第4話 魔物のゾンビ

海の上でプカプカと浮いているような、落ちているのか、飛んでいるのかわからないが、空を……天蓋に想いを馳せるイカロスのような――そんな感覚を覚えた少女は、目を閉じたまま、ただそこに在った。


しかし、そんな空や海よりも、もっと昔に体験……否、幻想ではない根っこ、そう、少女という原初がその場所にいたことがある記憶が少女の頭を過ぎった。


ずっとこのままでいたい。


これほど心地の良い空間を1つしか知らない。


少女はいつまでも揺蕩っていたい。と、願うのだが、刹那――。


少女は初めから地に足をついていた。


空、海でもなく、始まりの胎動を鳴らすわけでもなく、少女はその大地に佇んでいた。


目を開いた少女、風が頬を撫で、青々しい草木の香りが鼻をくすぐる。


少女は首を傾げる。


ここはどこなのだろう?

記憶を探る。


そして、少女は理解した。

ここが異世界なのだろう。


テレビ――黄昏の門に手を突っ込んで、それからの記憶が曖昧なのである。


少女は大きく息を吸うと、まずは状況を確認しよう。と、小さな胸の前で握り拳を作った。


しかし、すぐに少女は顔をしかめた。

何故なら、突然臭ってきたのだ。

それは、少女が暮らしていた世界ではほとんど嗅ぐことのない臭い。

獣の濃い臭いや死臭、それだけではなく、すぐそばで大規模な戦いの気配すら感じる。


少女は訝しがり、足を進めることに決めた。


茂みをかき分け、鬱蒼とした森を進んでいく。

上下左右斜めの全方向を見ても、木、木、木――。

ここまで青々としているのも鬱陶しい。と、都会っ子の少女はげんなりする。


そして、いくらか進んでやっと広い場所へと抜けることが出来た。と、いっても森であることは変わらないが。


少女は何も考えずにその広い場所へ出た。

だが、すぐに気がつく。

死角から突然何者かが駆けてきており、少女はリコーダーを構えようとするが間に合わず、訪れて数分で死んでしまう情けなさに頭を痛めた。


しかし、斧のような物を振り上げていた人間の男のような、ロールプレイングゲームに出てくる大柄の魔物のような人影の攻撃がいつまで経っても行なわれない。


少女は恐る恐る顔を上げてみた。


すると、少女を庇うように背後に立ち、斧を大振りの剣で受け止めている影があった。


「……まったく、人間もここまで堕ちたか。同種、しかも女子を狙うとは笑止千万」


斧を受け止めている男性?の影が言葉を強くしながら、斧を持った者を斬りつけた。


「ぎぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

耳をつんざくような金切り声を上げて、斧の男が走り逃げ出してしまった。


少女は呆然とし、男が駆けて行った方向を眺めていた。


そうしていると、助けてくれた男が、こちらに手を差し伸べてくれたのである。


「娘、怪我はないか?」


そんな言葉をかけてくれる男に、少女は笑みを返した。

しかし、その表情はすぐに驚きに変わった。


何故ならその男、体の至る所が腐って、ずり落ちているからである。


少女は驚いた拍子につい、ゾンビ?と、尋ねてしまったのである。


「ん?ああ、一般的にはそうでござる。だが、人間の、ではないぞ、魔物のゾンビである」


少女は考え込んだ。

しかし、答えは出なかった。

そして、結論――この魔物について行こう。


「しかし娘、お主も随分面妖な出で立ちをしているな?」


面妖ではない。少女は否定する。

このブルマと体操服を小さな子が着れば最強なのだ。と、熱弁する。

たくさん呟かれていたし、知名度もとんでもなく高い。

この伝承を顕現させることで最強なのだ。と、少女はフンスっ。と、鼻を鳴らし、可愛らしく、ない胸を張った。


「う、うむ、よくわからんが、お主は人間なのだな?」


魔王ッ!

精一杯の背伸びで、体を伸ばしながら少女は言い放った。


「………………」

ゾンビは呆けた表情で少女を見るのだが、次第に頬が緩んでいるのがわかった

「ふふ――魔王、か。しかも人であるお主が」

大きな声で笑うわけではないのだが、目が半分腐っていようとも、眼光はとても優しい。


信じてもらっていないのだ。と、少女は頬を膨らませる。


しかし、ゾンビがすぐに頭を下げてくれ、すまないすまない。と、謝罪の言葉を投げてきた。


「いや、すまない。信じる信じない以前にな、こんな可愛らしい娘が、同じ人間と対峙すると決めたことに驚いてな」

そして、相変わらず穏やかな顔で、人間の娘が魔王になるのも悪くないかもしれん。と、呟いたのが聞こえた。


ゾンビの言葉の意図を理解出来なかった少女だが、今は後回し。と、物を横に置くようなジェスチャーをした。


そして、先ほどの斧の男について、逃げて行った方向を指差しながら尋ねた。


「ん?何ってお主……自分たちの種のことであろう?」

説明しても良いのだが、一体誰が信じるのか?少女は適当に記憶をなくした。と、説明した。



「……そうか」

どこか納得していないゾンビだが、特に聞こうともせず、ポツリポツリと話し出す。

「今、世界は人間と魔物で種をかけた戦いをしているのだ。弱った大地、凶暴化した野生動物、さらには食料を探すために暴徒化した人間――今の奴らの主食は魔物だからな」


とんでもないことを聞いた。と、少女は驚くが、チャンスだとも思えた。

何故なら少女は魔王だからである。


人間たちを殲滅しよう。

少女は言い放った。


「うん?い、いや、お主一体何を言っているのか――」


少女は咲いたような笑みを浮かべると、魔王は災いを起こす者、この世で最も勝手で、この世で最も嫌われる存在。

少女の表情には一分のほつれすら見つからない。


「………………」

最初は黙って聞いていたゾンビだったが、すぐに喉を鳴らしだした。

そして、少女の前で跪くと、腰にかかった大剣の面を見せてきた。

「人の礼儀を知っているわけではないが、今ここに、某はお主――魔王殿に忠誠を誓わせてもらう」


少女は怪訝な顔を浮かべた。

どうして?と――。


「なに、ただ魔王殿のような幼子を放って置けない。と、いうことと、少し昔を思い出してしまったからだ」


少女は深く聞くことはしなかったが、ゾンビの言葉が嬉しかったために、両手を掴んで飛び跳ねた。


「某の名は、アルバート=ナイトウェイ。騎士の血景――と、呼ばれていた我が剣、魔王殿のために使わせていただく」


少女はアルバートの申し出に感謝し、自分のことは魔王と呼んでほしい。と、伝え、またしても胸を張るのであった。


初めての試み、初めての異世界であったが、この変わった魔物ゾンビとの出会いが、さらに胸をときめかしたのである。

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