第7話

 リンさんの歌声が、一人の女の子の恋の物語をつづる。

 想いの男性。しかし女の子は、「好きです」の一言が言えない。

 めぐる季節。それはやがて、クリスマスシーズンへと。

 クリスマスを前にして、女の子はサンタクロースと出会う。

 予期せぬフライングのプレゼント。

 女の子の悩みを知ったサンタクロースは、そのまま女の子の手を取り、ひと時の夢へと誘う。

 それは、仮想の恋。

 女の子が想いの人に気持ちを伝えられるようにと、シミュレーションを演じさせるもの。


 俺の両手がドラムを叩く。ミヨの両手がベースを弾き鳴らす。三日間ひたすらに練習した俺たちは、確実にこの曲を完成に導いている。

 自分の気持ちも知らずに。

 本当の願いを知ることもなく。

 ただひたすらに、導いていく。


 リンさんが歌う。

 仮初めの恋の歌。

 しかし女の子は、サンタクロースに本当の恋をしてしまう。ひと時の夢に、本当を求めてしまう。

 キスを望む女の子。

 しかしその唇は、触れることをしない。

 サンタクロースは女の子を諭す。

 「好きです」の一言を伝えたい女の子。

 その言葉はあの人のためにあるのだと、本当の気持ちに気付かせる。

 そして夢は覚め、サンタクロースは女の子の前から姿を消す。


 長めの間奏に入る。

 リンさんは静かにたたずみ、客は物語の結末に想いをめぐらせる。

 間奏はやさしい曲調で流れ、俺のパートに隙間が生じる。

 物語の結末を知っている俺は、そこでミヨを見た。

 ミヨはしかし、懸命に演奏を続けていた。

 二つの小さな手が、繊細に音を紡いでいる。

 だけど、その目からは、いつしか涙がこぼれていた。

 あの日のような、宝石のような涙。

 ミヨもまた、物語の結末を知っている。

 どれだけ集中で抑えてようとも、その感情はあふれ出てしまっていた。

 何かが失われてしまう。

 大切なものが書き変えられてしまう。

 そのことに気が付いて、ミヨの心が悲鳴を上げていた。

 俺のパートが再び加わろうとしている。

 その先は、もう終わりまで繋がっている。

 だが、ミヨが全うしようとしている以上、俺もまた、全うしなければならない。

 俺はその気持ちにぐっと歯噛みをして、スティックを構えた。


 リンさんの歌が、やさしい音色から奏でられていく。

 クリスマスの夜。

 すべてが祝福に満ちた日。

 女の子は街を歩く。

 想いの人に、本当の気持ちを伝えるために。

 女の子は探す。その人の姿を。

 空からは雪が舞い始め、イルミネーションがそれを受けてなお輝きを増す。

 寒い冬の夜。

 しかし聖夜の奇跡に、女の子は導かれていく。

 すべてが祝福に満ちた日。

 舞い降りる雪も、街のイルミネーションも、すべてが女の子に味方している。

 雑踏の中、女の子はついにその人の姿を見つける。

 女の子は再び出会う。

 本当の気持ちをくれた、赤い服のサンタクロースに。


 俺の頭は真っ白になっていた。

 曲はすでに、例の変更された箇所に入っている。

 何も考えられなくても、体は動いている。

 ドラムを叩き、確かに変更されたメロディを生み出している。

 だけど、わからなくなっていた。

 リンさんが、俺の知らない歌を歌っていた。

 俺の知らない結末を歌っていた。


 戸惑いのサンタクロース。

 だけど、女の子の「好きです」の一言に、サンタクロースは女の子の手を取る。

 街ゆくすべての人が、二人に拍手を送る。

 すべてが祝福された日。

 女の子はその中に、かつて想いの人であった彼の姿を見つける。

 彼もまた、二人に惜しみない拍手を送っている。

 女の子の目から涙がこぼれ落ちる。

 夢となった大切な思い出が、涙となってあふれ出る。

 雪の降るクリスマス。

 そして二人は、仮初めではない本当のキスを交わす────。


 物語は幕を降ろした。

 客から拍手が湧き起こった。

 リンさんはまた静かに佇み、後奏の終わりを待った。

 俺はただ驚いていた。

 無我夢中でドラムを叩きながら、ただただ驚いていた。

 ユキイチロウさんが、俺とミヨの方を向いた。

 フィニッシュのための合図を送った。

 そして、盛り上がりが最高潮に達する中、俺もミヨも、死に物狂いでユキイチロウさんに合わせて、フィニッシュをきめた。

 客からの拍手が、一層大きくなって鳴り響く。

 俺は思わず、真っ先にミヨを見ていた。

 すると、まったくの同時に、ミヨが俺に大きく振り向いた。

 目と目が合う。

 それはどちらも、呆れるぐらい大きく開かれていた。

 リンさんが一度、俺たちを振り返った気がした。

 そしてそこに、俺はリンさんのやさしい笑顔を見た気がした。

 客の拍手が次第に治まっていく。

 するとその中で、最後にそっと、その言葉はささやかれた。


「メリークリスマス」

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ディア・マイ・サンタクロース 氷野 時下 @h_tokishita

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