第5話 「幽霊ってなんで成仏しちまうんだろうな」


「幽霊ってなんで成仏しちまうんだろうな」


「………………」

「私にはいまいち理解できねえな」

「ユキセさん……」

 ユキセさんはいきなりそんなことを呟きながら僕の前に姿を現した。

「久しぶりだな、トッキー。全然、部室に来ねえからお姉さんの方から会いに来てやったぞ」

 ここはとある山林の洞窟。洞窟といってもほんの数メートルしかない横穴で、その周囲には鬱蒼と樹木が生い茂っていた。周囲には何もない。こんな場所、自由に物体をすり抜けられる幽霊ならまだしも、生身の人間は誰も訪れない。

 とびきりの変人以外は。

「………………」

 僕はユキセさんの言葉に答える気が起きず、ただ黙って彼女を見つめ返した。山林を抜けてきたためだろうか。彼女の白衣は泥で汚れていた。

 ユキセさんは周囲をぐるりと見まわしながら呟いた。

「にしても、相変わらず何もねえ山だなあ」

 そして、彼女は僕の瞳を覗き込むようにしながら言った。

「そういや、トッキーと初めて出会ったのも、ここだったな」

「………………」

 あたかも今思い出したような言い方をしているが、この人は僕がここに居ることを理解していてここを訪れたのだ。彼女は僕がいつもこの場所をねぐらにしていたことを知っていたから。

 そうでなければ、いかに変人とはいえ、こんな辺鄙な場所までやってきたりはしない。

「いやあ、あのときのトッキーは大変だったなあ。すげえ、死んだ目をしててさ」

「そりゃあ、当時から死んでましたからね」

 と思わず、ツッコミを入れてしまう。

 ……こんな風に人と自然に会話してしまうようになったのもユキセさんの影響だ。彼女が語る野放図な言葉。それを無視することができず、僕は思わずツッコんでしまう。生前の僕なら考えられない状況だった。

「あっはっは、やっとまともにツッコんだな」

 そんなことを言ってユキセさんは笑うのだった。

 僕はそんな話をしながら、彼女と初めて会った日のことを思い返していた。


「お、幽霊じゃん。なんでこんなとこに居んの? さびしくない?」

 彼女は初めて出会った日からフランクだった。

「………………」

 僕は思わず言葉を失っていた。それは僕に話しかけ来た女性はどう見ても生きていたからだ。

 死んでから僕は幽霊が見えるようになった。まあ、ある意味ではそれは当たり前だ。幽霊が幽霊を見えなければ、自分の身体が見えないことになってしまう。それはいくらなんでもむちゃくちゃだろう。

 そういう風に霊体を視認できるようになって知ったが、幽霊の身体というのはアニメや漫画のイメージの通り、半透明だ。だから、生きている人間か幽霊かは見えるものが見ればすぐに判断がつくのだ。

 僕がユキセさんの言葉に反応できなかったのは、彼女が僕が死んでから初めて出会った「見える」人間だったからだ。

 そんな僕の思考を知ってか知らずかユキセさんはにこりと笑って言った。

「どうした、少年? お姉さんの美貌に見とれて声も出ないか?」

「……何を言ってるんですか」

 それが僕たちの間で初めてかわされた会話だった。

 呆気に取られている内に彼女は僕がねぐらにしていた洞窟に我が物顔で踏み込んでくる。

「なんだよ、秘密基地か? ちょっとえっちな本とか隠してあったりするのか?」

「ないですよ、そんなもん……」

 ちなみにこれは余談だが、不思議なもので本は幽霊になっても読む事ができた。正確には読むというよりは、読み取るというのだろうか。本を持つことはできないし、ページをめくることはできないのだけれど、本に手を触れると布に染み込む水のように内容がじわりと自分の内側に入ってくるのだ。だから、僕は死んでからもふもとにある誰も寄りつかない様な小さな書店でひっそりと本を読むこともあった。

「じゃあ、なんでこんな誰もいない山の中に居るんだよ」

「誰もいないからですよ」

 さっきまでくだらない会話をしていたからだろうか、僕は思わず本音を漏らしてしまった。

「誰も居ないから?」

 ユキセさんは僕の言葉をオウム返しにする。

 一度漏れ出した言葉を止める術を僕は持たなかった。

「ただ、誰にも会いたくないから、こんな場所に居るんですよ」

 ここは僕の生前にゆかりがある場所でもなければ、死んだ場所というわけでもない。でも、だからこそ、ここに居た。僕が住んでいた家や死んだ場所を訪れれば、僕を知る人物と鉢合わせしてしまうかもしれないと思ったから。それだけは絶対に避けなければならない事態だった。

「ふーん、色々あるんだなあ」

 ユキセさんは頭の後ろで腕を組みながらそんなことを呟いて、それ以上、このことについて追及しようとはしなかった。

 そして、言った。

「なあ、うちのサークルに入らねえか?」

「サークル?」

「そ。文芸サークル。いわゆる、創作活動を行うサークルだ」

 彼女はまるで数年来の知り合いに話しかけるように親しげな口調で話し続ける。

「私は幽霊の仲間を集めてる」

「幽霊の仲間……?」

「そう。幽霊だ」

 彼女は言う。

「私はとある理由で創作活動がしたいんだが、どうにも私の書く話は高尚過ぎて、この時代の人間には理解できないようなんだ」

「………………」

「だから、私は考えた。私が私の主観を通して考えるから、誰にも理解してもらえないんだって。だから、私は自分の主観を排したありのままの事実を物語にすれば、それはきっと面白い話になると思ったんだ」

「……つまり、ノンフィクションを書くってことですか?」

「まあ、概ねそういうこった」

 そんな風に言って、ユキセさんは笑う。

「だから、私が主催する文芸サークルに入って欲しいんだ」

「……僕なんかが入っても面白い話題を提供できるとは思えないですよ」

 僕は昔からそうだった。子供のときから話ベタで、友達ができたこともなかった。そして、無為に死んだ。そんな奴が創作活動を行うサークルなんかに入っても面白い作品が作れるはずがないと思った。

「そんなことねえよ」

 そして、ユキセさんは言った。

「おまえ、幽霊なんだぞ。幽霊になれるなんてすごい奴じゃねえか」

 ユキセさんは何気ない調子でこんなことを言うのだ。

「まあ、無理矢理聞きだす気も書かせる気もねえけど、死んじまってるんだろ? だったら――その体験を小説にしてみたら面白いんじゃね?」

 彼女のその言葉は青天の霹靂だった。

 僕のくだらない過去を、つまらない人生を、そんな風に肯定してくれる存在が現れるなんて思いもよらないことだったから。

 ユキセさんは得意げに言う。

「おまえが実体験を元に面白い話を書ければ、私もそれを真似て、面白い創作ができるはずだ。つまり、これはWin-Winの関係だってわけだ」

 そして、何も言えなくなっている僕に向かってユキセさんは言った。

「幽霊が小説を書く……これがほんとのゴーストライターってな」

 僕は彼女のそのくだらない冗談を聞いて、

「……くだらない冗談ですね」

 そんな風に吐き捨てながら、口元を緩めてしまった。

 こうして、僕は彼女のサークルに入った。


「なあ、なんで幽霊って成仏しちまうんだと思う?」

 ユキセさんはまた同じ言葉を繰り返す。

「大抵、どんなアニメでもラノベでも、幽霊って最後は成仏しちまうんだよな。無理矢理祓われたり、未練を晴らして消えたり、パターンは色々あるけど、最後は絶対世界から追放されるんだ」

 ユキセさんは茂る木々の隙間から見える青い空を見上げながら呟いた。

「なんでなんだろうな……」

「………………」

 僕はその横顔を黙って見つめた。

 なぜ、幽霊は消えなければならないのか。

 この世は生きている人間のものだから?

 じゃあ、あの世があることを保障してくれるのか?

 消滅の果てに安楽はあるのか?

 生きている者はいつだって無責任だ。幽霊はこの世界にとって間違った存在。たったそれだけの理由で僕たち幽霊を排除しようとする。

 ――いつかは自分も死ぬというのに。

「僕が聞きたいですよ……」

 僕は言う。

「僕は幽霊は消えるのが当たり前なんていう物語は大嫌いですから」

 生者は、死者を退けることを当たり前だと考えている。

 多数派による少数派の弾圧。

 それは生きているときに僕が受けた理不尽と何も変わらなかった。

 僕の答えを聞いて、ユキセさんは笑って言った。

「じゃあ、トッキーは成仏しねえな」

「え?」

「だって、消えちまうの嫌なんだろ? じゃあ、消えなきゃいいだけだろ」

 彼女は当たり前のようにそんなことを言うのだ。

 そんな風に軽く言われると思わず反論したくなる。

「幽霊なんですよ。ずっとこの世に居たらダメでしょ」

「なんでだよ。別に生きてる人間に迷惑かけてねえだろ」

「そりゃあ、そうですけど……」

 僕は消えたくないと思っていながら、消えた方がいい理由を探してしまう。世間の常識に、ルールに、僕は未だに雁字搦めになっている。

「幽霊だから消えなくちゃいけないなんて法律はねえ。別にいいじゃねえか。楽しけりゃ。そりゃあ、飽きちまったらワンチャン来世狙いもアリかもだが、今が楽しいんだろ? なら消えちまう必要なんて一ミリもねえさ」

 ユキセさんは優しく笑っている。

「楽しいんだろ? トッキー。私たちと一緒に居るのが」

 ユキセさんはやっぱり屈託のない笑顔で僕を見ている。

「……はい」

 そんな笑顔にあてられたのだろうか。天の邪鬼の僕は、珍しく素直に彼女の言葉に頷いた。

「楽しいですね……今は……」

 生きていたときを含めてもこんなに楽しい時を過ごしたのは今までの人生の中で初めてだった。

 ユキセさんと交わすくだらない冗談が好きだった。こんな風に打ち解けて話せる人は今まで居なかったから。

 ミオコさんと語る下ネタも実は楽しんでいた。こんな人目をはばかるような話題を話す相手も居なかった。

 ツキノちゃんの電波な話も面白かった。自分が本当に好きなことを熱く語れる人間も僕の周りには居なかった。

 僕を詰るハルノですら愛おしかった。こんな風に喧嘩できる相手ができたのは生まれて初めてだった。

 そして、普段はバカなことしか言わないくせに、本当に大切なことには鋭い誰かも僕は――。

 今が楽しい。だから、消えない。それだけで十分じゃないか。

 もしも、誰かが僕に消えろって言うのなら、いつもユキセさんがやっているみたいに難癖をつけてやればいい。

 幽霊だから消えなくちゃいけないって誰が決めたんだ、って。

「帰るぞ、トッキー」

 ユキセさんの優しい声。

「……はい」

 僕は静かに返事をした。


 僕は思っていた。

 これで今回の物語は終わりだって。

 僕が想いを吐露して、ユキセさんがそれを受け止めてくれて、なんだかいい雰囲気でまとめて。

 いかにも一つのエピソードの終わりとしてはふさわしいじゃないか。

 ここで「完」と書いたって、きっとみんなが納得するような一つのエンディングだろう。


 でも、これは現実なんだ。

 いくら僕が自分の気持ちに一つけりをつけたところで物語は終わらない。

 事実は小説よりも奇なり。

 このとき、僕たちを襲う新たな火は、僕の知らぬ間にゆっくりと燃えあがろうとしていたのだ。

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