2-7


「……それでさ、今日の面接の人、質問するくせに明らかにこっちに興味ない感じで。私もなんでここにいるんだろって面接の途中で考え始めちゃったよ」


 背後で聞き覚えのある女の声がしてはっとした。聞き違えるはずはない。彼女の声は、誰かに媚びることのない、はきはきとした声だった。同年代の女子の割には少し低めの音で、聞いていて心地よかった。だが今は一番顔を合わせたくない相手だ。目の前のましろを見ると、急に黙った俺のことを不思議そうに見つめていた。


「さ、次はひき肉だな」


「ちょっと旭くん? まだ野菜全部揃ってないよ」


「後で取りにこればいいから」


 そう言って強引にましろを引っ張って場所を移そうとしたが、向こうが気付くのが先だった。


「……旭?」


 呼び止められて仕方なく振り向く。ああ最悪だ。元カノだけならまだしも、今の彼氏もその横にいたとは。


「……おう、なんか久しぶりだな、莉子。髪黒く染めた?」


「うん。そういう旭も髪短くしたでしょ。お互い就活だもんね」


 莉子は歯を見せてにっこりと笑った。口角が上がると涙袋がうっすら浮き上がって彼女の整った顔をさらに彩る。見た目は就活のせいかだいぶ落ち着いた感じがしたが、付き合っていた頃から変わらない笑顔に少しだけ胸が痛くなった。ちらりと隣の今の彼氏を見やると、彼は気まずそうに野菜を物色するふりをしながらこちらに背を向けていた。同じ早川ゼミの人間だが、俺がゼミに消極的だったので顔見知り程度でほとんど話したことはない。


「そうだね。莉子なら就活なんて楽勝なんだろ?」


 お世辞で言ったつもりはない。彼女は一般の大学生とは思えないくらいスタイルも顔もよくて、すれ違う男はみんな振り返る。いくら中身を重視しますと表明したところで、大量同時採用のせいで一人一人と長い時間向き合うことが不可能な就活においてはなおさら第一印象は物を言う。こうして客観的に彼女を見ると、一年前まで自分と付き合っていたなんてただの妄想ではないかとさえ思えてくる。


「そんなことないよ。メディア系受けてるからけっこう倍率厳しくてさ」


 照れるように言って切りそろえられたショートボブの髪を左耳にかき上げる。その仕草からふんわりとシャンプーの匂いが香ってくるような気がした。


「もー、旭くん! お肉買いに行くんじゃなかったの!」


 しびれを切らしたましろはいつの間にか莉子の彼氏の隣にいて、止める隙もなく腕に触れた。彼は静電気に驚いたのか、ぱっとましろを避けるように後ろに身を引く。


「あ、こら、お前……」


「この人早くお姉さんと買い物してうちに帰りたそうだよ。せっかく今日は気合入れてお部屋掃除したみたいだしね。あ、このお姉さんってもしかしてさ、前に言ってた元カノ?」


 正式には俺から言ったわけじゃない、お前が勝手に読んだんだと心の中で突っ込む。不思議そうにましろのことを見つめる二人。やっぱり彼女は空気が読めないのだ。


「旭、この子は?」


 ましろじゃなくても分かる。今莉子の頭にあるのは、自分が振った男が少女好きに走ったのではないかという余計な心配だ。


「知り合いの子で家庭教師任されてんの。今日は親御さんが帰り遅くなるから、夕飯の買い出しに来たんだ」


 どうせ早川とは似ていないから、娘だとバレることはないだろう。極力深く追及されるのは避けたかった。


「そうなんだ。邪魔してごめんね」


 莉子はかがんでましろに微笑んだ。勝ち誇ったような顔をしていたましろだが、莉子の穏やかな表情に少したじろいだ。同じ女同士でも有無を言わせない力が彼女にはあった。今度就活の話しようよ、と言って莉子は手を振って彼氏と一緒に去っていった。邪魔をしたのは一体どっちの方か。彼氏が買い物かごを持って、莉子が食材を選びながら時折冗談を言う彼の肩を笑顔でつつく。見るんじゃなかった、そう思ってもしばらくはその様子から目が離せなかった。


「旭くん」


「なんだよ」


 情けない俺を見て満足か? 今の俺の心を読んだら相当面白いはずだぞ。だがましろの口から出たのは意外な言葉だった。


「あのお姉さん、すごく美人だったね」


「……だろ。俺もそう思うよ」


 ましろでもそんな風に思うことがあるんだというのが、少しだけ不思議な気がしたのだ。


「あの人の心、今度覗いてみたいな」


「やめとけよ、悪趣味だな」


 そのあとましろとはあまり言葉が続かず、二人とも黙々と買い物を済ませ、スーパーを出て早川家に着くまでそのまま無言だった。


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