違う。あの時と違う。暗い海だけど、意外に明るい。

 関門大橋の灯り、行き交う船の灯り、対岸の家々の灯り。

 灯りの中に二つのシルエットが浮かんだ。

「さあ、ユキオさん、ホームに帰りましょうね。ね、誰もいないでしょう?」

「いや、娘がいるはずなんだ。看護師さん、お願いだから探して下さい。ここで待つように言ったんです。娘は私がいなければ、ひとりぼっちなんですよ。頼みますから」

「でもね、あなたは自分の名前も思い出せないじゃないですか? いきなり、ここに行くって言い出して暴れるから連れて来たけど。さあ、帰りましょう。風邪を引きますよ」

 まさか、まさか、まさかね、そんな都合のいい事、起るわけない。でも、でも。

「あの、、あの、すいません」

 私は看護師に声をかけていた。

「この人、名前を思い出せないんですか?」

「ええ、そうなんですよ。十年以上前に行き倒れていてね、記憶がないんですよ。その上、身元の確認になるような物を何も持っていなくて。私達は便宜的にユキオさんと呼んでいるの。行き倒れの男の人だから」

 私はその人の顔を覗き込んだ。

「お父さん?」

 お父さんだ。痩せてるし、年を取ってるけど、お父さんだ。

「お父さん! 私よ。美弥みやよ」

 それからはトントン拍子だった。

 父は私を捨てたわけではなかった。父は当時高級クラブのホステスと付き合っていて、そのホステスのひものような男に呼び出されたのだ。父は私に危害が及んではいけないと、咄嗟に門司側に逃がした。その後、男と喧嘩になり突き飛ばされて海に落ちたらしい。

 叔母はその女と出て行ったと思いこんで捜索願いを出さなかったのだ。

 トンネルをもう一度歩いて良かった。父にもう一度会えた。勇気が奇跡を生んだのだ。

 今度は元気になった父と一緒に歩いてみよう、海の底をつなぐ小さなトンネルを。

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海峡の底、トンネルの先に 青樹加奈 @kana_aoki_01

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