第13話 「貴婦人の白樺林と、赤城大沼の湖畔」

 康平のスクーターが、最速タイムでトナカイヘアピンをクリアする。

カーブの出口から、なだらかに登っていく長い直線に変る。

のこりのカーブは、あと5つ。


 山肌を尾根に向かって、斜めに駆けあがる。

なだらかな4つのカーブを抜けると、前方に最後のカーブが見えてくる。

赤城の登りの最終カーブだ。


 最終カーブからの眺望は、素晴らしい。

1300mの高所から、関東平野の広大な平坦地が眼下にひろがる。

見通しが良いのは、さえぎるものが何ひとつないからだ。

晴れていれば群馬県下はもちろん、遠くに埼玉と東京の市街地まで

見通すことが出来る。


 最終カーブをぬけたあと、道路は800mの直線にかわる。

市街地から20.8キロ。標高1436mの地点まで一直線の登りにかわる。

周囲にひろがっていくのは、レンゲつつじが群生する白樺の牧場。

最高点まで、30秒足らずで到達をする。


 「貞園。標高1436mの最高到達点だ。

 東京湾までさえぎるものは何一つない。

 ここが関東平野で最初の、いちばん高い道路ということになる」


 最高到達点に到達すると、周囲の眺望は狭くなる。

外輪山の中へ突入するからだ。

登り続けてきた道路が、最高到達点から下りにかわる。

外輪山に囲まれたカルデラ湖・大沼の湖面に向かって道路が下っていく。


 康平がアクセルをゆるめる。

加速はもう、必要ない。

下りの傾斜に乗って、康平のスクーターがすべるように降りていく。


 「あら、気がついたら、まわりは一面の白樺林です。

 他の木々はみあたりませんねぇ。白樺だけが群生しています。

 白樺は、高原の貴婦人と呼ばれています。

 これだけ有ると気品が多すぎて、異様に見えてくるから不思議です」



 「赤城で、白樺が群生しているのはこの一帯だけだ。

 どこを見回しても白樺の木しか生えていないので、誰かが意図的に

 整備したものだろう。

 22キロの山道を、必死で登ってきたご褒美さ。

 カルデラ湖の入り口で、白樺の群落が、出迎えをしてくれるんだ。

 俺も、ここまで来るとほっとする・・・・」



 「うん。実は、わたしもほっとしました。

 これ以上、必死にあなたの背中へ、しばみつかなくても済むもんね。

 でも、残念だなぁ。

 あんたの背中って、けっこう居心地が良かったのに・・・」



 「この先。カーブを2つ抜けると湖の周回道路と合流する。

 大沼は、一周5キロあまりの火口湖だ。

 1350mの高地だから、冬になると全面が結氷する。

 氷の厚さは、20~30センチになる。

 天然のスケートリンクとして、賑わったこともある。

 春になると、レンゲツツジが咲きはじめる。

 10数種類は有るという他のツツジたちも、一斉に咲きはじめる」


 「あら、という事は今の時期は、お花は楽しめないか・・・・

 ちょっぴり残念ですねぇ」


 「そうでもない。がっかりするのはまだ早い。

 大沼のとなりに、覚満淵(かくまんぶち)という湿原がある。

 いまのなら高山植物や、ニッコウキスゲの黄色い花が見られるだろう。

 貞園は、「尾瀬湿原」を知ってるかい?」



 「夏が来れば思い出す・・・という歌いだしの尾瀬ことでしょう。

 知っているわよ、名前くらいなら。

 でも残念ながら、まだ現地に行ったことはありません」



 「湖畔を一周してきた周遊道路は、ミニ尾瀬と呼ばれている湿原だ。

 覚満淵には散策用の木道が整備されているから、そこへ行って一休みしょう」


 県道4号線が、湖畔を一周してきた周遊道路と合流する。

大沼は四方を外輪山に囲まれている。

湖は岸からすぐ深くなっていくが、東にだけ遠浅の砂浜がある。

上流の覚満淵から流れ出した土砂が、長年にわたって堆積したからだ。

堆積した上に神社が建った。いつごろのものかは定かでない。

9世紀の頃。大沼の南の畔に赤城神社の前身にあたる小沼宮(このぐう)が、

作られたという記録が残っている。


 大沼の湖畔には、ミズナラや白樺などの群落がある。

これらの大木に混じり、ヤマツツジの一種で、「アカヤシオ」と呼ばれる

ツツジの花を、いたるところで見ることができる。

「アカヤシオ」は、別名をアカギツツジ(赤城躑躅)と呼ばれる。

5月末から湖畔の水辺を中心に、全山で大ぶりなピンク色の花を咲かせる。


 アケボノツツジ(曙躑躅)の変種のひとつだ。

学名から推測すると、栃木県の日光がみなもととされている。

福島県から兵庫県に至るまでの広い範囲に分布する植物だ。



 山頂湖の大沼は、真夏になっても25度を超えない。

下界が灼熱地獄になろうが、ここでは常にさわやかな風が吹く。

カラリとした気温を保ったまま、たくさんの植物たちを育てている。


 「貞園。ヘルメットのシールドを開けてごらん。

 下界にくらべて10℃近くも気温が違う、まったくの別世界だぜ」



 湖畔へ向かう砂利道を、康平のスパースクーターがゆっくり降りていく。

緩い速度を保ったまま、ひたひたと打ち寄せてくる岸辺まで進んでいく。

外輪山に守られた、赤城神社の全景が遠くに見える。

青い湖面に、真っ赤な鳥居と朱色の橋がひときわ鮮明に目立つ。



 「あら本当。

 壮観な山の様子と、神秘な雰囲気が入り混じっていますねぇ。

 ちょっと不思議な景色ですね。ここは・・・・

 ねぇ。水面の上に、古い鳥居が立っているじゃないの。

 ということは、ここから水面の上を歩いて、あそこに見える赤い神社まで、

 参拝に行くわけではないでしょうね」



 「近くに見えるが、対岸の社殿まで1キロ以上もある。

 大沼には、たくさんの神話や伝説が残ってはいる。

 だがさすがに、水の上を歩いて参拝したという話は残っていない。

 日本は、仏教の国と思われているが、神話がたくさん残っている国だ。

 いたるところに古い歴史を持つ、神社や神の領域がある。

 ここもそうした土地のひとつだ。

 山岳信仰の聖地として、赤城山そのものが神体にされていた」



 「台湾にも、日本の神社がたくさん作られた時代が有ります。

 統治時代に作られたものです。

 200あまりの神社が、台湾の全土に建てられたと記録にあります。

 原型をとどめているのは、数箇所にすぎないけれど桃園県にある桃園神社は、

 今でも荘厳で、とても美しい建物です。

 神社という特別な空間に漂う、独特の神秘的な静けさと美しさが

 わたしは大好きなんです」


 「へぇ、・・・・

 台湾生まれなのに、君は、日本の文化にも詳しいようだねぇ」



 「だから、わざわざ日本を選んで留学にやってきたの。

 それにしても、ここには異次元の空間ですねぇ。

 神秘的で秘密めいた雰囲気が、漂っています。

 波に洗われている石灯籠といい、湖の中に消えていく石畳の様子といい、

 人を引き込むような、怪しい魔力を感じさせます」



 「よくわかるねぇ・・・・

 ここには実は、現代の神隠しの話が残っているんだ」



 「神隠し?。古めかしい非科学的な話が、今の時代にまだ残っているの!」



 「そうさ。ここにはいまでも神さまが棲んでいるんだ。

 現代の科学では解明することができない、神かくしの不思議な話が

 最近、現実に発生したばかりだ」

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