第6話 明滅する世界と暗転

 どうしてあんな態度をとってしまったのだろう。

 自分で自分の感情が理解できなかった。

 思い返せば最近の自分はどこかおかしかった。誰かとこれほど長い時間を共有したのは久しぶりのことだ。傷つかないように、泣かないように、ずっとひとりで生きていく。そう決めていたはずだったのに。

 もしも、こんな頑な気持ちが溶かされたのだとすれば、それはきっと――


 そんな考え事をしていたのが、よくなかった。そのせいで普段ではありえないようなミスを犯した。

 人とぶつかったのだ。

 霊体が生身の人間に触れることで与える影響は少なくない。人間の魂に共鳴して、身体に不調を起こさせたり、脳内に直接イメージを送り込んだり。

 こちらから干渉しようという意思がなくとも生身の人間に触れれば、微細な影響は与えてしまう。多少の悪寒を感じるくらいのことはあるだろう。だから、幽霊としては生身の人間に触れることは避けるべきなのだ。

 ぶつかった相手に対して申し訳ない気持ちになるが、向こうには見えないのだから謝ることもできない。

 仕方がないのでそのまますれ違おうとした、そのとき――

「まさか、かような怪異が現代まで残っておろうとは」

 瞬間、感じる衝撃。

「ぐはっ!」

 身体に生じる違和感。全身を締め付けられるような感覚。これはまさか――

「陰陽師……?!」

「まあ、そのようなものだ。未だ修行中の身の上故、自称するのは憚られるがな」

 身体を締め上げるのは白い紙。これはおそらく式神。霊体に干渉可能な霊力の補助に使われる呪具の一つ。

 式神を操っているのは小柄な少年。いかめしい言葉遣いとは裏腹なあどけない容姿。詰襟の学生服を着ているところを鑑みても、かなりの年若と思われる。

「うまく化けたものだな。接触するまでこちらに正体を気取らせないとは……。相当な手練れと見た。このように不意打ちが決まらねば打ち倒されていたのは我の方であったろうに」

 自分の力はうまく抑えていたつもりだった。だからこそ、この男は目視ではこちらの正体に気がつかず、無視しようとしたのだ。しかし、迂闊にも接触してしまったことで、男に力の一端を気取られてしまった。それでこのざまである。

「我とて鬼ではない。一息に滅してみせようぞ」

 男がそう言った瞬間、

「うわああああああああああああああああっ!」

 全身を走る激痛。霊力をぶつけることで、霊体が強制的に消滅させられようとしているのだ。霊にとっての霊体とは身体に等しい。それはまるで全身が引きつぶされるかのような凄まじい痛み。

「あ……」

 このまま、消されるのか……?

 嫌だ。

 確かにそう思う自分が居た。

 不思議だった。

(ずっと、いっそ消えてしまえたらと思っていたのに……)

 大切な人ができて、それを失う。それを幾度も繰り返すうちに魂は摩耗し、いつしか疲れ果てていた。だから、いっそ消えてしまえたら楽かもしれない。ずっと、そう考えていたはずだったのに。

 今は、消えたくなかった。

 少なくともまだ今は消えられない。

 いつも妙なことばかり考えている白衣の変人ともっと語り合いたかった。

 毎回、色事の話ばかりしている和装の酔狂人にもっと話を聞きたかった。

 どんなときも幻想に浸り続けるドレスの空想家ともっと喋りたかった。

 そして、いつも、こちらを見ているあの――

「無に帰すが良い」

 全身から力が抜けていく。

 霊体の構成を維持することができない。

 ……消える。

「……嫌だ」

 消えたくない。

 消えるわけにはいかない。

 消えてしまってなるものか。

 消えてたまるか!

 だって、は――

「まだ、消えたくないにゃん!」

 私がそう叫んだ直後。

「なに……?」

 男は驚愕の声を漏らす。

 私の身体を締め付けていた力が弱まり、私は解放される。

 いったい何が……?

「大丈夫か」

 地面に横たわる私を庇う様に前に立つ人影。

「……トキオくん?」

「ヒメ……」

 それはトキオくんだった。

 トキオくんは私に背を向けたまま言った。

「ヒメ。ごめん。僕はずっと逃げたままだった。自分の生にも死にも向き合わず、ただ、流されるように日々を生きていた」

 トキオくんの言葉は私に突き刺さる。

 だって、それは本当は私も一緒だったから。

「だから、ちゃんと話したいんだ。僕は、自分にも、仲間にも、きちんと向き合おうと思えるようになったから」

 トキオくんの背中が何故だかいつもより少し大きく見える。

「僕はヒメのことを知りたい」

「………………」

「ダメか?」

 唇が震える。

 彼の言葉は私の魂の芯を確かに揺さぶる。

 もう一度だけ信じてみてもいいのだろうか。

 何度も裏切られ、何度も諦めた、あの気持ちをもう一度だけ抱いてもいいのだろうか。

「ダメじゃないにゃん……」

 私は、『ヒメ』らしい言葉を紡ぐ。

「ヒメも、もっとトキオくんとお話してみたいにゃん。……色んなことを」

 私の言葉にトキオくんの背中は、ふっと笑った。

「じゃあ、まずはここを切りぬけないとな」

 そう言って、トキオくんは両の拳を握り、私を襲った男に向かって構える。

「……こんな形で再会したくはなかったよ」

 トキオくんの声は、少年陰陽師に向けられていた。

「……どうして、あなたが――」

 陰陽師の幼さの残る声は震えている。

「………………」

「どうしてなんだよ……!」

 無言で応じるトキオくんを睨む男は叫んだ。

「なんで、そんな女を庇うんだ! !」

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