第2話『国境線はZ軸上に』

 がら空きの高速道を真っ赤なスポーツカーが300キロ超えの速度でエンジンを唸らせながら駆け抜ける。相も変わらず都市はコンクリートまみれの殺風景なままで、ナビゲーションシステムがなければ灰色の森に迷い込んだような気さえしてくる。数百の街燈と数千もの路上の単一的なモールスもどきを嫌と言うほどに繰り返し眺めること17分が経過した。本来は160キロ制限だが、今更こうしたところで誰も文句は言わないし、そもそもこの姿を見ている人間すらいるのかと不思議になる。その時だった。目線の先にいつか見た物と同じ建物の姿が映る。真っ白な外装に金の細工の組まれた窓枠。いかにも高級そうな5階建ての西洋式建築物は遺物の中でひときわ目立っていた。安堵したように仙石は呟く。


「あぁ…エリア39だから…うん。ここで合ってるみたいだ。」


その顔を横目に俺はニヤリとほくそ笑み、崩れかけの縁石に半ばのし上げるように車を停めた。ドンという振動が二人を上へと大きく跳ね上げた。


「うおっ!?ちょっと谷戸くん…流石にこれは停車が荒いんじゃない…?」


「知らん。いつかのハードランディングよりかはマシだろ?」


 はぁと困ったようにため息をつく仙石を気にもかけずに俺は好き勝手にトランクから自分の荷物だけを無造作に引っ張り出して背中に担いだ。中身はさっきの束といくつかの衛生用具、それにガラスの割れた懐中時計。いつからか俺にとってのお守りだ。手入れのされていない伸び放題の街路樹で形どられたプロムナードを進むと、その奥にエントランスが見えた。回転式の扉を押し開けて進むと落ち着いた内装にこじんまりとした休憩スペースが設置してある。と、言っても色合いのお陰なのかどこか安心出来るような空間に仕上がっていた。木目調のパネルで彩られたフロント部分も実に美しい。最高級と謳われた施設に相応しい設備だと言えるだろう。壁にかけられたプラスチック製の黒い案内板には1階であるここがエントランス階になっており、2階は従業員用の簡易宿泊施設。3階は大浴場やランドリールームに、4回のアミューズメント階を経て最も上の5階はごく限られた富を持つ人間の為のエクストラスイートルームが3部屋設置されていると記されていた。パンフレットの写真だけで言えば下手なマンション数室を一纏めに合わせたほどの広さで、5名が分散して住むのには十分といった具合だ。入って右手の奥にあったエレベーターホールで暫し到着を待っていると一足遅れてキャリーバッグを引き連れた千石が現れる。ガラガラと不愛想な音を鳴らしながら男二人でエレベーターへ乗り込んで目指すのはもちろんここの最上階。昇降機のノイズが箱の中で適度に減衰し微かに響く。十数秒後には聞き慣れた合図と共に扉が開く。しかしそこで2人が見たのは予想だにしていない光景だった。


 降りた先にはKEEP OUTと書かれた黒黄2色のテープが数本、廊下に立ちはだかるようにピンと張られ、その奥からは何やら物を移動させる音がガタガタと聞こえる。ラインの前にして律儀に困惑する二人の到着を待ち侘びたかのようなタイミングで手前右の部屋から誰かがガチャリとドアを開けてひょっこりと頭をこちらに覗かせる。16歳ぐらいの中くらいの身長で、ほんの若干青みがかった黒い短髪にどこかの教育機関の洒落た制服を模した上服は我々士官に支給されるものとは違って多少上質な生地で作られているらしかった。仙石にルカと呼ばれた少女はにこっと笑って廊下へと進み出る。


 「やぁ!谷戸のアニキ!…と隊長、こんなところまでどうしたんスか?」


 「どうしたもこうしたもここが俺たちの宿泊所だから来たんだろう…。ところでこの規制線モドキは一体何を表してるんだ?」


 「あー、これッスか?これはですねぇ…谷戸のアニキが夜這いしてくると面倒な事になるんで、あらかじめここから先は男子禁制にしたんスよ!」


 「おい、待て。人を露骨に変人扱いするのはやめろ。仙石からの視線がめっちゃ痛いんだが?」


 「あれー?んじゃあ…その袋の中身を姉さんたちにバラしてもいいんスよ?」


 その瞬間全身の血液がスーッと引いていくような感覚に包まれる。顔はきっと真っ青で、体中から冷や汗がダラダラと流れ出た。一瞬のうちに俺は規制線を跳びぬけ、ルカの耳元で小さく呟く。


 「おま…まさか見た…のか?」


 「んー?どうでしょうねぇ?…でもアニキが貧乳好きだなんて初めて聞きましたよ。…あ、アタシで良ければいつでも〈お相手〉しやしょうか?」


 冗談交じりにニヤニヤと笑いながらこちらの顔色を覗くルカ、その表情は心なしか紅潮しているようにも見えたがまさかこいつが本気で誘惑する事など百歩、いや千歩譲ってもあり得ないことだろう。多分だがここに乗ったら確実に追加でネタにされる。

自分でもしょうもなさすぎると思うような理由で自問自答を繰り返していると、さらに対面の部屋からガチャリと音がして上品な優しい声が届く。


「まぁまぁ…ルカさんの事は置いておくとしても、流石に相部屋はちょっと…と思いまして…。事前に仙石隊長からは承諾を得ていますから…ね?」


 その方向へ目を向けるとまず飛び込んでくるのは二つの大きな膨らみ…。いや、確かに見るべきはそこではないのだが悪魔的な魅力というのは時に人の精神を乗っ取って釘付けにしてしまうのが常と言うものだ。ピンクのロングの髪形に22歳のおねぇさんらしい大人っぽい服装は俺が求める母性というかそういうアレの終着点とも言えるだろう。仙石は少し考え込むと合点がいったようにポンと手を叩き


「あぁ…確かノエルさんからここへ着く前にメールを貰っていました。まぁ、そうですね。やはり個人部屋の方がお互い何かとやりやすいですし…。」


と返す。だが、その後にまた少し考え込むと辺りを見回してノエルへと訊く。


「…そういえばルツの姿が見えませんが…?」

 

「あぁ…ルツちゃんならさっきから寝ていますよ。もう少ししたら出てくるでしょうけど…。」


 そう言い終わるか否かという瞬間にノエルがいた部屋から目をこすりながらうとうと顔のルツが出てくる。見た目を一言で言い表すなら幼女?14歳で小さめな身長と青いセミロングの髪は猫耳のように頭の上で三角形に留めてあり、その上にちょこんと乗った茶色のストライプのキャスケットと白衣が絶望的な程のミスマッチ感を醸し出している。本人はほかの二人と違ってかなり無頓着な為かとりあえずあれば何でもいいという無欲さがにじみ出ている。一瞬こちらに顔を合わせたルツだったが、小さく「ん…。」とだけ呟くとまた部屋に戻ってしまった。結局その後しばらく話した結果、俺と仙石は従業員用の部屋で寝泊まりする事になった。あの3人の階級は揃って准尉なので何故か待遇が逆転しているような気がしないでもなかったが今更どうにもならなかったのでこのまま甘んじることにした。数時間の休憩の後俺たち5人の元へまた新しいメッセージが本部から届く。行先はアスクレウス工業区と記されていた。

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