三章 六面体パズル

3-1


「……で、この写真の他に手がかりはないのか?」


「ないよ。うちに元々あったものは、本以外全部マンションのローン代わりで没収されちゃったからね。私も小さかったし、当時のことはあんまり覚えてないんだ」


 夜桜を道路のど真ん中で見上げたあの日、ましろの想いを初めて知って、思わず母親探しに協力すると言ってしまった。そのこと自体に後悔はない。しかし、予想以上に困難なことに足を突っ込んでしまったようだ。


 家庭教師の日、ましろの集中力が切れたところでまずは作戦会議をすることを提案した。


 ましろは今まで行き当たりばったりに他人の心を読むことで母親の手がかりを集めようとしていたが、それでは母親にたどり着くのは運次第の上に、能力のことを他人に知られるリスクも大きい。まずは手元にある手がかりを整理して、一番効率的に情報を集める方法を考えようとしたのだ。


 だが、それが思いの外揃っていなかった。今分かっているのはましろの父親がT大理学部教授の秋山ということ、そしてその秋山の死後、ましろの母親はましろに対して一層冷たく当たるようになり突然行方をくらましたということだけだった。ましろの母親の居場所に関する情報は一切ない。これでは数の揃っていない単色のパズルを完成させろと言われているようなものである。


 あと手がかりになるとすれば、ましろが持っていた一枚の写真。この写真はましろの部屋の本棚の一冊に挟んであったものらしい。挟まれていたのは『エモーショナル・ブレイン』という少し古い本だ。日付的にはましろが生まれる前に撮られた写真なので、この本の元の持ち主、ましろの父親が挟んだものなのだろう。


「この写真どこで撮ったんだろうね。私、居酒屋のこととかは詳しくないからなぁ」


 写真の中でバーテンダーの格好をした色白の若い女性が、リキュールが隙間なく並べられたカウンター越しにワインボトルを持ってこちらに向かって微笑んでいる。そのボトルには黒の油性ペンで「ヨウジより」と書かれていた。インスタントカメラで撮られたもので、彩度が低くあまり映りがいいとは言えなかったが、女性に対してしっかりピントを合わせて撮ってあるおかげでその表情や雰囲気はよく見える。


「ママ、美人でしょ」


 ましろが俺の腕に触れながらにっと笑う。


「お前よりはな」


 ましろは「そりゃあんな美人な彼女がいたなら見方も変わるだろうけどさぁ」とむくれたが、その手を振りほどいてもう一度じっと写真を眺める。そこに一つ、どこか見覚えのあるものがあったからだ。


「わかった、これだ」


「ん? この瓶がなに?」


 ましろの母親の手前にあるバーカウンターにはキープボトルが幾つか並んでいる。どうやらこのバーでは客に名前を書かせるシステムなのか、どれも筆跡がばらばらだ。だがそのうちの一つに、幅が狭く右肩上がりの角張った文字があった。画質が粗く、何が書いてあるかは読み取れないがこの筆跡には見覚えがあった。


「ねえ、この瓶の文字に見覚えがあるの?」


「ああ。バイト先の店長の筆跡に似てるなと思って。似たような筆跡の人なんていくらでもいるだろうけど、昔いろんな居酒屋回ってたって言うし、この写真見せてみたら何かわかるかもしれない」


「ほんとに?」


 ましろが目をキラキラと輝かせて俺の顔を覗き込んできた。喉の奥が少しむずがゆくなって、思わず顔を引く。なんだろう、ましろの家庭教師をすることになってから初めての感覚だ。俺は今、ちゃんと彼女のためになることをしているんだと、そう思えた。


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