第166話 単独行

剣を鞘から抜く。碌な手入れをしていない剣はパッと見ただけでもひどい状態であることがわかる。細かい傷はもちろん、所々うっすらと錆が浮き、刃こぼれしているところまである。


最初にこの剣を手に入れた時の気持ちが思い出される。軌道に乗ってきた商売で稼いだ金を惜しみなくつぎ込んで買った。少し無理をしたから暫くは金欠状態にもなった。稽古でこの剣を振り、魔物との戦闘で突き刺し、突然襲ってきた敵の刃を受け止めて、いまなお折れもせず役に立ってくれているのだから、結果的には安い買い物だったと言える。


すっかり手に馴染んだ剣。しかしもう昔の輝きはない。家に帰るたびに時間をかけてしていた剣の手入れを、しなくなったのはいつからだったか。鍛冶屋に持ち込めばまた昔の輝きと切れ味を取り戻すのかもしれない。


「なに構いはしない。新しい剣を買えばいい。今ならもっと高い剣だって余裕で買える。今までありがとよ。そしてさよならだ」


街道脇の草むらに無造作に放り捨てられる剣。もう思い出すことはないだろう。







「オイ!キーン!オイ!」


チャンネリが部屋から出て行って、それをぼけっと見送ってたらシュラーにビンタされた。怖い顔で睨んでくる。


「何ぼけっとしてんだ!追いかけるんだよ!ほら行くぞ!」


俺は、俺が、何で、いや、だってすぐ帰ってくるでしょ?え?違うの?


「シュラー。俺はいかない」


「てめぇ!いいから早くしろ!」


「お前もチャンネリと一緒にいけ。俺は行かない。もしホントにこのままどっかへ行っちまうんなら、どこかで一回連絡くれ」


「キーン!チャンネリはそんなつもりじゃねーだろ!わかんねぇのかよ!」


「シュラー!俺は行かねー!早くいけよ!見失うぞ!」


「あぁそうかよ!クソ野郎!」


「オイ!シュラー!持ってけバカ野郎!」


とりあえず手持ちの金を袋ごと全部投げ渡す。受け取ったシュラーは扉を乱暴に蹴り開けて出て行った。チャンネリとはまだ「共鳴」で連絡取れるしヤツなら上手く合流するだろう。


これでいい。このなんとなく飽和して行き詰った状況を打開するのは3人で仲良しごっこを続けるんじゃなくて・・・じゃなくて・・・どうすればいいのかな?分からないけど、あいつ等はあいつ等で頑張るだろうさ。


魔族の野郎もさすがに出て行ったあいつ等に手は出さないだろう。狙いは俺なわけだし。うん、ほら、これでいい。これからしばらくはまたひとりで頑張ろう。いまは頭のなか真っ白だし、なんとなく喪失感もすごいけど、同時に解放感も感じちゃったりしている。


どこかでふたりのことを重荷に感じてたのかな?いや、どこかでっていうかはっきり重荷だったよ。仲が深まれば深まるほど、将来に対する漠然とした閉塞感が気分を圧迫してたんだ。


頑張ってるつもりだったけど、そろそろ限界だったのかもしれない。いいタイミングでチャンネリが動いてくれたと、そう思う。チャンネリのことだから、何かを察していたのかも。


ただシュラーがチャンネリを連れてすぐ帰ってくるパターンもあり得る。この機会を逃したくない。まずはさっさと家から出て、暫くは単独行動させてもらおう。


「キーンさん!ひさしぶり」


「キーンさんじゃないか!シュラーさんは?」


「キーンさんキーンさん、今日はお店に顔出してよね」


「キーンの旦那!チャンネリの姉さんも帰ってきてるんですかい?」


「キーンさん、今度時間ある時に私の話を聞いてくださいね」


町を歩けば次々に声をかけられる。いつもだったら愛想よく相手をするけど、今はそんな余裕がない。挨拶だけしてさっさと自分の店へ。


「キーン様。お疲れ様です。お待ちしておりました。ご無事なご様子で何よりです。早速ですが売り上げと商談についてご相談したいことが・・・」


「いやルーイさん、実はいま時間がないんです。またすぐに出ないといけなくて、それでまた暫く店に顔を出せなくなりそうです。ですからルーイさんにはこれまで通り、いえ、これまで以上ですね。全てルーイさんにお任せします。本当に申し訳ないんですけど。給料は全員1割上げますから。ボーナスも同様に」


「は?いえ、オーナー、それはしかし・・・」


「いいんです。ルーイさんにも店の子達にも負担をかけてますから。もし人手が足りなかったらルーイさんの判断で従業員を増やしてもらって構いませんよ。えっと、そうですね。あとは何か問題が、貴族関連とか、何か面倒事が起こったらシュラーの店と連携を取りつつ各有力ギルドに相談してください。そのあたりは前にも話しましたよね?最悪この店を捨てて逃げてもらっても問題ありませんので、無理はしないでくださいね。あと・・・」


「キーン様、お待ち下さい。少し落ち着いて下さい。ちょっと!ミリーさん!お茶・・・お水を持ってきて下さい。はい、ありがとう。オーナー、お急ぎなのは分かりますがまずはこれをお飲みください。はい、しかし、一体どう・・・なにがあったんですか?私が聞いたらまずい話でしょうか?あまりにもご様子が・・・こちらを・・・鼻をかんで・・・その涙を」


「え?ああ、そうですか。すみません。不安にさせるようなことを。何も問題ありません。個人的なことですから。ええ、本当ですよ。問題なんてありません」


「分かりました。それでオーナー。次はいつ頃お戻りになる予定ですか?採掘現場の方で少し問題があるとの報告を受けていまして。オーナーに対応をお願いしようと思っていたんですが」


「現場で?どんな問題ですか?」


「何やら女性関係の問題だそうです。私も詳しくは把握しきれていないのですが・・・」


「はぁ、なるほど。そんなもの、いや、分かりました。このあと向こうに行ってみますよ。町に次戻ってくるのは、そうですね、はっきりとは言えませんが、半年から長くても1年程だと思います」


「そうですか。ではどこか遠くへ。以前にオーナーが言っていたことと関係があるのでしょうね。この町の支配・・・」


「まぁそんなところです。ですがこの店は大丈夫ですよ。少なくとも町の人間は誰も手出しできません。くどいようですが貴族には気をつけて下さいね。俺がいない間は、とにかく守りに徹してくれればいいので。いいですね?はい。では俺はもう行かないと。店の子達にもよろしく言っておいて下さい。それじゃあ」


店での用事を慌しく済ませ、商業ギルドで当面の活動資金を引き出し、そそくさと町から離れることにする。アリバイ作りのために町の裏門を出て人目がつかないところまで徒歩移動。


いや、馬も何もなしに大した荷物も持たずにひとりでふらっと町を出るなんてちょっと異常な奴だけどね。門番も顔見知りだから変に止められることもなかった。







「転移」







転移先は宝石採掘現場の近く。まずはここを片付けておきたい。「身体強化」を使いながら現場責任者のおっさんの元へ向かう。


「ザジール!」


「おう!キーン!久しぶりじゃな!どうした?こっちゃまだまだ採れとるぞ」


「いやそっちじゃないんだ。ルーイさんに聞いてきたんだ。何か問題が起きてるとかってさ」


「あー。おう、そうだな。聞いたか。そうか。うーん」


「なんだ?そんなに言いにくいことなのか?女性関係でってことは聞いてるけど」


「うむ。おりゃ女のことはよー分からんでな!どーすっか困っとんたんじゃ!うまく説明も出来んしな!なにせ話を聞いてもよー分からん!」


「誰か詳しい説明出来るやついないのかよ」


「おう。おーい!リットラン!おめーちょっと来い!」


こちらへ向かってくるのは人族だがガタイのいいおっさん。ハゲてるけど渋いな。それとも渋いからハゲたのか?永遠のテーマだなこれは。仲間と別れてぐちゃぐちゃしている頭で考えていい種類の問題じゃないぞ。


そう。一歩踏み込めばそこは迷宮。入ったばかりの入り口が、後ろを振り向けば幻のように消えているそんな世界。袋のネズミよろしくのデスロードのはじまりのはじまり。しかし男なら分かるだろ?ダメだと分かっていても入りたくなるんだ。


俺ならやれる!って夢と希望を燃やしてさ。なんでも出来るって思い込むんだよ。自分にそう言い聞かせないとすぐに冷たい現実に追いつかれちまうからな。なぁ学生さん、あんたにも心当たりあるだろ?


もう一度言おうか?ダメだと分かっていても入りたくなるんだ。つまりダメだと分かっているから入るのかもしれないな。さらに付け加えるならさ・・・もう入らざるを得ないんだよ!その頃にはもう熱で頭がやられちまってるからさ。


「あ、キーンの旦那、こんちゃっす!で親方。なんすか?いまいいとこで、あのデカイ岩がもうちょいでいけそうだったんっすよ」


「おう、わりーな。実はあの問題でよ。キーンが話を聞きたいってきたんじゃ。おめーならちゃんと説明できんじゃろ。ちょっと話してくれ。岩はワシがボコボコにしといたる!」


迷宮の謎に挑まんと、不退転の決意をするかしまいか悩む振りして問題を先延ばしにしてもじもじしている間にザジールはつるはしを持って行ってしまった。


残ったのはため息を吐いてるリットランとかいう渋めのおっさんだけ。これじゃ迷宮へ入るわけにはいかないよね。だっておっさんの相手をしてあげなきゃさ。ね?


おっさんは日に焼けて真っ黒になった肌に引き締まった筋肉を盛り上がらせ、汗と土まみれになったシャツがそこに更なるワイルドさを追加して男臭さを山盛りにしている。


もちろん俺に男を愛でる趣味はないよ。ただなんていうかな。やっぱり渋いんだ。前世から数えれば俺も結構いい年齢。小奇麗にはまとまってるけど薄っぺらさを隠せない兄ちゃんより、年季は入っていても無骨な力強さを滲ませるおっさんに魅力を感じるよ。そしてここにいるヤツラはそれぞれがなんらかの渋さを持っている。


クソ!また迷宮の入口が見えるぜ。永遠のテーマなんてなんてものは見てみぬふりが一番なのによ!あぁ、ダメだ。ハゲ頭が日の光を反射して目がチカチカする。これは何かの信号か?迷宮の謎を解くための重要なメタファーかもしれないぞ?


「・・・旦那!キーンの旦那!聞いてますか!」


「あ?あー、わりぃ。聞いてなかった。ちょっと渋さについて思いを馳せちまってたよ。俺にはまだまだ出せない味だからな。ないものねだりの醜い嫉妬さ」


「なんっすかそれ。それより旦那が聞きたいって話なんすが、ここじゃちょっとあれっすから来客用の小屋使ってもいいっすか?」


という訳で小屋に移動。座ってゆっくり話しを聞くことに。もちろん長々妄想したくだらない迷宮のくだりはもう飽きたからどうでもいい。


「で、いまは6人か、7人、もしかしたらもうちょっといるかもっすけど、キャリーに入れあげちまいまして。どいつも俺の女だって鼻息荒くてっすね。殴り合いくらいなら皆なにも言わないんすけど、この前とうとうひとりが刃物持ち出したすよ。その場は親方が割って入ってなんとか治まったんすけど、それからちょっと空気がおかしくて。作業にも影響出るし、班分けとかシフトとかっすね。それでルーイさんに話通して・・・」


「俺が呼ばれたって訳か。しかしそいつは商売女なんだろ?なんでそんなことになるんだ?それほどの女なのか?」


「それが旦那。普通の女なんすよ。どこにでもいるような。外見も中身もまぁ、特別なところはないっす。だから不思議なんすよ。なんであんな女ひとりに男が何人も群がるのかって。しかも全員本気っすから」


ほう。面倒だけどちょっ興味が湧いてきた。


「リットランっていったか?ちょっとその女をここに連れてきてくれないか?どうせ近くに住んでるんだろ?」


「っす。近くでテント張ってるっす。ちょっといってきます。すぐ戻るんで旦那はお茶でも飲んでて下さい」


10分程待つと、小屋に向かって歩いてくるリットランを「気配察知」が捕らえた。すぐ後ろには女がいる。ふーん。なるほどね。確かにどこにでもいそうな女だ。さてどうしよう。







転移の魔法。黒い渦から抜け出てきた男。キーン。ふと足の裏に違和感を感じ、びくりと震えた。目を向けるとそこには一振りの剣が落ちていた。拾って鞘を払うと傷んだ刀身が現れた。すぐに鞘に収めて町へ向かって歩き出す。


「ラッキー」


息をするように軽く、そこにある。

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