3-6
「すみません、入院されている方の個人情報についてはご親族の方か災害など緊急時の問い合わせ以外は提供できない規則になっておりまして……」
受付の若い女性は申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「そうですよね。こちらこそすみませんでした」
こうして追い返されるのはこれで七回目だ。時代も時代だからか、秋山悠香という女性が入院しているかどうか尋ねても、そもそも掛け合ってもらえない場合の方が多かった。
ましろの父親の命日、早川の口から病院というキーワードが出てから、就活もバイトもない日に近隣の入院施設の整った病院を回ってみていた。病院にいるということはそこのスタッフか患者かのどちらかだ。今わかる情報の限りでは前者は考えにくい。ましろの母親・悠香さんは何かしら入院を要する病気だったという線で調べている。
心が読めるましろを連れて探すのが近道なのだが、病院を回っていることは実は伝えていない。
もし悠香さんが何かの病気だったとしたら、最悪すでにこの世にいない可能性もあるからだ。あれだけ酔っていたというのに、早川が言った「子供の怖いもの見たさの好奇心」という言葉が俺の耳に残り続けていた。それはましろのことなのか、それとも俺のことなのか。早川の真意を考えるとなんだか息が詰まる思いがした。だからまずは事実を確かめようと思った。ましろ抜きで、悠香さんのことを調べる。悠香さんが病院に関係あるのか、それともあれは早川がでたらめを言っただけだったのか。調べた上で、ましろに情報を渡すかどうか判断すればいい。最悪の場合は、何も見つからなかった、捜索には飽きたと誤魔化す。それが、大人に片足を突っ込んでいる助手の役目だ。
「あれ、クロじゃん。こんなところで何してるんだよ」
「佐々木。お前の私服、久しぶりに見た気がするな」
病院を出たところで、私服姿の佐々木に声をかけられた。髪は薄くのばしたワックスで無造作に散りばめられ、バイト代を空にしてまで買っているブランド物の小洒落た生地の洋服に、派手な蛍光色のスニーカー。隙のないコーディネートに、これといって特徴のない平たいつくりの顔が絶妙に合っていない。これこそが佐々木の本来の姿である。
「そういうお前は最近あんまりスーツ着てるの見ないんだけど。もしかしてもうどっかに決まったとか?」
「逆だよ。干されてる」
「って言う割には余裕ある風だな。クロのマイペースさは就活でも相変わらずってわけか」
佐々木は乾いた声で笑う。しかしそのなで肩は、リクルートスーツを着ている時よりは幾分かリラックスしているように思えた。
「俺この後バイトなんだけど、ちょっと早く来すぎたしそこの喫茶店で時間潰さないか」
「いいよ。バイトって今何やってんだっけ?」
「病院の深夜バイトだよ。就活でなかなか日中のまとまった時間にシフト入れないから、今はそれだけに絞ってる」
佐々木のその言葉に俺は目を見開く。
「え、なに、そんな驚く事でもないだろ。寮に住んでるやつらの中じゃわりと定番のおいしいバイトだぜ」
佐々木は就活が始まる前まではカフェ、塾講師、ライブスタッフなど様々なバイトを扶養が外れない程度に掛け持ちしていた。あまりに色んなバイトに手を出していたのでいちいち覚える気が起きなかったが、そういえば前に学生寮の先輩のつながりで割のいい病院のバイトをすることになったと言っていたような気もする。
佐々木は慣れた足取りで病院の脇のカフェに入り、季節感あふれる柑橘風アイスバニララテを注文した。店員が早口言葉のように注文を復唱する。一杯五百五十円。正気じゃない。女子かお前は。俺は二百八十円のブラックコーヒーを注文した。
「で、最近どう? 病院に来たってことは体調でも悪いのか」
「いや、すこぶる元気だよ。ちょっと用事があってきただけ」
「そうか。じゃあ就活の方は? そろそろ本格的に採用面接が始まってきただろ。もう毎日お祈りの嵐だよな。スマホ開くのも億劫になってくるっての」
佐々木は深いため息を吐きながら太いストローでラテをかき回す。
「お祈りも別に来ないよ。そもそもそんなにエントリーしてないし」
「マジで? 今何社?」
「んー、二社とかだったかな。どっちもまだ説明会行ってないし、あんまりイメージわかないけど」
そう言った瞬間、佐々木はテーブルに勢いよく手をついてこちらに身を乗り出してきた。
「二社? それけっこうやべぇじゃん! もう大手はほとんどエントリー締め切ってんだぞ」
「ああ、知ってる」
「いやいやいやいや、知ってる、じゃなくてさ。さすがのクロでもちょっとは焦った方がいいって。就活は受験と違って運要素も高いんだから、数打つことも大事なんだって」
「分かってるよ。けど、今はそういう気分になれないんだ。自分が乗り気ですらないのにエントリーするなんて、なんか企業側にも申し訳ない気がして増やす気にならないんだよ」
「そりゃまぁ正論だけどさ、かといってこのままニートになるつもりもないんだろ」
ニート。Not in Education, Employment or Trainingの略。高校の時に社会科で習った単語だ。進学校に通い、東京の国立大を出て、大手の企業に順風満帆に就職する輝かしい未来を描いていた当時からしたら、この英語四文字がこんなに身近な単語になるなんて夢にも思っていなかっただろう。だが四年生になってほぼ授業がなくなり、就活をまともにせず、資格勉強にも手をつけていない今は、確かにニートという称号がしっくりきてしまうのだった。
「それともなんだよ、今就活より夢中になるものがあるってわけ? あ、もしかして、女か? 女だろ!」
「あぁ、それあながち間違ってないかも」
ただし女というか少女だが。佐々木はあっさり信じたのか、呆れたように力を抜いて椅子の背にもたれかかる。
「莉子ちゃんの時といい、お前ほんと隅に置けないヤツだなー。なんだろうね、お前みたいな口数少なくてマイペースなやつほど母性くすぐるってやつなのかね」
「いや、それはない。今回はどっちかと言えば俺から首突っ込んでるようなもんだし」
そう言うと佐々木は再び身を乗り出してきた。「なぁ、それ本当?」と目を丸くして尋ねてくる。顔が近いよ佐々木。俺はやや後ろに身を引く。
「信じられねぇよ。クロっていっつも他人には興味のない感じなのに」
「酷い言われようだな。その子が必死だからほっとけないんだよ」
本当にそうか? と問われれば難しいところだ。ましろの母親探しに協力しているのは、単純に彼女のためだけじゃない。就活の気晴らしと、早川曰く「子供の好奇心」が少なからずある。だけどそういう人間は俺だけじゃないんじゃないだろうか。災害時のボランティアや、電車で他人に席を譲る時、百パーセント他者への思いやりだけで行動できる聖人が本当にいるのならば、一度会って拝んでみたいくらいだ。
「なぁ」
ん? とラテの太いストローをくわえたまま佐々木が顔を上げる。「ひとつ頼み事していいか」と聞くと、佐々木はぽとりとストローを落としてしまった。
「ちょっと待て、クロから頼み事されるのなんて初めてなんだけど! まったく、今日は驚きが多いよ。まるでクロじゃないみたいだ」
「そりゃどーも。人脈が広い佐々木なら病院勤務で仲良い人もいるんじゃないかと思って」
「そりゃバイトで世話になってる人はいるけどさ、なんだよ、何の用?」
「人を探してるんだ。名前は秋山悠香さん、旧姓は塩田。五年前、家族に居場所を伝えないまま行方知れずになってるんだ。何か病気を患ってたらしくて、入院してる可能性が高いみたいなんだけど」
「その人がクロが夢中になってる女と何か関係あるの?」
「まぁね。その人のお母さんなんだ」
すると佐々木は腕を組んで大げさにうんうんと頷く。
「なるほどね、そりゃ重大な問題だ。情報がそれだけだったら探すのも苦労しそうだな。入院患者に詳しそうな人は紹介するけど、あんまり深入りするな。お前はあくまで就活生なんだ。女の母親も大事だが、男は仕事してなんぼだぜ」
「……ああ」
言われなくても、このままでいいなんて思っていない。ここ最近、就活に使うはずだった時間のほとんどは病院巡りに費やしてしまっている。佐々木と別れると、携帯で就活サイトを開き、とりあえずトップページの「おすすめ」に出ていた企業エントリーボタンをいくつか適当に押した。
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