第4話 「ラブコメの主人公って、ヒロインとぶつかりすぎじゃね?」

「ラブコメの主人公って、ヒロインとぶつかりすぎじゃね?」


「………………」

 ある日のこと、ユキセさんはいつものように唐突にこんなことを言い出した。

「たとえば、遅刻しそうになって食パンくわえてるヒロインとぶつかりそうになるとかさ」

 ユキセさんはトレードマークのぶかぶかの白衣の裾をいじりながら話を続ける。

「まあ、食パンヒロインとぶつかるのはさ、急いでいたために注意力が散漫になってたからっていう理由でなんとか納得できる。だけど、もっとすごいのもあるだろ」

「もっとすごいの……?」

「たとえば、主人公が唐突にこけて、ヒロインのスカートの中に顔を突っ込むとか。そんなことあり得るか?」

「いや、まあ……言いたいことは解らないでもないですが……」

 そこら辺にツッコミ出すと話が成り立たないというか、サービスシーンに入れないというか……。

「あそこまで派手にこけるとなると、何らかの疾患を持っていることが予想されるな」

「……疾患って」

 ユキセさんの表情は真剣だ。

「ほら、ラブコメの主人公って耳が遠いことが多いだろ?」

「まあ、よくありますよね」

 ヒロインのデレ発言が聞き取れず、「え? なんだって?」って聞き返すというお約束だ。

「あれは耳の機能が低下している証拠だ。突発性難聴か、メニエールか……。耳に異常がある場合、同時に三半規管にも影響が出ることがある 。三半規管は内耳にあるからな。つまり、人の話が聞き取れず、よく転倒する主人公は、耳に疾患がある可能性が高いというわけだ」

「真面目に考えすぎですよ……」

 この人は大体何でもかんでも杓子定規に考えようとする傾向がある。あまりに現実主義が過ぎるのだ。だから、いわゆる「お約束」として、みんなが黙っているところにいちいち突っかかってしまう。

「だって、健康な人間だったらあんなこけ方したりしないだろ。トッキーはこけて女のスカートの中に頭を突っ込んだことがあるのか?」

「あるわけないですよ」

 と、僕が答えると、

「ダウト」

 そう言って僕に扇子の先を突きつけるのはミオコさんだ。

「いつから居たんですか……」

「うちはいつでもトキオはんの側におるで」

「普通に怖い……」

 相手は幽霊なのだから尚更だ。まあ、僕も幽霊ですけどね。

「で、ダウトってなんのことですか?」

 僕が改めてミオコさんに尋ねると、ミオコさんは扇子を開き、口許を隠しながら言う。

「主人公体質であるトキオはんがおなごのスカートの中に頭を突っ込んだことないなんて、ありえないってことや」

「誰が主人公体質だ」

「ギャルゲーの主人公みたいに無駄に前髪長いやん」

「それはただ散髪行くのが面倒で伸び放題だっただけです……」

 生前は半ばひきこもりみたいなものだったからな……。

 幽霊の見た目は生前の姿に左右される。だから、僕は死の瞬間に髪が伸び放題だったからこんな髪型になっているだけだ。まあ、髪型や服装くらいなら頑張れば変更も可能なのだが……。単に面倒でそのままになっている。

「いや、それでもトキオはんは絶対主人公だわ」

 ミオコさんはしつこく食い下がる。

 僕は半ばうんざりしながら問う。

「なんでですか……」

 すると、ミオコさんは言った。

「トキオはんみたいな冴えない男が、こんな美人四人組と一緒に居る時点でラノベかギャルゲーの主人公以外ありえんへんやろ」

「色々言いたいことはありますけど、ミオコさん、自分のこと美人だと思ってるんですね……」

 なかなか自己愛が強い方である。

 するとミオコさんは何故か遠い目をして呟いた。

「まあ、うちはそういう存在として規定されてるからなあ」

「………………」

 『そういう存在として規定されている』。意味が解らない言葉だ。だが、それは彼女のいつものボケとは少し違う様に思えた。これは零れた彼女の本音だったように思えたのだ。だから、僕は彼女の言葉にそれ以上、触れることができなかった。

「失礼しますです!」

「にゃはは、来たよー!」

 と、そんなタイミングで二人の人物が部室内に現れる。

 ツキノちゃんとヒメである。

 僕たち幽霊は基本的に物体に触れることはできない。逆に言うと壁などは関係なくすり抜けることができる。だから、部屋に入るとき、何もドアのところを通る必要はない。だが、生前の習慣だろうか。霊はなんとなくドアのところを選んで室内に入ることが多い。だから、二人はきちんと部室のドアから室内に入ってきた。ちなみにミオコさんだけはそういうことに無頓着でいつも壁をすり抜けていきなり現れる。

「お、トキオくん。おひさー、にゃん」

 ヒメは平然と僕に挨拶をする。

「………………ああ」

 僕は生返事をしながら、思わず目線を逸らしてしまった。

 先日のことだ。ヒメは幽霊となってから既に三百年以上が経過しているということが判明した。そんなヒメにとっては、幽霊になってから一年も経たない僕は子供のようなものらしい。僕は何故だかヒメに子供扱いされたことが面白くなかった。だから、思わず彼女に詰め寄ったのだが、結局、彼女にあしらわれてしまった。ヒメとはそれ以来の再会だった。

 だから、あんなやり取りがありながら、いつもと変わらない様子で声をかけるヒメの態度はあまり面白いものではなかった。

「きょ、今日はどんな話をしてたんですか?」

 僕たち全員の顔をきょろきょろと見回しながら、声を上げたのはツキノちゃんだった。

 彼女なりに空気を読んだのだと思う。僕の態度を見て、自分が場を和ませなければと思ったのだろう。

 ……彼女に気を使わせるのも悪いな。

 僕はヒメへのわだかまりを忘れることにする。

 そうすれば、今のこの心地よい関係を維持できると思ったから。

 ――このぬるま湯のような関係を。


 ツキノちゃんの問いかけに答えたのは、ユキセさんだった。

「ラブコメの主人公はなんでもないところでこけすぎって話だ。だから、ツッキーもラブコメにどんどんツッコミを入れていってくれ」

 いや、別にラブコメにツッコミを入れるのが主眼ではないんだけどね……。

 ツキノちゃんは可愛らしく小首を傾げながら言う。

「ラブコメですか……。ツキノはそんなにラブコメに詳しくはないのですが……」

 ツキノちゃんが好む作品は、神話や伝説が多く出てくる中二全開のものだったり、電波色が強いぶっ飛んだシナリオのものが多いようだ。だから、日常を描くことが多いラブコメにはあまり食指が動かないのかもしれない。

 ユキセさんは言う。

「それでもなんかあるだろ。一人一ツッコミがノルマだ」

「そんなノルマ、いつからできたんですか……」

「さあ、ツッキー。ツッコミをどうぞ」

 ユキセさんは僕の言葉を無視して、ツキノちゃんを促す。

「うーん、そうですねえ……うーん……」

 ツキノちゃんは目をつぶって、うんうん唸る。

 しばらく経って、ツキノちゃんは言った。

「あ」

「お、何か思いついたか?」

「えっと、ツッコミというほどのことではないんですけど……」

 ツキノちゃんはおずおずと手を上げながら言った。

「ラブコメの主人公さんってすごくおモテになることが多いじゃないですか。ツキノ、あれがすごいと思います」

「あー、なるほど」

 確かにラブコメの主人公には、なぜそんなにモテるんだ、と首を傾げたくなるようなタイプの主人公もちらほら居る。それもある意味、「お約束」という奴だ。

「まあ、確かにそういうところはツッコミどころかな」

 僕が苦笑しながらそう言うと、ツキノちゃんは真顔で言った。

「あれはすごい魔術ですよね……ツキノには到底真似できそうにはありません」

「……はい?」

 何かおかしなワードが聞こえたような気がする。

「ツキノもトキオお兄ちゃんに『エロースの矢』の術式を試してみたり、感情を司る悪魔であるガープを召喚しようとしてみたり……色々試しているのですが、未だにトキオお兄ちゃんには効果がないのです」

「なんかさらっととんでもないことを言われたんだが?!」

 おまえは僕に魔術をかけようとしているの?

 僕のツッコミを聞いて、ツキノちゃんは慌てた様子で声を上げる。

「あ! ち、違います! ご、誤解です!」

「ああ……よかった、何かの誤解だよね……」

「あ、悪魔の召喚を試みたのは一回だけです! 実際、悪魔も呼べていませんし……。だ、だから、悪魔と契約するために悪魔に身体を許したりはしていません!」

「うん、ツッコんでるのはそこじゃないんだ」

 やはり、この娘の思考回路は僕には理解できない……。

 ツキノちゃんとこういう話になると大体ドツボにはまる。また、ハルノに出て来られても面倒なので、僕は話を逸らすためにヒメに話を振る。

「はい、ツキノちゃんの話は終わったから、次はヒメな!」

 ヒメにこちらから話しかけるのは躊躇われたが、あえて彼女を無視するなんていう行動を取る方がかえってガキっぽくて嫌だった。だから、僕はあえて自らヒメに声をかける。

「ヒメかにゃ?」

「ああ。ラブコメに関して思うことは何かあるか?」

 僕がそう言うと、

「あるにゃん。ヒメには昔からどうしても気になっていることがあるにゃん!」

 ヒメは小学生のようにぶんぶんと手を振りまわしながら言った。

「おう、なんだ。言ってみろよ」

 そして、ヒメはまたトンデモないことを言いだした。

「なぜラブコメの主人公は、女の子の裸を見ても襲わないのにゃん?」

「………………は?」

 僕は思わずヒメの顔を凝視する。

「ラブコメではよくあるにゃん。ヒロインがお風呂に入っているところに突入したり、着替えている更衣室に紛れ込んだり……。あと、ずっこけてヒロインを押し倒すなんてしょっちゅうにやん」

 確かに少しお色気色の強い作品ならば、そういう展開はよく見られる。

「でも、そういう展開になった後に交尾に発展するパターンはほとんど見たことないにゃん。それがヒメには不思議にゃん」

「いや、それは年齢制限的な意味でというか……。大人の事情というか……」

 青年誌ならまだしも少年誌でそんな展開にすれば発禁確実だ。少なくとも直接描写するのは絶対にNGだ。

 しどろもどろになっている僕にヒメは話を続ける。

「普通、メスがオスの前で淫らな格好をしたら襲うものにゃん」

 そして、ヒメは誘うような目付きで僕を見て、言った。

「たとえば、スカートをめくりあげるとか」

「………………」

 ヒメはそんなことを言ってにやりと笑うのだ。

 僕の気も知らないで。

 ヒメは明後日の方角を向きながら言った。

「まあ、そういうことができないってことは、その男はオスとしてまだ未成熟だということにゃん。だから、そういう男は大人しく――」

「黙れよ」

 なぜかしたり顔でそんなことを語るヒメの言葉を僕は思わず遮った。

 何かが爆発したと思った。魂の内部に存在するその何かは暴走し、僕を突き動かす。

「なんでおまえにそんなこと言われなきゃいけないんだ」

 一度動き出した口はもう止まりそうにもなかった。ブレーキの壊れた車の様に、僕は止まらずにひたすら前へと突き進む。

「僕の気持ちも過去も何も知らない癖に」

 僕の中に残った最後の理性が警告していた。

 これ以上はいけない。

 ここは崖っぷちだ。もしも、ここから先に一歩でも進めば、僕はまっ逆さまに転落する。

 そして、この場所に二度と戻ってこれなくなる。

 このぬるま湯のような居心地のよい場所に。

 もしも、このとき僕が一歩踏み出さなかったとしたら、どうなっていただろう。

 僕はユキセさんとずっと最近のラノベをこき下ろしていただろうか。

 ミオコさんとくだらない下ネタで盛り上がっていただろうか。

 ツキノちゃんの電波話にたじだじになっていただろうか。

 そして、ヒメに対してほのかな想いを抱いたまま――ただ何も言わず、彼女を見つめていただろうか。

 しかし、すべては後の祭りだ。

 僕は前に進んでしまったんだ。

 まっ逆さまに落ちる崖に向かって。

「おまえが、何も知らないおまえが、解ったように、僕のことを語るな!」

 僕の叫びをヒメは無表情で受け止めた。いつも笑っていたヒメ。ヒメのそんな冷たい顔を僕はこのとき初めて見た。

「それはトキオくんも同じだよね」

 僕はその言葉を紡ぎ出したのが誰なのか、一瞬理解することができなかった。それくらいこのときのヒメの姿は、普段のものとは違っていたのだ。

「ヒメがどんな過去を背負っているのか、どんなことを考えているのか――なんで死んだのか」

 滔々と語るヒメの様子に僕は思わず息を呑む。

「何も知らないよね?」

 そして、ヒメは僕を睨んで言う。

「何も聞こうとしないよね?」

「………………」

 そうだ。僕はヒメだけじゃない。ここに居る全員の過去も想いも何も知らない。それは僕が彼女たちに何も聞こうとしなかったから。

 その理由は――

「だって、死んでるんだぞ……」

 僕は自分がどこを見ているのかも解らない。目が回るような浮遊感の中、僕の口だけが僕の想いをゆっくりと紡ぎ出す。

「死んでるってことは終わってるってことだ……。終わってるってことは未来はないってことだ……。そんな僕たち幽霊が自分たちを知るっていうことがどういうことなのか……。おまえは本当に解らないのか……?」

 僕は知っていた。いや、感覚で理解していたというべきか。幽霊が己を、他者を知るとはどういうことか。互いの過去に、想いに踏み込むとはどういうことか。

 凡百のマンガやライトノベルやゲームを知っていれば解るじゃないか。

 幽霊が己を知り、他者を知れば、どういう結末を迎えるのか。

「幽霊である僕たちは無念を晴らしたら成仏する……いや、成仏させられてしまう……」

 死んだ人間は霊になる。ならば、成仏した霊はどうなる? 生まれ変わる? 楽園に行ける? そんなもんはどこぞの宗教が作り出した世迷い事だ。実際にどうなるかなんて解ったものではない。

 成仏の先にあるのが無でないなどという保障はどこにもないのだ。

「……僕はまだ消えたくない」

 僕はまだ自分の死に納得なんてしていなかった。僕の命を奪った理不尽な神の喉元に噛みついてやりたかった。

「納得したふりして、この世界から消されるなんてごめんなんだよ……!」

 僕はそう言い捨てて、四人に背を向ける。

 誰も何も言おうとはしなかった。彼女たちがどんな表情をしているのか、確認する勇気はなかった。

「……帰ります」

 なんとかそれだけ言うとドアから部室の外に出た。

 部室の外では、沈みかけた夕陽が霊である僕以外のすべてを赤く染めていた。

 その光景はとても美しく――とても残酷だと思った。





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