第20話 「前橋市における戦災の記録と、貞園の永遠の恋のライバル登場」

 5月半ばをすぎると、日暮れにたっぷりと時間がかかるようになる。

呑龍マーケットに夕暮れが近づいても、まだ多くの店が仕込みに追われている。

ついこの間まで、赤城山から吹き降ろす冷たい季節風に首をすくめて歩いていた人達が、

マフラーを外し、上着を一枚脱ぐようになる。

そうなると、いつものように呑みに出かけてくる時間までが、

遅い時間へ後退していく。



 康平の店で、春色のゴルフウエアに身を包んだ貞園が、いつものように、

焼酎グラスの氷を指で掻きまわしている。

カウンターで、不機嫌そうに頬杖をついているのもいつものことだ。

丹念に化粧が施されている横顔に、いつも以上の不機嫌が漂っている。

ほほ笑んでいる時の貞園も可愛いが、こうして拗ねている時の貞園にも、

男を惹きつけるような、不思議な色香が発散する。



 「すこぶるいい女だ。今日の貞園は。

 それにしてもこんないい女をほったらかして、接待に駆け回らざるを得ない

 社長業ってやつも、楽な商売じゃないな。

 同情するよ。忙しすぎる社長にも。不運な目にあう君にも」



 「それでもさ。本当に頭にくるんだよ、康平。

 今日のお相手は、新規の取引先なのよ。

 接待ゴルフをするから、目一杯めかしこんでゴルフ場へやってこいって、

 社長が命令するから、私も久しぶりに発奮したの。

 最後まで同行できるのかと思っていたら、ゴルフが終わった途端、

 はい。今日はご苦労さま、帰ってもいいよときたもんだ。

 私に目の保養として、ゴルフ・コンパニオンをさせただけなんだもの。

 取引先の人たちを刺激しておいて、軽く飲んでから伊香保温泉あたりへ繰り出して、

 女をあてがおうという腹つもりなんだ、あの野郎。

 じゃあ、呼び出された私はどうしたらいいの。

 暇を申し渡されたって、予定が無ければ、八方塞がりじゃないの。

 エコノミックアニマルってやつには、自分勝手な人間ばかりが揃っているわ。

 愛人をなんだと思っているんだろう。あ~あ、口惜しい。頭に来た・・・・」



 「バブルの全盛の頃は、よく使われた常套手段じゃないか。

 君がそこまで、目くじらを立てることはないだろう。

 土建屋さんや、設備屋さんの世界ではいまだに使われているそうだ。

 女を抱かせる手法は、けっこう効果的な懐柔策になっているんだぜ。業界では」



 「それはいいのよ、企業の戦略だから。

 そうやって仕事を取ろうという作戦だから、私は何も言いません。

 問題は社長の行動なの。

 みんなの接待のついでに、社長まで温泉コンパニオンと遊んでくるの。

 流石に私自身も頭にくるわ。

 愛人とは言え、私にだって、女としてのプライドがあるのよ。

 康平。頭へきたからあたしと火遊びしょうよ。この際だから」



 「勘弁しろ、穏やかじゃないなぁ。

 そんな不謹慎な言葉を、女の方から簡単に口にするな。

 なりゆきとはいえ、社長だって取引を成功させるためには一枚噛む必要がある。

 英雄、色を好むという格言は、昔からよく使われてきた。

 女遊びというものは、仕事ができる男の勲章だ。

 あまりカッカするな。

 この呑竜マーケットは、第二次大戦の前橋空襲と昭和57年の大火で

 二度もひどい目にあっているところだ。

 火遊びなんて言葉は、禁句だ、貞園。あっはっは」



 第二次世界大戦の大空襲というと、東京大空襲をはじめ太平洋側の

大都市に集中していたと思われがちだ。

しかし、終戦を目前にした昭和20年8月5日。

関東地方の最北部の前橋市へ90機あまりのB29が現れ、無差別爆撃が行われた

記録が残っている。

奥地にある地方都市を狙うのであれば、陸軍師団が置かれていた高崎市が

目標になってもいいはずだが、こちらに空襲の記録は一切ない。

爆弾は、ひとつも落とされていない。



 大量に落とされた焼夷弾により、亡くなった人が535人。

負傷者は600人におよんでいる。

3日3晩、燃え続けた前橋の市街地は、8割が焼け落ちたと言われている。

灰は30センチあまりも、焼土の上に降り積もったと記録に残っている。


 しかし。後になってから米軍が、衝撃的な事実を公開する。

無差別と思われていた焼夷弾の投下も、実は正確な爆撃だったことが明らかになった。

カトリック教会や学校、病院には、爆弾と焼夷弾は落とされていない。

お寺や神社の建物なども避けている。


 空襲直後の写真展が、毎年のように公開されている。

焼け落ちた瓦礫の中で、無傷のままの教会の礼拝堂の姿が写っている。

礼拝堂はその後、平成3年のNHK「ゆく年くる年」で、歴史の証言者として

テレビで放映されている。

教会の尖塔の俯角によって爆撃を逃れた直下の、白い土蔵と家屋には、

当時の火災の凄まじさを伝える傷跡が、刻まれている。

言語を超える痛ましい光景として今も、毎年、市民に紹介されている。


 「呑竜マーケット」と呼ばれている「呑竜仲町商店街」は、

1947年(昭和22)に、その歴史がはじまった。

大蓮寺の土地に復員者たちが生計を立てるに、闇市をたてはじめた。

飲食店をはじめ、雑貨や総菜、青果などの売るトタン張りの店舗が作られた。

こうして誕生した闇市は、「呑龍マーケット」の愛称で呼ばれるようになった。

焼け野原が一面に広がっていた前橋市の、復興のシンボルとして、

市民たちに親しまれてきた。


 戦後の復興が急速に進む中、市民の胃袋を支える役目を果たし終えた

「呑竜マーケット」は、時代の変遷と共に姿を変える。

飲んべェ達が気軽に詰まる、下町の飲み屋街に変身していく。

終戦直後に突然現れたこの粗末な闇市は、うなぎの寝床のような形をしている。

古い建物たちをそのまま残し、さらにトタン構造の増築を繰り返していく。

10数年後。もっとも「燃えやすい町並みの」として、指摘を受ける。

だが「呑竜マーケット』は近代化が進んでいく前橋市の中心部で、その存在を

かろうじて守り続けていく。



 1982(昭和57)年1月。「呑竜マーケット」で火の手があがる。

ほぼ一瞬にして、全域が消失してしまう。

近隣ビルと合わせて、焼失した面積は、660平方メートルに及ぶ。

横丁にあった30数店舗のうち、23店舗が全半焼した。

当時は2階もつくられており、住居になっていたそこから6世帯が焼き出された。


 幸いなことに死傷者はいない。

発見が早かったことと、多くの店が開店する前の時間帯だった事、

さらに上州特有の北風(からっ風)が吹いていなかったことが、被害を最小限でくいとめた。

火事の原因はガス器具の不始末だ。

丸焼けになった呑竜マーケットは、建築基準法が制定される前に建てられたものだ。

既存不適格な建造物として指定されていたために、その後に、

厳しい再建の道が待っていた・・・・

再建の話はのちほど、くわしく語りたい。



 「貞園。準備は整った。

 営業をはじめるから、そこにあるのれんを、表に出してくれないか。

 ぼちぼと、呑龍マーケットの常連さんたちが出かけてくる頃だ」



 貞園が、のれんを持って立ち上がる。

「呑竜マーケット」ほとんどの店舗が、5~6坪ほどの大きさだ。

日暮れとともに長年の常連客が馴染みの店に、今日もいつものように集まって来る。

貞園がのれんを手にしたまま、店の戸口でそのまま固まった。



 「あらぁ、やばい。空襲警報の発令です。いきなり、B29が飛んできました!

 私の永遠の恋のライバルが、とても颯爽と登場です」


 「美和子が来たのか?」


 「はい。でも今の時間に美和子ちゃんが現れるというのは、変ですねぇ。

 何か別の用事でもあるのかしら。

 わたしは落ち込んでいるときに現れるなんて、やっぱり優しい女だな、美和子は。

 それにしても、今日も着物が素敵ですねぇ。美和子ちゃんは」

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からっ風と、繭の郷の子守唄 落合順平 @vkd58788

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