ディア・マイ・サンタクロース

氷野 時下

第1話

 リンさんがアカペラで歌い始めると、俺とミヨは手を止め、しばしそれに聴き入った。

 楽譜を片手に、こちらに背を向けて、音の一つ一つを確かめるように歌う。高い音。低い音。もう片方の手は、その音に合わせて宙を泳ぐ。なめらかな声。張りのある声。羽毛のように、ふわりとした声。一つ一つを、丁寧に発声する。

 確認作業の歌い方であっても、俺は聴き入ってしまう。見入ってしまう。むしろその方が、素のリンさんが見れているようでドキドキする。

 リンさんの声が、一つの音を間違えてストップする。あれ? といった仕草。楽譜がひらりと舞う。音程を確認すると、すぐにまた歌い始める。間違えた箇所を何度かリピートして、それからまた、元の調子で歌っていく。

「アカイ~」

 名前を呼ばれて、俺はハッとする。ユキイチロウさんが俺を呆れた表情で見ている。

 ミヨは、いつの間にか元の姿勢に戻っていた。無表情に俺を一瞥いちべつする。自分だって見惚れてたくせに。俺は思ったが、ユキイチロウさんの視線があるので嫌な顔の一つも向けてやれない。

 仕方ないので、集中して、ポジションに着く。

「頭から」

 ユキイチロウさんの言葉に頷いて、俺はスティックを打ち鳴らした。


「ユキイチロウ」

 三回ほど同じ曲を通すと、そこでリンさんがユキイチロウさんに声を掛けた。

「ちょっとここ弾いて」

 と言って、楽譜に指を差して見せる。

 ユキイチロウさんは俺らに手を挙げて見せると、ギターを置いて、キーボードに着く。リンさんから楽譜を受け取って、すぐにそれを弾き始める。二人で音合わせが始まった。

 そうなると、また違った空気がスタジオに流れ出す。

 ユキイチロウさんがキーを弾く。リンさんがそれに合わせて歌う。納得できないところがあると、すぐに議論する。ユキイチロウさんが歌い方をアドバイスして、リンさんが頷く。それから何度か繰り返し同じ箇所を練習すると、リンさんがユキイチロウさんに軽く手を挙げて、背を向けてまた一人の練習に戻っていった。

「悪い」

 と言って、ユキイチロウさんがギターを掛けて戻ってくる。それで俺は、ようやく解ける。

 ミヨを見ると、今回はこっちも解けなかったようだ。慌てた様子でベースを構えなおす。

「もう一回、通しで」

 ユキイチロウさんが言うと、俺は頷いて、スティックでカウントを取った。


「今年こそ書かない? クリスマス・ソング」

 その声に反応して、俺は視線を向ける。

 リンさんがミヨに話し掛けている。

「ダメ?」

 と言って、リンさんはペットボトルの水を開けて一口飲む。二時間ほどを一人で練習して、ようやく休憩に入ったようだ。

 ミヨは伏し目がちにリンさんを見ると、浮かない表情で答えづらそうな様子を見せる。

「ミヨちゃんのクリスマス・ソングが聴きたいって人、けっこういるんだよ? と言うか、私も聴きたいし。歌ってみたいし」

 だけど、ミヨの様子は変わらない。少し待つが、それでもしゃべらないミヨに、リンさんはやさしく微笑んでミヨの頭をなでる。

「おかしいよなぁ~。それだけ曲が書けるのに、どうしてクリスマス・ソングだけ書けないのかなぁ」

 そんな鎌をかけてもみるが、ミヨはかたくなに口を閉じたまま。リンさんが少し屈んで、ミヨの瞳を覗き込む。ミヨは、視線を逸らしこそはしないが、少し泣きそうに揺れていた。

 リンさんはもう一度、ミヨの頭をなでた。

「ほいっ!」

 パンッ! と手を打つ音がして、俺はビクリと跳ね上がる。ユキイチロウさんが苦笑で俺を見ている。

「一発、気合入れてやろうか?」

 と言う。

「あ、すいません。だいじょうぶです。やれます!」

 俺は急いで構えを取る。こっちはまだ練習中だ。

「サビからね」

「うす」

 俺は適当にカウントを取って、ドラムを叩く。ユキイチロウさんは、それに被せるようにギターを弾き始めた。

 リンさんとミヨの話はまだ続いている。

 俺は気になって、何度かミスをしてユキイチロウさんに怒られた。

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