第18話 「乙女の前髪にひそむんでいた恋心と、貞園のいまの本音」

(それにしても・・・)さらに貞園が口の中でつぶやく。


(麗しかった乙女が、大学卒業と同時に愛人生活へ入ってしまったということを、

康平は十二分に知っていたはず。

それなのに、一言もそのことに触れてこない。

面と向かって『生き方を変えたようだね、俺の知っている貞園ではなくなった』

と正面から言われたら、やっぱりショックだもの・・・・)



 「で、いつ頃からの事なんだろう。

 日本の女性が、競い合って、髪を染め始めたのは」



 パラりと下がってきた前髪を、貞園が指で上空へ弾く。

白い額を覆い隠すように、いつも垂らされていた貞園の長い前髪は、

いつのまにか、前髪編み込みというスタイルに変わっている。

三つ編みにされた編み込みが額に沿って流れたあと、左サイドの耳の上で

くるんとひとつにまとめられる。

ふんわりとした形の、ヘアコサージュを花模様のヘアピンで、

柔らかく抑えるのが貞園のお気に入りだ。



 「髪の話題で、なにかと盛り上がる一日だ。

 自慢の黒髪を染めるようになったのは、日本社会の急激な経済発展と、

 実は、密接な関係があるようだ。

 島崎藤村の、まだ上げ初めし前髪のという『初恋」』という詩に関心を持って、

 日本女性の黒髪について、少し調べたみたことがある。

 興味深い雑学を発見をした。

 長い話になるが、少しそいつに付き合うかい?」



 「付き合います、喜んで。

 どうせ今夜は独りだし、暇なら十分に持て余しています」



 「いつの時代においても、女性の髪は女性の命だった。

 女性のヘアスタイルは、常にその時代を象徴するものだった。

 髪型の変遷に、長い歴史が秘められている。

 『髪を結う」のが一般的になってきたのは、江戸時代になってからだ。

 それまでは大垂髪(おおすべらかし)と呼んで、髪を長くたらした形が主流だった。

 百人一首に描かれている女性たちのように、髪の長い女性が「美人」とされた。

 長髪が、長いあいだ維持されてきた。

 おしゃれといってもせいぜい、びんの前方を切りそろえたり、

 ひとつに束ねたり、というくらいだった。

長い髪をそのまま垂らすというスタイルが、定番だったようだ」



 「長い髪が美人の象徴だなんて、きわめて日本的です。

 中国でも、多くの女性たちが髪を長く伸ばしているけど、大抵は

 シニヨン(元はフランス語: シニョンとも言う)と呼ばれる形に束ねているわ。

 サイドや後頭部で髪をまとめるの。

 今でいうポニーテールのことです。編んだ髪をお饅頭のようにして、

 ひとつにまとめるの」



 「女性の髪型を変えるきっかけを作ったのは、江戸時代初期に活躍した、

 出雲の阿国(いずものおくに)といわれている。

 歌舞伎の前身と言われる「お国歌舞伎」を舞ったのが出雲の阿国だ。

 役づくりをするため、髷(まげ)を結った。

 阿国が結った若衆髷(わかしゅまげ)が「かっこいい」と江戸で評判になった。

 遊女たちの間で、この髪型を結うのが流行りはじめた。

 若衆髷を起点となり、後に日本髪を代表する島田髷(しまだまげ)が生まれた。

 日本髪の結い方は、全部で100以上あるといわれている。

 江戸中期からは、時々の世相を反映する結い方が流行るようになる。

 そうした流行は、常に遊女からはじまった。

 それがやがて、市井の一般の女性たちの間に広まっていった」



 「ふぅ~ん、遊女たちが日本髪の先駆者なのか。

 なるほどねぇ・・・・遊女と言えば、殿方の目を引くのが職業です。

 当然すぎる話だわ。派手で目立たなければお仕事にならないもの・・・・

 へぇぇ、日本髪の原点には、『女を演出する』プロの遊女が居たのか。

 道理で日本髪が女の私の目から見ても、艶っぽく見えるはずです」


  

 

 「明治に入ると、男たちが髷を落とす断髪が強制的に行われた。

 急速に西洋化が進んでいくわけだが、女性のあいだでは、日本髪が主流だった。

 働く女性の髪型として、銀杏返しなどを結う人が多かったと記録に残っている。

 ダンスとドレス姿が脚光を浴びるようになると、洋装に合う髪型が

 考えられるようになったようだが、いずれもそれまでの日本髪を、

 洋風にアレンジしたのに過ぎなかった」



 「明治時代はまだ、女性の髪は長いままだったわけですか。

 道理で日本の男児が女性の長い髪に、ことさら執着するわけだ。

 でも最近は、短い髪の女性もたくさんいます。

 長い髪にも当然、歴史の転換点がどこかでやってくるわけかしら」


 

 「女性の髪の歴史が、急激な変化を見せるのは大正時代だ。

 日本女性の定番だった長いストレートの髪と、それを結い上げる日本髪の歴史が

 一度、終止符をうつことになる。

 断髪してショートボブを取り入れたモダンガールの登場が、それにあたる。

 この頃になると、日本にもパーマネントの技術などが入ってきた。

 髪を切り、パーマをかけるという女性が急増する。

 『アメリカ人の真似をしている』と非難されたようだが、実はこのころから

 日本髪から開放された女性たちによって、社会的地位を向上させていく動きや、

 運動がたかまってくる」



 「日本髪は、見るからに優雅です。

 でも日常生活的においては、すこぶる不便だと思う。

 箱枕というのかしら、変な形をした枕で髪を守って寝るなんて、私には考えられません。

 あんな不便なもので夜の夫婦生活が営なめるなんて、日本女性は我慢強いですねぇ。

 おしとやかというか、辛抱が良いのねぇ、ホントウに・・・・

 あら、ごめんなさい。ついつい、はしたない妄想などを挟んでしまいました。

 で、いつ頃からなの、ほんとうの意味で日本女性が長い髪から開放されたのは」



 「ヘアスタイルが多様化するのは、終戦後のことだ。

 アメリカ文化に近づこうとして茶髪にしたり、パーマ・ヘアーにする女性が増えた。

 1960年代に登場したヴィダルサスーンが、ハサミで髪をカットするという、

 新しい技術を実現した。

「ヴィダルサスーンカット」と呼ばれるボブスタイルが、全世界的に流行した。

 髪の毛を人差し指と中指の間に、1cm程の厚みで引き出しながら切る

 『サスーンカット』は、現代の理容師や美容師たちの基本技術になっている。

 サスーンの技術は日本にも入ってきて、髪をカットする道具が、

 カミソリからハサミへ移行はじめた」



 「あらまぁ、たった半世紀前のことかですか・・・・

 長髪だった女性の髪が、いまのように変わり始めたのは」


 

 「最終的な変化を遂げたのは、つい最近のことだ。

 1990年代へ入ると、日本にバブル経済がやってきた。

 ダンスブームが、日本中を席捲した。

 クラブやディスコが林立して、華やかに踊る女性たちがマスコミに取り上げられた。

 ソバージュや、ワンレングスの女性があふれはじめた。

 (※ワンレングスはヘアスタイルのひとつで、正式にはワンレングス・ボブと呼ぶ。

 ストレートの髪でフロントから後ろまで、同じ長さに真直ぐに切り揃えたもの)



 1993年ごろになると、茶髪ブームがはじまる。

 1996年に、安室奈美恵のファッションを真似た「アムラー」が増殖する。

 こうして日本に、茶髪の一般化がはじまる。

 「茶髪なんて……」と、当時はまゆをひそめられたものだ。

 だがじょじょに、女性のファッションのひとつとして一般女性に浸透していった。

 あれから20年。

 茶髪は今や、日本女性の定番として定着している。

 この国では生まれついての黒髪が、異性に目覚めはじめるとそれと同時に、

 茶髪や金髪に生まれ変わっていく・・・・

 カラーリングは、女性が子供から大人へ脱皮していく儀式のように見える。

 嘆かわしい現実だと思っているけどね、もう、停めることはできないようだ」



 (だから康平はいまだに長いストレートの黒髪に、こだっているんだ・・・

  日本の男って本当は単純にただ、黒くて長い髪が好きっていうことなのかしら?)



 ふう~ん・・・・そんなものかしらねぇ、と貞園が、

カウンター越しに熱弁中の康平を見上げながら、ふんと小鼻を鳴らす。

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