走路を最優先で開けて欲しい。また、それに伴ってこの作戦の中止を要請する。≫


 ≪あー、こちらアスクレウス、緊急着陸要請を許可します。該当機体との交信はこちらが引き継ぎます。しかし作戦の中止は許可できません。残存部隊で任務を継続してください。これは命令です。≫


 ≪そんな…待って下さい!こちらに残っているのはたった2機の対地攻撃機だけです!兵装だって機銃4門程度、これでは十分な対空戦闘は…≫


 ≪不十分でも不可能でない限りは続行可能です。何度も言わせないで下さい、これは命令です。ただでさえ戦力が不足しているんです。…あなた方を撃ち落とすにはLR-AAM(長距離対空ミサイル)は高価すぎて使いたくない。通信終了。≫

 

 バチッと音がして暫くは何も聞こえては来なかった。数分経って切り出したのはこっちのほうからだった。


 「なぁ…仙石、やれると思うか?」


 「…わからない…。でもやるしかない。タニ、全爆装を投棄してくれ。多少機動はマシになる筈だ。」


 「了解。」


 ガシャリと音がして機体下腹部から1発の大型爆弾が投下される。800キロ通常爆弾はゆったりと空気を受けて姿勢を正しながら数分後の地面に2つの砂雲を描いた。その後2機は並走したまま高度を一気に下げて移動する。もしポワロー隊が撃墜されたのならば近くにまだ煙を吹き上げる残骸があるに違いない。500mまで下がった後に小さくあくびをして頭上のバックミラーを覗いた時に見えたのはこちらに向かって突き進む2つの白煙の帯、それは刻一刻と迫る。短距離無線に無線に仙石の声が響く。


 「後方よりミサイル接近!タニ!緊急回避しろ!回避だ!」

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