第5話

 ミヨのクリスマス・ソングが完成した。

 その報せを受けたのは、翌日の朝だった。

 俺はすぐさまミヨの家に行って、かなり荒削りなその歌を聴いた。たった一晩で書き上げたのだから、それは仕方がないだろう。デモテープなんてあるわけないから、ミヨが生で歌った。

 それは、紛うことなきクリスマス・ソングだった。

 その詞が綴るものは、ある女の子の恋の物語。

 イメージとしてはこんな感じだ。

 ある女の子が、一人の男性に恋をしていた。しかしその子に勇気がなくて、ただの一言「好きです」がその人に言えずにいた。季節はめぐって、クリスマスシーズン。女の子は、なんとかこの季節に想いを告げたいと願う。するとそこで、女の子にプレゼントが贈られた。それは、フライングで訪れたクリスマスプレゼント。

 街を歩く女の子の前に、赤い服を着たサンタクロースが現れる。サンタクロースは女の子の手を取って、夢の中へといざなう。女の子が想いの人に「好きです」の一言が言えるように、恋のシミュレーションを施す。

 ところが女の子は、そのサンタクロースに恋心を覚えてしまう。「好きです」の一言を、サンタクロースに対して言おうとしてしまう。キスを迫る女の子。しかしサンタクロースは、そんな女の子に諭しかける。「あなたが本当に好きなのは誰なのか」。触れない唇。そうして女の子は、本当の気持ちを取り戻し、サンタクロースは女の子の前から姿を消す。

 それからクリスマスが訪れる。街の雑踏の中を、女の子が歩く。空からは雪がちらつき始め、街は祝福に満ちたように明るく輝く。サンタクロースに勇気をもらった女の子は、想いの人を探す。白く吐き出される息。震える手。だけど諦めずに探す女の子に、奇跡がもたらされる。女の子は、その人を見つける。

 「好きです」と想いを告げる女の子。想いの人はそれを受け入れる。すると降り注ぐ、街の人々からの拍手。女の子はその中に、一瞬、サンタクロースの姿を見る。夢の中に消えたはずの淡い恋心が、涙となって女の子の目からあふれる。キスをする二人。すると、どこからともなく、街に響き渡る声がする。

 メリークリスマス。

 ……まあ、おおよそ昨日の俺たちをそのまま書いたような内容だが、それも仕方あるまい。昨日の今日では、これが精一杯だと言える。

 しかし、これならばRumble Wishとしてリンさんが歌うに充分なものとなっている。

 曲のポイントである、女の子とサンタクロースの甘くも切ない仮初めの恋。そして本当に大切なことに気付いて、想いの人と結ばれる結末。この恋の物語をリンさんの歌唱力を持って歌えば、けっこういいことになるのではないだろうか。

 問題は、しかしたくさんある。

 一つは、この曲があの二人に認めてもらえる出来かどうか。俺としてはかなりいい線いっていると思うが、あの二人にしたらどうかわからない。

 一つは、現状かなり荒削りな上に、クリスマス・ライヴ本番まで本当に時間がないこと。曲の完成から演奏の練習までを考えると、これは絶望的である。

 そしてもう一つは、いまさらこの曲を出して、リンさんたちにしたら、これをどうしろと? と言いたくなるものであること。ライヴでやる七曲のうちの一曲を替える、と言ってしまえば話は簡単だが、一曲を替えると言うことは、須らく全体の見直しを必要とする作業だ。最悪、こんな時期になって、曲の構成すべてが引っくり返る恐れだってあるのだ。

 だけど俺は、せっかく作ったミヨのこの曲を、どうしてもライヴに入れたいと思っていた。これは、俺とミヨの切なる願いだろう。

 来年ではダメだ。何としても、今年にやりたい。

「わかった……」

 と言うと、俺は決心した。

「俺も一緒に、リンさんにお願いしよう」

 徹夜明けの眠たそうなミヨの顔が、嬉しそうに綻んだ。


「何これ?」

 とリンさんは言って、俺から楽譜を受け取った。

 スタジオに四人が集まっている。

 俺とミヨは学校を休んで、この時までずっと曲のブラッシュアップをやっていた。

 曲にタイトルも付けた。

 どちらから出たか、『ディア・マイ・サンタクロース』。

 リンさんは楽譜に目を落とすと、しばらく黙ってそこに集中した。どうやら、すぐにこれがミヨが作ったクリスマス・ソングであることに気付いたようだ。黙って楽譜に目を通して、それから少しずつ鼻歌を歌い始めた。

 リンさんの確認作業が始まった。

 自分が歌うことを想定して、それがどんな曲であるのか、それをどう歌うべきなのかを、実際に音を出して試していく。

 リンさんは俺たちに背を向けた。それから、ゆっくりと、少しずつ、室内を歩き回る。これはリンさんの癖だった。楽譜を片手に、もう片方は音程の波を描いて、鼻歌だったり、ちゃんと声に出したりして、曲を再生していく。

 すると、ずっとギターをいじっていたユキイチロウさんが動き始めた。ギターをいじる手をそのままに、リンさんの後を付けて肩越しに楽譜を覗き込んだ。

 しばらくの間、奇妙な光景が続いた。

 リンさんとユキイチロウさんが前後に並んで、室内を動き回る。リンさんは歌い、ユキイチロウさんは、いつの間にか手を演奏に変えていた。

 だけど、もちろん、はっきりとしたものではない。リンさんの肩越しで見づらいためか、ジャン、ジャン、と、一音ずつをとりあえず出してみているような感じだった。

 俺とミヨはその光景を、心中穏やかではなく見つめていた。いつリンさんから「ダメね」と言われてしまうかも知れない空気に、ただただ固唾を呑んで見守っていた。

 どれくらいかの時間が経って、少なくとも俺には永遠だった時を経て、リンさんが俺とミヨの前で立ち止まった。

 表情には何の色もなく、

「三日後よ? ライヴ」

 と言った。

 表情こそ何の感情も窺えないものだったが、その言葉はまずまずミヨの曲を認めているものだった。それだけで、俺もミヨもほっと胸をなでおろすことができた。

「……ダメですか?」

 と俺が訊く。ひとまずは安心できたが、まだ気は抜けない。ミヨからの視線のお伺いも受け取ると、リンさんは唇を結んで考え込んだ。

 ライヴは三日後。今からこれを入れるとなると、他のすべては切り上げて、もうこれだけに集中する他なくなってしまう。リンさんの長考は当然だった。

 また長い時間、緊張した空気が流れる。だけど、俺もミヨも、引く気はない。それはリンさんも同様のようで、どうにかこの曲を入れることはできないかと、あれこれ計算を続けていた。

 すると、一人違った空気の中にいたユキイチロウさんが、まだリンさんの肩越しに楽譜を眺めながら、

「ねえ、これさぁ」

 と何かを言い掛けた。

 だがそれを、リンさんが恐ろしい反応速度で制した。空いた片手を挙げて、ユキイチロウさんをぴたりと黙らせた。そしてその格好のまま、また少しリンさんの黙考が続いた。

 リンさんの顔が、不意に何かをひらめいたようになる。片手を挙げたまま、ユキイチロウさんを振り返って、それからすぐに体を戻す。

 すると、リンさんの表情に、なにやらとても楽しげな笑みが浮かんでいた。

「いいよ。採用」

 と言った。

 俺とミヨはすぐに顔を見合わせた。

「ありがとうございます!」

 と声をそろえて言った。

「ユキイチロウ、後で打ち合わせね」

 リンさんが言う。だけど、ユキイチロウさんは、

「それはいいけど、間に合うか? はっきり言って、練習する時間が……」

 と言う。

「あ、私、明日から学校冬休みなので、ずっと練習します!」

 ミヨが割り込んで言った。それには俺も便乗せざるを得まい。

「俺も! 冬休みなので、死ぬ気で練習します!」

 するとリンさんが、最後にユキイチロウさんを見て、

「私も。冬休み」

 と言った。

 ユキイチロウさんは頭を抱えた。

「俺に仕事を休めって言うのか……」

「いいじゃない。どうせ今年、仕事もうすることないんでしょ?」

 リンさんが言った。

 ユキイチロウさんは、片方の眉を上げた奇妙な表情で、「まあね」と言うように何度か頷いた。

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