第一章 残された三都市

第1話『火星大気は未知の味』

 『おーい、谷戸中尉はどこに居るんだ?機体が届いたってよー?』


 部屋の外に出てみると2号棟の方から俺を呼ぶ声は聞こえて来た。首都西部の新軍事区画の一室。いや、正しく言えばもうこの都市にはその他の区画と呼べる場所など残ってはいないのだから単に西部とだけ言うべきなのだろう。その資料室から顔をのぞかせると、向こうから上級士官の制服を着こなした若い男がやってくる。黒い短髪に茶色の瞳、整った方だと言える顔にやや高めの身長の普通体格でそこまで屈強だというイメージは持てない。にこやかに微笑みかける彼に、俺は敬愛を込めて言った。


「あぁん?こんな時間にうっせーぞハゲ!今めっちゃセンチメンタルな気分に浸ってただろぉぉん?ああん?」


『そんな事僕が知ってるわけないでしょうが!あとハゲてないし一応上官なんだから敬語とか使っても良いと思うんだけどな?そこんとこどう?』


『…まぁ普通にいるときは今まで通りの感じでいいからさ、他の佐官とか将官の前では流石に大人しくしててよ?これでも僕は小隊長なんだから、ちゃんとしてないといざという時に即懲罰大隊送りだからね?』


「ウィッス。」


 なんかちょっと説教を受けた気もするが多分気のせいだろう。彼がこのRAFを仕切る(?)小隊長の仙石大佐だ。単純に言えば俺より3階級ぐらい上の扱いなので巡視にこんな会話を聞かれると割と普通にその場でシバかれる。大概はなんだかんだで彼が言いくるめてくれるおかげで注意だけで済んでいるが、どうもこういった厳格な軍隊の戒律というのは傭兵上がりの俺たちからすれば面倒なことこの上ない。給料が雇われより若干高いからってこっちを選んだ過去の俺を今すぐ取り押さえて契約書を変更してしまいたいぐらいだ。しかしまぁ、一度契約を交わせば最低3年はここにいなければならない。途中で戦死やら大けがでもすれば辞められるのだが痛いのは嫌なのでしぶしぶ上官の皆様方に従う毎日。正直超めんどい。もはや茶番と化したいつもの会話を続けていると、その途中で思い出したように彼が話題を変えた。


『あ、そうそう。星外貿易港に行かなきゃならないんだった。今はまだ小型荷物しか扱えないからあれだけど、とりあえず受け取りに来いって命令だったから…。』


「いや、面倒だから勝手に行って来いよ。あ、俺のもよろしく」


『そう?じゃあ勝手に行くけど…。本人以外がその人の私物は受け取れないから頼んでたエロ同人本数百点がそのまま焼却炉に突っ込まれる事になるけどいいかな? 』


「待って!お願い!!あの超激レアな今は亡き紙媒体の女神たちが火あぶりにされる事だけはどうか…どうか!!!」


 顔を真っ青にして地面がすり減るかと思うほどに頭を下げ続けること数分、仙石はふぅと一息ついてからさっさと行かないと混むよ、とお許し(?)を頂く事が出来た。外へ出るとそこの駐車場にはいかにも高級そうなスポーツカーが一台停まっていた。どうやら軍からの支給品らしく、車体後方には官給品を表すマークが付けられている。颯爽と乗り込み、貿易港へと向かうが道路には他の車両は見当たらない。いやまぁそもそも地上には人がいないうえに地下通路の方が有事の際にも安全だと広告されているためにハイウェイを走るのはほんの物好き程度なのだ。数時間に1台対向車がいればいいレベルの直線を230まで速度を上げて進むこと数十分で目的の地点に着く。直前から目に映るのは大型の宇宙船が何機も着発しては去っていく姿。文字上では港なのだが、実際はただの超巨大な空港に過ぎない。車を降りて軍人用の特別入り口から入り、IDパスをかざして認証を受ける。しばらくして受付係に案内された先にはいくつかのコンテナが置かれていた。しかしそのうちいくつかはすでに開けられており、さしずめもう受け取られた荷物なのだろうなと予測する。それを見て仙石は「雑に扱われてなければいいけど…」と不安げな表情で重厚な扉をギィと開いた。


『お…?予定通りでちゃんと来たみたいだね。ちょっと心配だったけど…うまくいって良かった。計器も無事らしいね…。』


ぐっと力を込めて仙石が中身を引き出すと、そこには翼の畳まれたB7A2流星改の姿があった。火星の空気にあたりながらゆっくりと両方とも広げると濃緑色の塗装がピカリと光を反射した。艦上攻撃機である流星の現代改造型、字面だけ見ると面白い事になっているが、これが俺たちの十数年来の相棒なのだ。自分の名前のタグのついたコンテナの中にも同じものが一機、計2機のレシプロ機がその地に降り立った。本来、乗員は2名必要なのだが管制機器の導入で1でも動かせるようになっていて、空いた席にはちゃんとあのエロ同人の束とその他の私物もズダ袋に入ったまま無傷で乗せられている。これで暫しの癒しはなんとかなりそうだ。思わず安堵の息が口から漏れた。あちらでは係員がなにやら言っているが俺にはそんなことはどうでもいい。ひたすらそわそわとしている俺を遠目に、しっかりと話を聞いていたであろう仙石はこちらへと向き直り今後の事について手短に説明した。一つはこの機体の状態確認が終わればそのまま東の工廠へと送られ、そこで追加の機器や兵装が組み込まれるということ。そしてもう一つはこの火星で生活するにあたっての住居の詳細が決まったので南エリアの旧居住区へ向かえと命令を受けたことの2つだった。既に残りの3人もここで荷物を受け取ってそちらで待機状態にあるらしい。


『…で、どうする?今からすぐに行っても良いけど…?』


「んー、腹ごしらえもしたいけどたぶんあっちにあるだろうし…」


『じゃあ直行って事で良いね?』


「おう。」


『さて、あの子たちを待たせると悪いし、さっさと行こうか』


仙石は愛機をひとしきり眺めるとコクリと小さく頷いて満足げな表情をしていた。俺も荷物を全て車両のトランクに詰め込み終えると背伸びをして大きく息を吸い込んだ。実の所俺はいまだにこの空気に慣れてはいない。人類初の大規模テラフォーミングにより火星の大気は人間向きに改善されたとは言えども[大気浄化調整システム]の効率上、酸素濃度は19%と地球大気に比べて若干低い値を示している。科学者たちはこれだけの空間の気体の比率を変えたのは革命的な技術で、本来はあり得ないほどだと絶賛しているが…。個人的には実感が沸かない。その空へまたも声が響く。


『おーい、谷戸くーん。』

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