第107話 春の夜の大運動会
ひとりの老人が奴隷による大運動会の開幕宣言を行った。
「待ちに待った日だ。あとの事など考えるな。さぁ始めるぞ」
横に立っていた若い男がその言葉を受けて部屋を出て伝令に走り、老人は寝床の下に敷いてある黒い布で体を包み夜の闇に踏み込んでいった。
老人の歩みに合わせるようにちらほらと人が集まり次第にその数は増えていった。深夜の町に彼等以外の人の姿は見えない。
「坊主、魔法で警戒しておけよ?武器を取りにいくぞ」
老人の横で坊主と呼ばれた少年が片手を上げて返事をする。黒い布を纏った集団はある一軒の倉庫のような建物に静かに入っていった。
建物の中には木箱があり、それをどかして床や壁の板の一部を剥がすと武器が出てくる。ひとりまたひとりと思い思いの武器や防具を手に外へ出て行く。
彼等の一部は獰猛な笑みを浮かべている。何かの犯罪を犯して奴隷に落ちた者がほとんどなのだ。過去の何かを思い出しているのかもしれないし、これから自分達がする行いに昂ぶっているのかもしれない。
別の一部は既に疲れた顔をしている。もしかしたら後悔の念が急に芽生えたのかもしれないし、単純に体調が悪いだけかもしれない。もっとも体調の良い奴隷などという方が珍しいのだが。
借金が返せずに奴隷になった者、親に売られた者もいる。足取りは重いがその内心を言葉に出すことはせず重い足取りで建物をあとにする。
それぞれがそれぞれの事情を抱え奴隷という境遇に身を置いている。犯罪奴隷と親に売られた奴隷とでは、とても協力など出来ないとも思える。しかし出来るのだ。出来てしまう。
ここには考えるのさえ難しい問題や、複雑な心理のせめぎ合いなどない。息を吸って吐くのに何を考える必要があるだろうか?奴隷が奴隷以外を憎むのも同じことなのだ。そこには奴隷個人の経歴などささいな違いに過ぎない。
奴隷のなかにも当然序列のようなものが存在していて時には問題が殺人にまで発展することはある。しかし、それでも一般社会に比べて見れば圧倒的に穏やかな社会が形成されている。
そして今日は運命を左右する大運動会当日。たとえ昨日まで気に入らないと思っていた相手でも、今日だけは別だ。殺したいと憎んでいた相手だとしても今だけは協力できる。武器を手にした奴隷達の頭は次第に同じ考えを考えるに至る。
老人は一振りの剣を手に取るとその重さに足を少しふらふらとさせた。少年は短剣を手にして握りを確かめている。再び夜の町に歩を進めた奴隷達は互いに声をかけることもなく闇に溶けて消えていった。
「坊主。夜番の動きが分かるか?」
「ああ。敷地の入り口に二人。あの明かりのところだ。建物の周囲を回っているのが二人いるな。建物内に気配はない。残りは全て宿舎だ。動きもなし」
老人は感嘆したように少年を見つめる。老人と少年を除いて40人。これが騎士の駐屯地を制圧するために集まった奴隷の人数である。
騎士の人数が五十人ほどであることを考えれば戦力は全く足りていない。この倍の人数を用意したとしても勝てる見込みは極めて低いと言える。
それでも決行するのはもちろん魔法を頼ってのこと。老人を中心に十数年の時をかけて準備した魔法使い。ただその魔法使いの数でも奴隷側が大きく劣っている。
相手側には十四人の魔法使いがいる。一方奴隷側は僅か七人。内六人が攻撃魔法使いだが圧倒的に不利なことに変わりは無い。
それ故奴隷側はこの奇襲を必ず成功させる必要がある。魔法をもたない衛兵や冒険者などは二の次でいいと割り切り、そちらには監視するためだけの人員を向かわせていた。
奴隷の数が400近くいるとはいえ、この大会にオファーを受けて参加しているのは50名ほどだ。情報が漏れる、裏切り者が出る等の可能性は参加人数を増やすほど高まる。それを考えれば50という数をよく用意できたとも言える。
「巡回しているうちのひとりが身体強化を持ってるヤツだな」
少年の言葉に老人は魔法使いの奴隷に声をかける。
「まずは入り口の二人を始末するぞ」
少年が駐屯地の周囲を警戒する騎士の位置を確認して伝える。タイミングが整ったところで二人の奴隷が身体強化の魔法を発動。あっと言う間に駐屯地入り口まで駆けると、そのままの勢いで騎士の首をはねた。
町の中にある騎士の駐屯地である。彼等は義務として入り口で警戒任務を行っているが、襲われるなんて考えてもいなかっただろう。鎧も纏わず、剣は腰に吊り下げたまま。
明かりのランタンが彼らの居場所をよく照らしてくれていた。ほとんど音をたてることなく二人の騎士を始末した奴隷達はすぐにその死体を夜の闇に隠す。流れた血に土をかぶせて目立たないようにもしている。
「よし。次の二人だな。なかの動きはどうだ?」
「大丈夫だ。巡回の二人組はおそらくここに向かっている」
「坊主と身体強化二人で迎え撃て。ワシらは宿舎に向かうぞ」
老人はそう言って他の奴隷達を連れて建物に向かった。残った少年と奴隷二人は少し話しをして作戦を決めた。巡回の騎士二人組がランタンの照らす位置まで来るのを駐屯地の壁に張り付いて待ち受ける。五分ほど経っただろうか。二人組の騎士が戻ってきた。
ランタンの明かりが騎士の姿を浮かび上がらせる。やはり鎧は纏っておらず、手に武器も持っていない。いるはずの見張りがいないことを不審に思ったのか首をしきりに振っている。
奴隷二人はゆっくりと騎士の背後に回ると魔法を行使。次の瞬間、先の場面のリプレイのように騎士達は首を切られてその場に崩れた。
「先手がとれれば魔法使いといえどもこんなもんか」
少年は苦い表情を見せながらそうつぶやいた。騎士の死体を簡単に処理した三人はすぐに宿舎へと移動をはじめた。
三人が到着する前に宿舎の中ではもう事が終わっていた。忍び込んだ奴隷達は寝ている騎士の前に剣を構えて立ち、老人の合図で一斉に剣を胸に突き立てた。
老人は魔法使いがどこで寝ているかも知っていたようだ。魔法使いの騎士には出来るだけ魔法使いの奴隷をあてていた。呻き声が静かな夜を微かに濡らし、あっけないほど簡単に決着はついた。
老人は少年達と合流し次の行動を指示する。
「非番の騎士を始末する。計画通り監視と合流しろ。騎士の魔法使いは残り二人だけだが油断するな」
奴隷達は五人が一組となりそれぞれの持ち場に走っていく。老人は少年を含む奴隷で組を作りゆっくりと歩き始めた。
「坊主、変わった動きはないか?」
「この近くではないな。呻き声と言ったって俺にも聞こえなかったぐらいだ」
それから一時間ほど経ち、奴隷達が住む長屋に騎士の始末を終えた者達が全て集まった。死人はおろか怪我人すらいない。老人は報告を聞いて満足そうに頷いた。
「よし。まだ誰にも気付かれていないな。ここからは二手に分かれるぞ。衛兵の宿舎と町長だ。分かっているな?衛兵は宿舎以外に住んでいるヤツが多い。そいつらは無理に相手をする必要はない。危なかったら逃げてここに戻ってくるんだ。まだ他の奴隷達には何も言うなよ。出発だ」
奴隷達の顔つきには自信がみなぎっている。寝込みを襲ったとはいえ騎士を全滅させたのだ。嫌でも士気が上がる。
老人はこの時点で計画が成功するだろうと確信した。もちろん長年虐げられた奴隷としての、何かに怯えるような確信ではあったが・・・。
少年は目を閉じて何かを考えているようだったが、手で口元を隠していた。どうやら笑いをかみ殺しているらしい。少年の近くにいた奴隷はその様子を見て一瞬ぎょっとしたようだったが、その奴隷もまた同じように口に手を当てて体を震わせていた。
奴隷による大運動会。その最初の種目、騎士殺しはこうして無事終了した。
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