夏の再会

さかき原枝都は(さかきはらえつは)

一年に一度、夜空に咲き誇る大輪華のしたで

夏の再会 

 

 

 もうじき、大仙市大曲の夏の最大イベント、大曲の花火の日がやってくる。

 人口およそ四万人弱の町はその日だけ、およそ七十万人ぐらいまで膨れ上がる。

 私もその膨れ上がる人口の一人に入る。

 

 始めて大曲の花火を観たのはあの年の夏。


 あの日私は、些細な事で朝から母親と喧嘩をして、学校へと向かった。母と私だけの二人きりの家族。だがそれっきり母と会う事はなかった。

 あの時起きた「東日本大震災」

 私の生活はその日を堺に一変した。

 私はその地獄の様な凄まじい波に飲み込まれる家々、そして人々を目にする事となった。


 それから一か月間の避難所生活の末。

 変わり果てた自分の母と思われる遺体を目の前に、私の全てが砕け落ちて行ってしまった。


 高校2年、宮城の地での出来事だった。


 親戚を頼り私はこの秋田県大仙市に来た。

 それは単なる時間の消化に過ぎなかった。

 ただ時間さえ過ぎ去ることを願う日々。


 だから花火の日も、一人街の中を歩き廻っていた。

 「疲れた。本当に疲れた。これからの私には何があるんだろう」

 そんな思いが、夜空に開いては儚く消えていく大輪の花の様に何度も私の心を襲っていた。


 気が付くと、ちょっとした小高い川の土手を歩いていた。

 ここからはあまり花火は見えない所。


 「ドドーン」という轟音だけが響き渡る。

 歩いていると一人の人影を見ることが出来た。

 私はその人の所まで行った。

 すると、目の前に大きく花開く夜空の大輪の花をまじかに観る事が出来た。


 「君。そこに立てないで、ここに座りなよ」

 ふと下の方から若い男の人が話しかけた。

 何もためらう事もなく私はその男性の横に座った。


 「ここ、花火見えるんだよ。でも木が邪魔で大きい打ち上げしか見れないんだけど。でも誰も知らない穴場なんだ」

 彼は私に話しかけて来た。

 でも、私は黙って花火を見ていた。


 花火は後に音が振動となって私の体に響いてくる。

 何かちょっと変な感じがする。


 目にした光景が後から体に伝わる感じ……


 この感じが自分を苦しめている。あの脳裏に焼き付く光景と共に

 私は彼の横で泣きじゃくった。

 「どうしたの?」

 彼は柔らかい物腰の声で語り掛ける。

 それに答えるだけの余裕さえない状態。


 辺りが一瞬明るくなる。


 その薄明るさの陰に彼の優しそうな面影を感じる。

 ふと彼の手が私の手に触れる。


 嫌らしさとか、強引さとか。そんな事は一つも感じなかった。

 むしろその手の暖かさが、私の心を和らげる。


 黙って彼は私の手を優しく握ってくれた。


 花火が終わるまで…


 「花火終わったね」


 辺りは静けさと共に虫の声が響き渡るのが聴こえていた。夜露に濡れた草の陰からひっそりと

 夏はこの花火の日を境に秋の色を次第に濃くしていく。

 それと同じように私の心も次第に崩れていく。


 冬に少し近づいた日に「PTSD 」 心的外傷後ストレス障害と診断され秋田大学病院の精神科の病棟で私は時を過ごす事になった。


 その時は、もう自分が自分である事も解らない程の無気力感に陥っていた。

 あの日の暖かい日差しの中、私は椅子に座り陽に包まれていた。

 「暖かい……」ふと口ずさんだ。

 あの時の彼のあの暖かい手の温もりがよみがえる。


 「蒔野 巳美(まきの ともみ)さん。今日はとても暖かいですね」

 ふと、私の主治医の助手先生が、隣の席に座りそっと私の手を握ってくれた。


 その時感じた彼の手の温もり。


 それは、花火の時の彼の手の暖かさと同じだった。

 「先生。もしかして、あの時の……」

 「ようやく思い出してくれましたか。そうですよ、花火一緒に観ましたね」


 彼の名は杉村 将哉(すぎむら まさや)ここ秋田大学医学部精神学科の医員。駆け出しの彼は教授からの指導の下私の担当もしている。


 彼の声は私の心を癒やしてくれる気がする。

 「少しづつですけど蒔野さん落ち着いてきましたね。良かったですね」


 少し子供っぽさを感じる彼の顔は、白衣を着ているから医者の様に見えるけど、白衣を脱いだら………


 想像したら少し笑えた。

 「どうしました?私の顔に何かありますか?」

 不思議そうに私の顔を覗き込む。

 それから、私の心は変わってきた。


 退院する時、

 「また、一緒に花火見てもいいですか」

 と彼に小さな声で訊いてみた。 


 彼はこっそりと

 「もちろんですよ。でもあの場所は二人の秘密だよ」

 私に囁いた。


 あれから私の時は、瞬く間に流れ出す。


 私も医学の道を進んだ。彼と同じように精神学科を専攻した。

 わたしを襲ったあの心の病は実はまだ私を苦しめている。


 だから、私と同じように苦しんでいる人を、あの時の恐怖を少しでも乗り越えるために。それは自分の為でもあるのだから。

 

 今年もその日はやって来た。その日だけは特別な日。

 

 今年も彼は来ていると思う。

 でも……毎年思う。

 彼の横に座る人は私でいいんだろうかと。

 もしかしたら今年は誰かいるんじゃないかと。

 ……もし、今年、彼の横に誰か人影が見えた時、私はそのまま引き返そう。


 今はもう、以前の様に弱くは無いつもりだった。

 でも毎年彼の元に向かうたびに、心臓の鼓動は高鳴りを感じていた。


 一年に一度だけ、あの場所での再会。


 今年も出来るかな…

 この花火を彼と一緒に観る事が出来るんだろうか。

 そんな想いが高鳴る。


 夜空に咲く大輪の花の光が彼を映し出す。

 「そこの席、まだ空いていますか」と囁く様に彼の後ろから問いかける。


 彼はゆっくりと、私を見つめながら


 「ああ、君のためだけに……僕のこれからの生涯ずっと君のために空け続けているよ。僕の隣の席はもう君の席だよ」


 私はまた彼の横で涙を流した。

 幸せが溢れ出て来る時にも、涙は止める事が出来ないんだから。


 今、夜空に花開く光は私たちの希望の光に見えている。

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夏の再会 さかき原枝都は(さかきはらえつは) @etukonyan

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