『速水少尉の従軍記録Ⅲ』

 彼が最後に残した言葉は残念ながら過度の緊迫と雑音に上書きされ、殆ど聞き取れなかった。しかしながら断末魔にも近い咆哮は今も脳裏に焼き付いている。


 その直後に私が目にしたのは武勇だとか功績だとかそういった物では片の付けようの無い行動だった。投下された兵器の真下に滑り込む見慣れたデカールを張り付けられた機体、その直上から一定の軌道を描いて落ちる鉄塊。ゴンっと鈍い音がしたかと思うと着発信管が軽装甲に反応し、高高度で眩いばかりに炸裂した。球形に広がっていく蒼白いプラズマの光に包まれ、彼らの姿はその中へ抗う事もせずにすっと消えていった。スローモーションのように限りなくゆっくりと進行していく瞬間は、私の中で時間軸が何か言い表しようのない大きい力によってぐにゃりと捻じ曲げられたような幻想さえ生んだ。


 ≪…ったぁ。助かっ…た?≫


 右耳に先程と同じ声が聞こえてくる。交戦中は殆ど役に立たなかった無線が次第に回復し、周囲の情報が再びぽつりぽつりと画面に反映されていく。察するにあの機体のどれかに電子戦換装機が混じっていたのだろう。あれほどあった敵性反応はただの1つも残っておらず、シドニア空域には再び一時的な安寧の風が吹いた。それは恐ろしいくらいに静かで、自分が今ここに生きている事実も実感できないまま、ミッション完了の通達を入れた。


 「こちらアエリア南基地所属ホーク隊、付近の全敵機の撃墜を確認しました。ルナ管制下飛行場への緊急着陸許可願います。」

 

 それを言い終わる直前に、それぞれの無線チャンネルが一斉に沸き立った。何百何千もの歓声と安堵の声が都市中で反響して、それらはしばらくの間消える事は無かった。滑走路に着陸して数時間ぶりに地面へと足をつけた私を歓迎してくれたのはこの都市を管轄する旅団長と先ほどまで通信を交わしていた職員たちだ。都市防衛の英雄の凱旋だとはしゃぐ人々の話を遮るように私は自分のあるべき場所の話を切り出した。


「あの…アエリア管制と幾分か前から交信が途切れたままなのですが…誰かその事を知っている方はこの中にいらっしゃいませんか…?」


〈アエリア〉その名前を出すとついさっきまでの盛り上がりはぴたりと止み、彼らの表情から笑顔が消えた。胸部にいくつもの徽章を誇らしげに掲げる旅団長の男は神妙な面持ちで私の目を見つめて、こう切り出した。


「残念だが、君の元居た都市はさっきここの上空で作動したエネルギー兵器による奇襲を受けて敵側の手に落ちたさ。…そこだけじゃない、全てで8つある小都市のうちのゼフィア、チレナ、アエリア、ヘラス、ガレ、アガイアの6つと敵首都であるハーシェルを含めた7拠点が失われた。」


「…そんな…馬鹿な事が…?何故…あれだけの常備兵力を保持する数々の都市がいとも簡単に…。」


「詳しい話は調査中だ。その為にきっとアエリアの奴も君を強行偵察にやったんだろう。最早我々に残された最後のヒントは君が…。いや、君たちが莫大な代償と引き換えに持ち帰ったそのデータの中だ。」


何も言えないままただただ狼狽える私を気にかけながらも、男は手元のデバイスの液晶をこちらに向けてさらに説明を続けた。


「残念だが、今ここルナは最寄りの敵拠点となった都市ガレとの戦闘の最前線となっている。南部のダエダリアと共に我々の首都アスクレウスを防衛する最後の砦だ。」


「しかし、そう気を落とさないで欲しい。なんだって良い知らせもある。君の活躍を本部に報告した所、その戦果から大尉までの昇進と次期ホーク小隊長の任が与えられるそうだ。本日中に君は首都へ後送になるだろう。機体も修理が終わり次第そちらへ輸送になる。表彰式の後は暫く休むといい。出撃は当分無いだろうからな。」


「…はい、了解しました。ルナ旅団長殿。」


 ヨレヨレになった耐Gスーツのまま敬礼を返す。両足に力を籠め、もう一歩踏み出そうとすると、左足にズキッとした痛みが走った。鎌鼬に刈られるが如く体軸のバランスが崩れる。そのまま突っ伏すような体制でのめり込み、コンクリートの地面が目前に容赦なく近付いてくる。自分でも何がなんだがわからない。ただブラックアウトのような感覚のまま地面にぶつかり、そこで記憶は途切れた。


 次に目が覚めたのはどこか病院の一室での事だった。見慣れない、けれどもどこか落ち着く真っ白な天井に右手首へと延びる点滴のチューブがある種の安心感を生んだ。枕元には大尉の階級章に取り換えられた私のものであろう制服と、私の名義が書かれた表彰状が額に入って飾ってあった。そしてその横にはいつか撮影した小隊での記念写真と5枚のメダル。うち4枚にはKIAの文字と十字架が彫られている事だけが残りの一枚と異なっていた。体中に怠さの様な謎の重みがずんと圧し掛かったまま、ベッドから起き上がることもままならない。決して外傷だとかそういう訳では無いのだろうが…。


「あ…、速水さん、起きられたんですね?おはようございます。」


 扉が開く音と女性の声が後方から聞こえる。その声はこちらへゆっくりと近づき、私の右手で止まった。顔を倒してそちらを見ると、立っていたのは若い看護師といった風貌の人が一人。「一体ここはどこなのですか?」と小さく言うと、彼女はにっこりと笑って慣れた手つきで手元のカルテに何やら文字を書き込みながら


「ここはアスクレウス空軍病院ですよ、あなた…飛行場で倒れたっきり目覚めなかったので仕方が無く表彰式をキャンセルしてそのままこちらに搬送されたんです。幸い軍医曰くただの過労だそうなので心配はいりませんよ、どうか安心して下さい…。」


と、返した。


 その2日後、速水大尉は愛機と共に空軍から退役している。公式資料では戦闘中の融合炉オーバーロードによる被曝の為だと記してあるが、実は莫大な退職金目当てだったとか、自暴自棄になって既に死亡したとの噂も聞く。だが、彼の消息が今も掴めていない事だけは確かなのだ。


 実際の従軍記録にはここまで詳しく書かれてはいなかった。だが、今回俺が部隊更新で割り当てられた部屋のデスクに仕舞ってあったこの薄汚い日記帳の日付とこの人の任務記録の日時とが不思議なぐらいにぴたりと一致したのだ。誰も知らないであろう英雄のもう一つの顔は、たぶんこの日記を覗いた俺だけが知っているはずだ。

何分か黙って思慮していると、どこかから大声でハゲが俺を呼ぶ声が廊下に響く。「さて、休憩時間もそろそろ終わりか。」俺はまた資料を棚に戻すと日記を丁寧に布に包んでからカバンに入れて部屋を後にした。

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