第2話
十二月に入って、またこの季節がやってきた。言わずもがな、クリスマスシーズンだ。
街は早々にイルミネーションを街路樹や店頭に飾り立て、気の早い夜を演出している。空気が乾いたおかげでキラキラと、まばゆい光で道ゆく恋人たちの気分を早くも
吹く風は骨身にしみるほど寒く、そんな場合じゃないぞと俺は歩く。
とは言え、俺は別にクリスマスが嫌いなわけではない。むしろ、本格的にバンド活動をやり始めてからは、一年の内でもっとも意味のあるイベントに変わっていた。
俺の所属するバンド『Rumble Wish』は、クリスマスにライヴを行うことに一番の重点を置くバンドだ。
今年も当然行う。だから最近は、それに向けての練習ばかりに打ち込んでいる。ほぼ毎晩メンバーと顔を合わせて、終電ギリギリ(休みの前日は始発)までドラムを叩いている。それが嫌なわけではない。そこは気がどれだけ早くても全然オッケーだ。バンドの願いが俺の願いであるように、一年の内でもっとも熱くなれるのがこの季節だった。
ミヨのことを考えた。俺と同じ、十九歳の女の子。
ミヨはベーシストにして、作曲の才能も持ち合わせている。Rumble Wishが演奏する曲の多くは、ボーカルでありギターも弾けるリンさんが作っているが、ある時からミヨも曲が書けることがわかると、ミヨの曲も交えてRumble Wishのレパートリーとするようになった。割合を言えば、7:3ぐらいだろうか。ミヨが作る曲が好きだと言って付くファンも少なくない。
繰り返すが、Rumble Wishはクリスマスのライヴに一番の重点を置くバンドだ。
そしてミヨは、リンさんに負けない作曲の才能の持ち主である。
いや、作曲に対する姿勢だけを見れば、リンさん以上に積極的だ。
なのに、どういうわけか、ミヨはクリスマス・ソングだけは作ろうとしなかった。
俺とミヨが、リンさんとユキイチロウさんが作ったRumble Wishに加入して、今年で三回目のクリスマスを迎える。過去二回も先日同様に、ミヨのクリスマス・ソングが期待されたのだ。だけど、結果も、先日と同様。ミヨの浮かない表情だけが残される結果となった。
呪いのヒットナンバーが奏でられるアーケード街を、俺は人混みをすり抜けながら歩く。
ミヨはどうしてクリスマス・ソングを書こうとしないのだろう?
そんなに嫌なのなら、アーケードの外の
だけど、俺にはなんとなくだけど、心当たりがあった。
どれだけ嫌でも、アーケードの外は死ぬほど寒いんだ。
アホみたいに大声を上げた女が、俺の肩にぶつかった。
気の早いクリスマスは、気の早いバレンタイン同様、『経済効果』の四文字が浮かんで気分が悪い。
ライヴでやる七曲をリハーサルとして通すと、そこで休憩の声が掛かった。
「アカっち、『ワン・ステップ』の出だし、いつも半呼吸遅れるでしょ?」
リンさんが俺に言った。
「えっ、本当スか?」
「ねえ?」
とリンさんが言うと、ユキイチロウさんがウムと頷く。
「ちょっとちょっと」
フタの開いたペットボトルを持つ手で、中指から小指までの三本で手招きをするリンさん。俺をドラムに着かせる。水を一口
「──で、タン、タン、ダン、ダン、でしょ? 絶対にこの、最初の〝タン〟が遅れるよね?」
ユキイチロウさんがウムと頷く。
「やってみ」
言われて、俺はスティックを構える。リンさんが
俺はそのリズムに乗って、叩く──。
「ダメぇ! ダメダメ!」
リンさんが笑いながら言った。
「楽譜ちゃんと見た? 二曲目よ? こっから、さあ加速するぞ! って曲の出だしがそれじゃあ、コケてグダグダになっちゃうじゃない!」
そう言われて俺は、後頭部を掻いて反応する他ない。
リンさんは水を一口飲んで、それを置いて、
「特訓。体で覚えちゃってるでしょう? それじゃあ本番絶対に失敗するから、今
と言って、俺の横にビシリと着いた。
「じゃあ、俺はミヨちゃんだね」
ユキイチロウさんが言った。
するとミヨは、「えっ!?」と
「『ツナガルウタ』のBメロの歌い出し、ちょっと弾いてみて」
ミヨは慌ててベースを構えて、言われたとおりにする。
自分で作った曲だ、と思ってニヤニヤしていると、そこで俺はリンさんに頭をはたかれた。
怒った顔のリンさんと目が合う。
俺は黙ってスティックを構え、特訓の始まりを待った。
唐突にこんなことを言うようだけど、俺はリンさんのことが好きだった。
それと、唐突にこんなことを言うようだけど、ミヨはユキイチロウさんのことが好きだった。
リンさんは今年で二十一歳になった女性で、まだ学生。ユキイチロウさんは今年で二十三になって、友人とデザインの会社を起こして働く社会人だ。
俺とミヨがお互いにお互いのことを知ったのは、どんなきっかけもなかった。普段の俺たちを見ていればそれは明らかで、お互いに何の疑いようもなく察し合ってしまったのだ。ある日に、二人で帰る道すがら、どちらからともなくそれを言うと、二人して「ああ、やっぱり」と頷いたほどだ。
俺はリンさんの見た目やはっきりとした性格、人を
別に深く話し合ったことがあるわけではない。
なのに、いつの間にか俺たちは、そんな恋心を共有するようになっていた。
俺がリンさんにしごかれているその向こうでは、ミヨがユキイチロウさんに厳しい指導を受けている。大人しい性格のミヨは、普段あまり感情を表に出すことをしない。そんなミヨが、それでもユキイチロウさんの前では、嬉しそうにはにかんで見せたり、恥ずかしそうに顔を染めて見せたりする。
つらい練習にも耐えて、ライヴが成功した時には、本当に楽しそうに笑うのだ。気付かないはずがない。
誤解のないように言っておくと、俺たちは別に、リンさんやユキイチロウさんのためにバンドをやっているわけではない。俺には俺の理由があって、ミヨにはミヨの理由があって、それでこの『Rumble Wish』が好きでバンドをやっている。
それに、俺たちはもう一つ、共有していることがある。
それもまた、特に二人で示し合わせたわけではない。普段、見ると、嫌でも思い知らされる。そして実際には、当人たちの口からも事実を聞かされている。
リンさんとユキイチロウさんは、俺やミヨがRumble Wishに入るずっと以前から、付き合っている。
それも、同棲していて、いつ結婚してもおかしくないほどの仲で。
俺とミヨの恋は、決して実ることはない。
そのことも、暗黙的に共有していた。
外に出ると、俺は大きく伸びをした。練習で散々汗をかいたから、夜の深くてシンとした冷たい空気が、今はとても心地いい。後に続いて階段を上がってきたミヨは、それでも一言、「寒い」ともらした。
スタジオは地下にある。出ると前には広い道路があって、人も車もいない寒々とした光景が広がっている。スタジオから駅までは歩いて十分もしない。電車の方面が同じだから、いつもミヨとは一緒に帰る。
疲れていることもあるし、考えたいこともあるから、しばらく無言で歩く。それはミヨも同じようだ。
リンさんとユキイチロウさんは、ここまで車で来ているから、いつも俺たちより遅くまでスタジオにいる。ユキイチロウさんがスタジオのオーナーと友人関係にあることもあって、優遇もされているのだ。
シャッターの閉まったアーケード街を、ミヨと並んで歩く。それでも居酒屋は多く開いていて、駅に近づくにつれ人の姿は多く見られるようになる。
「なあ、どうしてクリスマス・ソング、書かないんだ?」
気が付くと、俺はそう
ミヨが立ち止まって、俺の視界から姿を消す。二、三歩歩いてそれに気が付くと、俺も足を止めて振り返った。
ミヨの無表情の顔が俺を見ている。その目が、俺のことを
ずっと疑問に思っていたことだけど、初めて訊いた。まさかミヨも、ずっと俺にこの質問をされないと考えていたわけじゃあるまい。あるいは、ミヨ自身、どこかでは誰かに言いたかったのかも知れない。
唇をあまく噛んで、ミヨは目を伏せる。
俺の背後、どこかで酔っ払いの騒ぐ声がした。
それは人気のないアーケード街に大きく反響した。
その音がやむのを待つ。バカが駅に消えるのを待つ。
するとミヨが、ゆっくりと顔を上げた。
「今からウチ、来れる?」
ミヨの家に上がるのは、これが初めてではない。ミヨはこの地の生まれで、今も実家暮らしをしている。俺が一人暮らしをしているアパートはさらに二つ先の駅にあって、まあ近いことから、たまに寄らせてもらうことがあった。
終電に乗って帰ってきたミヨ。普通であれば、こんな時間に、それも男が上がるのは、家族的にも世間的にもNGだろう。しかし、何故だかここの家族は俺にウェルカムで、夫婦そろって笑顔で「いらっしゃい」なんて言ってきたりする。何かを勘違いしているのだろうか。
二階建ての二階、一人娘の部屋に俺は上がる。兄弟ができることを見越して作られた部屋は、しかしミヨ一人のために広く使われている。壁に貼られた海外ロックバンドのポスター。カーペット敷きの床にはギター、ベース、キーボードの三種と、その他音楽機材がゴツゴツと並ぶ。かと思えば、ベッド周りは急に女の子らしくなって、大きいぬいぐるみや可愛らしい装飾品などが空間を埋めている。
俺が適当な場所に腰を下ろすと、すぐにミヨは棚をあさって、いくつかのテープと楽譜を取り出してきた。
「これは?」
言うが、訊くまでもないことであるのはわかっている。無言で俺の正面に座るミヨ。俺も黙って楽譜をめくった。
……それは、一言で言って、一言では表現できないものだった。
いや、これはクリスマス・ソングだ。楽譜には日付が記してあって、まさしく去年と一昨年、クリスマスに向けて作られたものだった。
ミヨは実際には、ちゃんとクリスマス・ソングを書いていたのだ。
だけど俺は、それをそのとおり口にすることはしなかった。楽譜だけで、その異様さは充分に伝わった。できればテープは封印したままにしていただきたい。しかし、ミヨの強い視線にしたがって、俺はヘッドホンを耳にした。
乗りかかった船。毒を喰らわば皿まで。封を切ったのは、確かに俺なのだから。
「……おぉ」
そんな、低い
ミヨの作る曲には定評があった。先にも言ったとおり、ミヨの曲が好きでRumble Wishのファンになった人も多い。俺だってミヨの曲は好きだ。今聴いている曲だって、曲としては決して悪いものではない。むしろ、バンドのカラーによっては、代表曲にだってなり得るよさを持っている。
……ただし、今言ったとおり、バンドのカラーによっては、だ。
「……ないだろ、これは……」
Rumble Wishのカラーでは、まずあり得ない。
ミヨは涙ぐんでいた。だけど、ここでウソは言えない。それは誰より、ミヨ自身が一番よくわかっているだろうから。
「リンさんがこれを歌うことは、ちょっと考えられないな……」
俺は言った。
誰にも個性がある。当たり前だけど、曲にはその人の個性が表れる。リンさんが作る曲は、明るくて前向きな歌が多い。盛り上がって楽しくなる曲や、人の心を誘うラブソング、綺麗なバラードだったりする。一方のミヨは、心意的で暗めの曲が多い。独創的なメロディから、鳥肌が立つようなワードが入った曲も多い。
ミヨの作る曲は、そのままでは到底Rumble Wishのカラーを逸脱していた。そのままリンさんが歌ったのであれば、Rumble Wishはバンドとしてそのバランスを崩壊させていただろう。
重ねて言うように、ミヨの作る曲は、曲としてはとてもいい。ただ、リンさんがRumble Wishの看板を背負って歌うためには、ミヨ自身の歩み寄りと、ユキイチロウさんの魔法が必要だった。
ユキイチロウさんは、リンさんが作る曲も含め、すべてのアレンジと調整を務めている。あの人の魔法があるからこそ、相反するリンさんの曲とミヨの曲が、一つのバンドに収まっているのだ。
……さて、
そのわけも、もう訊くまでもないことだ。今し方聴いたこの曲は、どうユキイチロウさんが頑張ったところで、Rumble Wishには収まらない。ダークすぎる。ひん曲がりすぎている。どうしてクリスマスに重みを置く我らがバンドが、かような曲を客に
しかし、気持ちはわかる。痛いほどに理解できる。
俺はリンさんに恋している。そしてミヨは、ユキイチロウさんに恋している。しかしこれらの恋は、決して実を結ぶことはない。すぐ近くにいて、だけどずっと遠い存在。好きなのに近づくことができず、なのに好きであることを捨てることができないから、楽にもなれない。
そんな状況にいて、どうやって幸せなクリスマスを歌うことができるのか。どうやって幸せな結末を想像できるのだろうか。
ミヨはしゃくりを上げながら、もう一つのテープを俺に差し出した。
「今年の新作だけど、聴く?」
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