2-8
肉をたっぷり包んだ小麦粉の白い皮が油に熱せられ、ジュワッと小気味のいい音がする。
料理をするのは好きだ。料理は家事の一つで負担だと思われがちだが、無心になれるからか俺にとっては案外いい気分転換になることが多かった。何より自分の好きな味にできるのがいい。
実家にいた時はまるで家事を手伝ったことなんてなかったが、一人暮らしをきっかけに自炊をするようになった。初めは包丁の扱いひとつに苦労したけれど、大学に入ってすぐに始めた居酒屋でのバイトが大きな転機だったと思う。元は接客のつもりで面接を受けたのが、あまりにも愛想が悪かったのか、そのうちキッチン仕事を多く任されるようになった。個人経営のためあまり大勢の客で混むことも少なく、店長は合間を縫って包丁のもちかたやら野菜の切り方、余った食材を使った料理など丁寧に教えてくれたのだった。
ましろは餃子を焼いている間も隣に立ってじっとフライパンの中を見つめている。その目はガスコンロの火に照らされて煌々と輝いていた。
「ね、まだかな? まだかな?」
「もう少し。表面をしっかり焼いてから蒸し焼きにするよ」
ましろは自分が作った不恰好な餃子を頻繁に菜箸でつついたりひっくり返したりしている。早川が全く料理をしないであろうことはなんとなく察しはついていたものの、ここまで家で料理を作ることに慣れていないとは思わなかった。
中華系のチェーンかラーメン屋でしか餃子を食べたことのなかった彼女は餃子ができていく過程を興味深く見つめ、たねを包む段階になると積極的に参加した。不慣れなせいか、まともに折り目をつけられず、ひらひらと跡だけついた自立しない餃子が今、フライパンの中で大量に伏せって肉汁を垂れ流している。途中から遊びだして、シュウマイのような形のものも作っていた。科学者になると豪語していたくせに、火の通りやすさについては全く考慮してくれなかったようだ。
しっかり自分を持っていて、いつも明るく振舞っているからつい忘れてしまいそうになる。彼女は早川の養子、つまり本当の両親とは離れ離れになっているのだ。その理由については早川から伝えられることはなかったし、自分から聞こうとも思わなかった。でもそれは気を遣ってのことじゃない。自分がましろとの距離を保つためだった。でも本当にそれでいいんだろうか。先ほどのスーパーにいた時から、どこかもやもやとした気持ちがのどの奥に詰まっていて気持ち悪かった。こういう時こそいっそ心を読んでもらえたら楽だろうに。
「あのさ」
「ん?」
食後にリビングのソファーでサイエンス系の月刊誌を読んでいたましろが顔を上げる。餃子を食べ終わったころにはもう九時を過ぎようとしていた。そろそろ早川の仕事が終わる予定の時間だ。だが今日は、帰る前に頭の中で渦巻くものを消化しておきたい。
「人の心を読むのって楽しいか?」
うまくまとまらないまま言葉として吐き出してしまった。ましろは唐突に何を言い出すのと目を丸めておどけようとしたが、こちらにその気がないのを察して真面目に答えた。
「楽しいっていうより、面白い、って感じかなあ。こういう本に載っていること以上に人の心って面白いよ」
「でも、今日でよくわかったろ。世の中には色んな奴がいる。俺みたいにそもそも気にしない奴だっているし、いきなり怒り出す人だっている。誰彼構わず心を読むのは危険なんだよ」
ましろはにっと笑った。
「なに旭くん、私のこと心配してくれてんの?」
そう言われると急に気恥ずかしくなって言葉に詰まる。
「俺だけじゃないよ。先生だって心配してる。父親なんだからさ」
「お父さん、ね」
ましろはすっと立ちあがりリビングの窓のカーテンをめくって外を覗く。そして何か思い立ったのか、くるっとこちらを向いて言った。
「今からお花見行こう!」
「は? これから先生帰って来るし……」
「いいからいいから! すっごくいい場所知ってるんだ!」
そう言って止める隙もないままましろは再びコートをはおって玄関に向かう。仕方なく後を追う。なんだかはぐらかされた気分だ。お父さん、と言うましろの表情はまたスーパーのときみたいにどこか憂いを帯びていた。十三の少女にあの表情を着せるものの正体はなんなんだろうか。そしてこのことを気にしている自分の本心は単なる野次馬としての無粋なのか、それとも家庭教師としての責任感なのか、それも今はよくわからない。
そういえば、ましろは早川のことをなんて呼んでいたっけ。なんとなく気になったがそれはまた今度確認すればいいことだ。
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